2014/8/5:
●偉大すぎる五十音表の起源、発明者はお坊さんの明覚?
●古代インドの言語サンスクリット語と五十音表との関係
●「あいうえお」や「あかさたなはまやらわ」の順番にも理由があった
●五十音の元祖は明覚の『反音作法』という理解で良いのか?
いもとようこのあいうえおひょう ([バラエティ])


●偉大すぎる五十音表の起源、発明者はお坊さんの明覚?
2014/8/5:五十音表(五十音図、あいうえお表)の話をいろいろと。私はこの五十音表があるってのが日本語のユニークな点で、最初に作った人は偉大だなぁと感心していました。もっと評価されるべきです。
…と思って書き始めたのですけど、終わり頃まで書いてから気づきました。五十音表のようなものは母音と子音で表さないひらがなだとすごく見えるというだけで、母音と子音を組み合わせる文字からすると普通の発送なのかもしれません。
「何だ…」という感じでちょっとテンション下がりましたが、発明者は誰なの?という話。
Wikipediaを読むと、明覚(みょうがく、めいかく)というお坊さんで良さそうな感じです。
<元来、漢字の音を示す手段である反切を説明するものとして考案されたものとされるが(明覚『反音作法』、1093年)、その子音と母音を分析的に配した体系性が、後には日本語の文字を体系的に学習するのにも利用されるなど様々な用途を生んだ>
明覚の
Wikipediaでは、以下のような感じ。最初とは書いていないですけど、たぶん初出なんでしょうね。
明覚 - Wikipediaの方では、「彼は諸著書の中で仮名による反切の方式を述べ、
「五十音図」を示している。」とも説明されています。
●古代インドの言語サンスクリット語と五十音表との関係
明覚は、平安時代後期の天台宗の僧であり、以下のような説明があります。ややこしい内容なのですけど、ここが五十音表と関係するところなんですわ。下記の説明の中の「悉曇学」(しったんがく)というのが、「五十音図」を作るにあたって大切だったようです。
<比叡山に入って覚厳に師事して天台教学を学んだ。比叡山に五大院を開創した安然(841年?-915年?)を慕って悉曇学を修学し、加賀国温泉寺に移りそこに住した。悉曇学に関する著作を残し、後世には悉曇学の祖と仰がれた。また、経典の訓点でも多くの業績を残した>
悉曇学のWikipediaによると、悉曇学(しったんがく)とは、中国や日本における梵字に対する音韻の学問のこと。そして、悉曇とは、古代インド人の教養ある人が用いたサンスクリットのシッダム(siddham)を音訳した漢語だそうです。悉曇は、狭義には母音字を指す言葉ですが、子音字も含めてサンスクリットを表す文字全般を称する場合もあるとのことです。
日本における悉曇学は、平安時代前半に始まります。平安時代後半の1101年頃に作られた明覚の『悉曇要訣』では、日本語に関する記述が古代日本語の音韻を研究する際の貴重な資料となりました。前述の通り、明覚は『反音作法』(1093年)という著作もあり、やはり「早期の五十音図を伝えている」と説明されていました。
また、サンスクリットとは昔インドを中心に話されていたものであり、これもポイント。仏教はインド由来ですので、仏教にとってはたいへん重要です。「梵語」とも言いますけど、梵字・悉曇(しったん)文字は独特の趣のある字で、現代でもたまにデザインとして利用されていますので、見たことがあるかもしれません。
梵字アートを楽しもう (アートブックス)


●「あいうえお」や「あかさたなはまやらわ」の順番にも理由があった
私が五十音表をすごいと思っていたのは、母音・子音の概念で分けて規則的に表にしていることでした。
検索していると、実は明覚の前にも他の配列はあったようです。そちらの表についてはどうなっていたか不明ですが、今回驚いたのは現在の五十音表には「あいうえお」や「あかさたなはまやらわ」にも一定の法則性があったということでした。これらの並びは先述の悉曇学(サンスクリットの音韻学)に基づくと考えられているんだそうです。
ただし、最初の五十音のWikipediaの「歴史」の中の「起源」というところを見ると、"現在の配列になったのは室町時代以後"とのことで、残念ながら誰が並べ替えたのは不明でした。
