2011/6/1 12:32:25
弱者を抹殺する。
不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います。
自然界では弱肉強食という単語通り、弱い者が強い者に捕食される。
でも人間の社会では何故それが行
われないのでしょうか?
文明が開かれた頃は、種族同士の争いが行われ、弱い者は殺されて行きました。
ですが、今日の社会では弱者を税金だのなんだので、生かしてます。
優れた遺伝子が生き残るのが自然の摂理ではないのですか。
今の人間社会は理に適ってないのではないでしょうか。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463546664
2011/6/1 23:57:55
昔は姥捨山に婆さん捨てたり、明らかに障害のある子を取り上げたりしたら産婆さんが気を利かせて産湯に沈めたりしたんです。
それが人間の持つ本来の姿なんですよ。
だから今だって障害者が年金をもらえばうだうだ言う輩がいる。
人が人らしく生きるためにきれいごとを現実のものにしていかないとつじつまが合わなくなるのです。だから弱肉強食は封印しなくてはなりません。
そのことに疑問を感じる人を私は冷たい人間とは思わないんですよねー。
2011/6/1 22:58:51
殺人罪とゆう罪があるからです。
まぁ財力で言えば強いもの弱いもの、ありますよね。
自分に未来はないので今すぐ抹殺されてもいいですがね。生きてる方がつらい
2011/6/2 16:01:33
自然の摂理に従えば、どのような方法であれ、生き残っているのが「優れた遺伝子」だというだけです。
それ以外の基準は存在しません。
社会的な意味(一般的な価値観)での強者、弱者というのは関係ないんです。
2011/6/1 18:19:42
え~っと、、、よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません
弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません
虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています
***
自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です
個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます
全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます
個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません
ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです
種レベルでは「適者生存」です
この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません
「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです
(「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)
そして自然というものの特徴は、「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです
必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります
多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、、、、
あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り
「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです
そして「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです
「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります
人間の生存戦略は、、、、「社会性」
高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する
個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる"弱者"です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です
どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の"弱者"を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します
人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました
生物の生存戦略としては大成功でしょう
(生物が子孫を増やすのは本源的なものであり、そのこと自体の価値を問うてもそれは無意味です。「こんなに数を増やす必要があるのか?」という疑問は、自然界に立脚して論ずる限り意味を成しません)
昆虫にも頼れる「おばあちゃん」分泌液で敵撃退 (読売新聞)2010年6月21日14時40分
繁殖期を終えたアブラムシのメスが自分を犠牲にして、外敵から巣を守ることを東 京大学博士課程の植松圭吾さんらが発見した。
人間やクジラなどでは、メスが子育てを終えた後も長生きして血縁者に尽くす「おばあちゃん効果」が知られているが、昆虫で確認されたのは世界で初めて。
植松さんらは、常緑樹のイスノキに巣を作る「ヨシノミヤアブラムシ」を観察。テントウムシの幼虫などに襲われた時、成虫が腹の穴から白い分泌液を出し、体ごと敵に張り付いて行動の自由を奪うことを突き止めた。捨て身の行動をした成虫は、ほぼすべてが繁殖を終えたメス。繁殖後は卵の代わりに防衛用の分泌液で腹部を満たすように変化することも分かった。
リンク切れ http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100621-OYT1T00625.htm
「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ
あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です
遺伝子によって発現されるどういう"形質"が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です
例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれません
だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです
(「生まれつき目が見えないことが、どういう状況で有利になるのか?」という質問をしないでくださいね。それこそ誰にも読めないことなんです。自然とは、無数の可能性の塊であって、全てを計算しきるのは神ならぬ人間には不可能ですから)
BAよい説明だなあ。現代で「疾病」や「障害」とされている性質の生存戦略的な冗長性については、古くは鎌形赤血球とか、最近ではADHDなんかもあるよね。 2014/07/16
こういう話を聞くといつも鎌状赤血球症は寒冷地では病気でしかないが、マラリアには強いらしいという話を思い出す。 2014/07/16
鎌状赤血球症(かまじょうせっけっきゅうしょう)は遺伝性の貧血病で、赤血球の形状が鎌状になり酸素運搬機能が低下して起こる貧血症。(中略)
遺伝子型がホモ接合型の場合、常時発症しているのでたいていは成人前に死亡するが、遺伝子型がヘテロ接合型の場合、低酸素状態でのみ発症するので通常の日常生活は営める。
(中略)ヘテロ接合の場合、40%程度なので、日常生活においては発症はしない。 酸素分圧が低下すると異常なβ鎖が凝縮する。
分布と適応的意味
鎌状赤血球遺伝子を持つ者は、日本にはほとんど見られないが、マラリアが比較的多く発症するアフリカにはかなり見られる。鎌状赤血球の遺伝子とマラリアの流行には深い関係がある。マラリアは幼児期にかかると、死に至る可能性が高い感染症である。つまり、鎌状赤血球症自体は保有者の生存に不利であるが、マラリア蔓延地域ではその遺伝子をヘテロに持つものは非保有者と比べて相対的に自然選択において有利であり(生存確率が高い)、この遺伝子が維持されていると考えられている。
注意欠陥・多動性障害(ちゅういけっかん・たどうせいしょうがい、英: attention deficit hyperactivity disorder、ADHD)は、多動性、不注意、衝動性を症状の特徴とする発達障害もしくは行動障害である。(中略)
症状
集中困難・過活動・不注意などの症状が通常7歳までに確認されるが、過活動が顕著でない不注意優勢型の場合、幼少期には周囲が気付かない場合も多い。
年齢が上がるにつれて見かけ上の「多動(落ち着きがなくイライラしているように見える)」は減少するため、かつては子供だけの症状であり、成人になるにしたがって改善されると考えられていたが、近年は大人になっても残る可能性があると理解されている。その場合は多動ではなく、感情的な衝動性(言動に安定性がない、順序立てた考えよりも感情が先行しがち、論理が飛躍した短絡的な結論に至りやすい)や注意力(シャツをズボンから出し忘れる、ファスナーを締め忘れるといったミスが日常生活で頻発する、など)や集中力の欠如が多い。(中略)
その他
ADHDを障害としてではなく、生物の進化の過程で発現した個性であると捉える枠組みもある。(中略)
障害を理解したうえでの適切なヘルプは必要ではあるが、本人が問題を起こす理由が障害によるものなのか、単に本人の人生経験などの不足が原因で問題が起きているのかについては客観的な視点から判断することは難しく、それだけをもって線引きをすることが容易ではないという問題もある(後者は後述の「自称ADHD」にあたる可能性がある)。しかしその反面、歴史上の偉人・芸術家・発明家など、天才と言われる人たちの多くがADHDだったのではないかという説がある。
ADHDは知能の低下には影響を及ぼさず、むしろ一般よりもかなり高い知能をしめす者も多いとする主張も存在する。実際には診断基準が確立される以前の人物の知能を測定するすべはなく、信憑性が低い。しかし、その説を根拠に「ADHD優越論」を唱える人や、医学的な診断を経ていないにもかかわらずADHDを公言する「自称ADHD」という人たちが存在し、この点は他の障害には見られない特徴といえる。このような点からも、ADHDへのサポートには他の障害者へのサポートとは異なる面が多くあり、単純ではない。
アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね
ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです
その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです
だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです
「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです
我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです
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