蒋介石率いる国民党は「白色テロ」とも呼ばれる強圧的な政治支配を敷き、これに反発する運動を武力で鎮圧し、知識層などを正当な理由なく拘束するなどの所業に出た。(中略)
投獄を逃れた人たちは日本や米国などに逃れたが、反共が西側諸国の是だった冷戦時代、「反・国民党」は「親・共産党」と見なされ、彼らの主張は理解されにくかった。西側諸国は反共の砦として台湾の国民党政権を支持する必要があり、人権蹂躙の訴えは黙殺されたとも言える。
国際社会で孤立する中で、彼らは「国民党がやって来て暗黒時代になった」と主張し、同時にその裏返しとして「日本時代はよかった」と喧伝した。国民党を貶めるために意識的、戦略的に日本を高く評価しているとまで言うつもりはないが、そこに潜む「国民党の白色テロよりはマシ」という相対性に対しては自覚的であるべきだと思う。清王朝が日本に割譲することで大陸から「棄島」され、以降、自分たちの中から政治的なリーダーが長く生み出せず外来の政治力に支配されたという大きな事実は、支配者が日本であれ国民党であれ、台湾に根を下ろして生きる人たちにとっては悲しいことであるには違いない。
日本による台湾統治は、世界の“植民地”経営の趨勢から見ておおむね友好的、融和的だったが、初期には少数民族を武力鎮圧し、多数の犠牲者を出した「霧社事件」などの痛ましい事件が起きている。
中華民国(台湾)における本省人
台湾での本省人とは、1945年(昭和20年)に日本が太平洋戦争(大東亜戦争)に敗れ、中華民国へ台湾が帰属(光復)する以前から台湾に住んでいた漢民族[1]と客家、高砂族やタイヤル族等の台湾原住民との混血の子孫で閩南語を話す人達を指すことが多い。ここでの本省とは台湾省を指している。そのため、字義どおりには本省人という言葉には原住民(台湾で言う原住民とは、福建人の更に以前から住んでいるオーストロネシア系の諸民族のこと)が包含される。だが、日常的には原住民を意識せず用いられることが多い。
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外省人
台湾における定義
台湾において外省人とは、1945年に日本統治時代が終了した後、中国から台湾に移民した人とその子孫を指す。一方、日本統治時代から住む人と子孫は本省人と呼ばれる。1995年の調査では、台湾人口2100万人の内、本省人は1645万人、外省人は124万人(人口の僅か5.8%)、本省人と外省人の混血が358万人と公表されている。
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支配と融和
外省人の第一世代の多くは、中国国民党(引用者注:「中国国民党」は国民党の正式な党名)政府および中国国民党軍、学校で雇用されていた人々と家族である。そして第一世代は、政府機関や国営企業、メディアの要職を占めて本省人を抑圧した。その頂点が二・二八事件という虐殺である。同事件後も中国国民党政府は、戒厳令に基づき政治活動を取り締まった。その期間は実に38年に及んだ。
ただし外省人の一部は民主化運動を主導したし、特権を必ず享受したわけでもなかった。雷震や胡適らは『自由中国』を発刊した。台湾大学教授の陳師孟は、学生の前で国民党の党員証を引き破り、後に国民党資産の問題を指摘した。中国大陸で支配階級でなかった外省人は、旧日本人住宅ではなくバラックに住んだ。
自らを中国人とみなした蒋介石が死去し、本省人である李登輝が総統になると、本省人と外省人の区別自体が無意味という意識が台湾で一般的になった。李登輝はかつて馬英九に対する応援演説で「500年前だろうが50年前だろうが、台湾に渡ってきた人はみんな新台湾人だ。これからはみんな21世紀に向かって、この土地で生きるものとして力を合わせて頑張ろう」と訴えた。近年は、選挙時期や歴史に関する議論を除けば、まれにしか両者は対立しない。
外省人と反日思想
外省人が反日思想を持っているわけでは、決してない。ただし靖国神社を参拝した台湾の議員団に卵を投げつけた台湾団結連盟靖国神社参拝事件を起こしたり、日本の国連常任理事国入りに反対したりしている人は、外省人である。
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