では、悉曇学との関係についての説明。まずは「あいうえお」。悉曇学での母音の並びを見ると、「あいうえお」はこの並びに従っていることがわかります。
a(あ), ā, i(い), ī, u(う), ū, ṛ, ṝ, ḷ, ḹ, e(え), ai, o(お), au, (a)ṃ, (a)ḥ
そして、「あかさたなはまやらわ」の並びも悉曇学の子音の並びに一致する…そうですけど、現在の発音の違うところが多少あるとのこと。補足が必要です。
(母音)(あ), k(か), kh, g, gh, ṅ, c(さ), ch, j, jh, ñ, ṭ, ṭh, ḍ, ḍh, ṇ, t(た), th, d, dh, n(な), p(は), ph, b, bh, m(ま), y(や), r(ら), l, v(わ), ś, ṣ, s, h
<補足>
・c(さ)……サ行は古い時代には[ts]と発音されていたという説が有力。そのため、sではない。
・p(は)……ハ行は当時の発音では [ɸ]、さらに古い時代には[p]であったとされている。そのため、hではない。
サンスクリットの音韻学における子音の分類には、以下のような規則性があるそうです。
<k から m までの配列は、調音位置が口の奥から前へ来るように並べられているからである。ヤ・ラ・ワ行がまとめられているのは、サンスクリットでは y, r, v(実際の発音は[ʋ]か[w]) がそれぞれ i, ṛ, u に対応する半母音とみなされているからである。y, r, l, v という順序も、k から m と同じ理由である>
説明の中で出てきた「調音位置」は「調音部位」とも言うそうですが、よくわかりません。
調音部位のWikipediaでは、以下のような説明でした。
<調音部位(ちょうおんぶい)とは、子音の調音に際して声道内で空気の流れを妨げる場所のことを言う。調音器官のうち固定されて動きの少ない上あごの部分を中心として名称が付けられる。ただし、「そり舌音」だけは舌の形によって分類される>
●五十音の元祖は明覚の『反音作法』という理解で良いのか?
あと、五十音のWikipediaの「起源」では、以下のような記述もありました。
<現存最古の音図は平安時代中期の『孔雀経音義』 (1004年 - 1027年頃) や『金光明最勝王経音義』 (1079年) などが挙げられている。「音義」とは、漢字の発音と意味を表した注釈書のことであり、漢訳仏典において漢字の発音を仮名で書き表そうとしたことがその起源となっている。
天台宗の僧侶明覚の著書『反音作法』で梵字のような子音だけを表記する文字をもたない日本においては反切を利用することが書かれており、同一子音のものを同じ行に、同一母音のものを同じ段にまとめることで、仮名を用いた反切(仮名反)を説いている。
ここで母音はアイウエオ順であるが、子音はアカヤ(喉音)サタナラ(舌音)ハマワ(唇音)という順になっているものがある。これは各子音の調音位置を口の内から外の順に並べたものである(ハ行は当時、無声両唇摩擦音 [ɸ])。明覚の著書にはその他の配列のものも見られ、五十音図の配列が当時一定していなかったことを示す。後にヤラワ行が後ろに回されたのは悉曇学において悉曇の字母を忠実に反映してのことだと考えられている>
ここを読むと、明覚が元祖というのが怪しいのかと最初思いました。ただ、より古い『孔雀経音義』は、漢字の発音に関するもので、日本語について示したものとは違うのかも。わかりづらいところですね。
【関連投稿】
■
海外の反応 ~人気の漢字、ひらがなはかわいい~ ■
恋は下心・愛は真心、辛に一つ足して幸、人の夢と書いて儚いなど ■
日本語の一人称代名詞の種類・一覧 主な一人称の時代による変化 ■
土耳古、白耳義、伯剌西爾、日耳曼などで、「耳」「爾」を「ル」と読む理由 ■
コラムとカラムは同じ「column」 どう使い分けるの? ■
雑学・歴史についての投稿まとめ
Appendix
広告
【過去の人気投稿】厳選300投稿からランダム表示
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
|