日本は自然災害大国で、なおかつ世界最高峰の社会インフラと治安を誇っているにも関わらず、被災者支援策のレベルが驚くほど低いと言われていました。被災者が要望を出すと「わがまま言うな!」と怒る人もいますし、被災者側の視点が弱いのかもしれません。
2018/07/13:
●日本の常識である避難生活なら体育館、海外では非常識
●劣悪な避難所が被災者を殺しているという現実
●日本政府は自己責任論で人間軽視・モノ重視
●自然災害大国なのになぜかソマリアより悪い日本の被災者対策
2017/3/14:日本は自然災害大国です。危機意識を持って語られることもありますが、外国人がパニックの中で地震の揺れに動じない日本人…なんて話は、自慢気に語られることもしばしばです。
ただ、避難者・被災者対策という点で見ると、日本は途上国以下ではないか?と指摘している方がいました。後述するように、この印象は熊本地震においても変わらなかったとのことです。
なぜ日本の避難者対策は「ソマリア以下」なのか:日経ビジネスオンライン 國井 修 2016年7月6日
過去の大規模災害は多くの教訓を残し、それを通じて多くの改善もなされてきた。
例えば、都市直下型地震の阪神淡路大震災ではその甚大な被害から防災対策が徹底的に見直され、建造物の耐震化を含め多くの改善につながった。(中略)
しかしながら、阪神淡路大震災のすべての教訓が東日本大震災で活かされたとはいえなかった。
(中略)東日本大震災では阪神淡路大震災どころか、途上国の災害支援と比較しても「こんな対応でいいの?」と首を傾げることが多かったのである。日本には資源(ヒト・カネ・モノ)があるのに、どうしてこの程度の緊急支援に留まってしまうのだろう。そんな驚きであり、悔しさでもあった。
ソマリアでは、例えば、食糧配給が不十分な場合には、特に妊産婦や子供にはタンパク、ビタミン、ミネラルなどが豊富な補助栄養を提供し、ビタミンAや鉄剤などの微量栄養素も与えるといったことが行われていました。栄養スクリーニング、乳幼児検診、産前検診をキャンプ内で日常的に実施し、予防接種やマラリア予防の蚊帳など現地で流行しうる感染症への予防対策も行っています。
社会インフラも治安も世界最悪といわれていたソマリアでは、そう簡単にサービスを届けられない場所も実際にはあるそうです。しかし、そんな劣悪な状況下でも、これらの最低基準を超えることも不可能ではなかったとしていました。
ということで、「ソマリアですら」という感覚だったので、世界最高峰の社会インフラや治安である日本の東日本大震災の現場の状況に驚いたそうです。
発災後1か月を経っても、津波で車や家が流され破壊され、時には墓石が散乱しているような、凄惨な光景が周りに広がる学校の体育館や校舎で人々が避難生活をしていました。体育館の床の上に毛布を敷いてそのまま寝ている空間は、1人当たり1畳程度で、仕切りもなくプライバシーもない状態だったといいます。
●民主党政権が悪かった…とは言えない
東日本大震災のときに悪かったと聞くと、喜んで民主党非難に走る人がいると思ったので、先に「この印象は熊本地震においても変わらなかった」と釘を刺しておきました。
指摘が多すぎるので省略しますが、「避難所は仕切りがなく、1人1畳程度の生活スペースしかない」「床に毛布を敷いただけの上に寝ている、そのため腰痛や背部痛を訴える人が多い」といった問題点が挙げられています。
主に発災後1~3週間ほどの情報であり、2か月を過ぎた現在では状況は改善されているそうですが、それでも、作者は「愕然としてしまった」といいます。
●助けられる側の視点が欠けた支援
作者は、日本には管轄する省庁が策定した「地震対策マニュアル策定指針」などがあるものの、"これらは行政・サービス提供者側の視点で書かれており、被災者・避難者の視点、民間支援の観点が足りない"と指摘していました。
私がこの話を読んでいて思ったのは、日本人には「困難な状況なのだからそれくらい我慢しろ」というのがあるのかな?ということ。これは前述の治安の高さの理由ともされていますが、協調性とか周囲との同調とかを求められることも多いですよね。
また、
わがままな被災者?被災地お断りの震災ボランティアや千羽鶴・寄せ書き・心のケアなどでやったように、送られて困る支援物資について「そんなことを言う被災者はわがままだ」という非難があります。
こちらもやはり助ける側が中心であり、そこに助けられる側の視点が欠けているというもの。支援者側の都合を優先して被災者に我慢を強いるって方が、実際にはよっぽどわがままだと思うのですけど…。
●日本の常識である避難生活なら体育館、海外では非常識
2018/07/13:同じような指摘だと思われる
自然災害大国の避難が「体育館生活」であることへの大きな違和感(大前 治) | 現代ビジネス(2018/7/10)という記事を見つけたので追記。
日本では、自然災害時の避難生活の場所としては、床に毛布を敷いて大勢がひしめきあう体育館のイメージを思い浮かべます。エアコンや間仕切りはないことが多く、「人々の生活環境は劣悪」です。これは日本では当たり前のことになっています。
しかし、日本では当たり前というだけであり、海外では当たり前ではありません。今回の記事であったのは、2009年4月のイタリア中部ラクイラ地震の例。このときには、初動48時間以内に6人用のテント約3000張(18,000人分)が設置され、最終的には同テント約6000張(36,000人分)が行きわたりました。
テントじゃねーか?と思うかもしれませんけど、電化されてエアコン付き。さらに、テントに避難したのは約28,000人であり、それより多い約34,000人が公費でホテルでの避難を指示されています。また、通常のベッドが大量に提供された他、野外キッチン、バス・トイレコンテナなども多数提供されました。
●劣悪な避難所が被災者を殺しているという現実
イタリアの例と比較すると、日本での「体育館での避難生活」には次の問題点があるとのこと。
・そもそも災害避難用や宿泊用の施設ではない
・1人あたりの面積が狭い
・大人数のため常に騒音や混雑感があり落ち着かない
・1人用のベッドや布団がない、または不足している
・エアコンや入浴施設がない
・調理施設がなく、温かい料理が供給されない
最初の投稿でもあったように、日本は世界で有数の経済大国であるにもかかわらず、国際赤十字が提唱する最低基準(スフィア基準)にそもそも全く届かないというめちゃくちゃなことになっています。
2016年の熊本地震では、地震の後で体調を崩すなどして死亡に至った「震災関連死」のうち45%にあたる95人が避難所生活や車中泊を経験していたとのこと(NHK調べ・2018年5月1日現在)。人命に関わる深刻な問題なのです。
●日本政府は自己責任論で人間軽視・モノ重視
イタリアの例と最も大きく違うのは、自治体への任せ切りにせず、国家が備蓄をすることにより全国各地への迅速な対応を可能としている点であるようです。
また、援助を受けることは避難者の「権利」であると位置付けている国際赤十字の考え方を、日本政府は反映していません。それどころか、内閣府が作成した避難所パンフレットをみても、国民が権利を有するという視点はなく、むしろ国民は避難所でルールに従いなさいと言わんばかりの記載ばかり。
避難生活も生活再建も、あくまで「自己責任」が原則であるという政府の姿勢が見えてくると、作者は指摘していました。政府の復興予算は「人への支援」ではなく「物への支援」ばかりであることも指摘されており、一貫した人間軽視の姿勢がこのような違いになっているのではないか、といった感じです。
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