昨年11月11日の
「ノーベル文学賞」を決める根拠はどこに?:日経ビジネスオンライン(市川真人)によると、ノーベル文学賞の選考を担うのは「スウェーデン・アカデミー」です。
このスウェーデン・アカデミーの"サイトや柏倉康夫『
ノーベル文学賞
』(吉田書店)によれば、選考過程は次のようなものだ"とのこと。
(1)前年9月に世界中の600~700人宛に候補者選出のための投票用紙が送られる。
(2)届いた百数十名のリストを、アカデミー会員18名中5名で構成される「文学ノーベル委員会」が検討する。
(3)文学ノーベル委員会は、15~20人を第1次候補者、さらに5人を最終候補とするべく夏休みを除いて毎週木曜日に開かれる例会で議論する。
この後、最後の1人への絞り込みについては書いておらず、18人でやるのかもしれませんが、ノーベル委員会は上記の通りたった5人によって決められます。また、アカデミー会員18名の中には80歳以上の方が5名もいるそうです。最高齢の方なんかは"1918年生まれの95歳"とありましたので、今年もご存命であれば96歳でしょう。全体にかなり高齢なのかもしれません。
これらについて作者の市川真人さんは、「ノーベル文学賞が世界で最も権威ある文学賞である根拠を、そうした選考過程や彼らの基準への信頼に見出すことは、いささか心もとない」としています。
では、ノーベル文学賞の権威はどのようにして作られているのでしょう?
市川さんは「権威はときに権威であることによってみずからの権威性を確保する」「過去の受賞者の重厚なリストも、そうした権威を支えもするだろう」としています。
ただ、ありたがられて読まれない無名の作家も多く、"カフカやサン=テグジュペリやプルーストやボルヘスに授与することのなかった賞を、100%信頼などできるだろうか"とも書いています。そして、挙句の果てには、"「文学」という曖昧な、そして曖昧であることにおいて普遍的であるようなジャンルにおいて、絶対の信頼がおける選考などありえない"としていました。
ですから、市川さんが"ノーベル文学賞の信頼と普遍性を担保する"と考えているのは、これらではありません。何とそれは「6つの部門を持つ『ノーベル賞』の一部門である」ことだとしていました。
"化学・物理学・医学生理学・経済学そして平和という、まるでかけ離れた各部門のそれぞれが、互いに他部門の宣伝であり保証であるような枠組みを、ノーベル賞は持っている"という解釈です。
こういった権威付けの解釈はおもしろいのですが、実は私が一番おもしろかったのは、日本の芥川・直木賞の価値についてです。
芥川賞以外にも、純文学の新人に関する賞は他にもあるそうです。三島由紀夫賞と野間文芸新人賞です。実は"選考委員も候補作も、少なからず重複している"としていました。また、"「三島」「野間新人」「芥川」の3つの賞は、「新潮」「講談」「文春」3つの出版社がそれぞれ設置・運営している新人賞だと言って"良く、出版社による賞という点でも本質的にはいっしょのようです。
しかし、"受賞した作家がその後により権威のある賞を受けても「芥川賞作家」の肩書きで呼ばれ続けるように、芥川賞(と直木賞)は、ほかふたつの賞の何十倍も話題"になります。芥川賞と三島由紀夫賞・野間文芸新人賞の違いは、いったいどこにあるのでしょう?
市川さんが成功している芥川賞と似ているものとして挙げていたのが、一見全然違いそうな「本屋大賞」です。記事では軽くしか紹介されていませんが、本屋大賞は、新刊を扱う書店の書店員の投票によってノミネート作品および受賞作が決定される賞です。本屋大賞はこの書店員による選考というのが肝のようです。
これを頭に入れて、純文学の新人賞の方を見てみます。市川さんが注目していたのは、3つの文学賞における授賞式の出席者の違いです。
"三島賞や野間新人賞も含めた多くの文学賞の授賞式の来客は、作家や詩人・批評家といった物書きに加えて、新聞記者やフリーの編集者、そして出版社に籍を置く編集者や営業マンなどが多くを占めてい"ます。普通ですね。
一方の芥川・直木賞の授賞式には、印刷・製本などの関連業界の人たちや全国の書店の経営者たちだそうです。マスメディアの影響力に比べると小さいような気がしますが、これが"芥川・直木賞がとびぬけて話題になる仕組み"だとしていました。以下のような解説です。
書店の経営者たちを授賞式に招くことは、畢竟、受賞者や受賞作を、さらには賞それ自体を、そのひとたちに身近に感じてもらう契機になる。経営者たちが身近に感じれば、受賞作の掲載された「文藝春秋」や「オール讀物」などの雑誌や受賞作の単行本を、自分の店のいちばんいい場所に置いてくれる。ポスターだって目立つところに張ってよい気がしてくるだろう。結果、日本中の書店が受賞作のショウ・ウィンドウになり、人々の興味を引くのはもちろんのこと、メディアもそれを共通の話題として取り上げやすくなる、というわけだ。
市川真人さんは、これについて"熟議や権威が信じられた20世紀から、民主主義的イメージとネットワーク&クラウド化が合致した21世紀へと、時代は移り行きつつある"としていました。
そして、古臭そうな気がするノーベル賞というものも、「賞のメディアミックス」のような有り様は"従来とは違った意味で着目"されるべき特徴だと感じているようです。
こういう権威がどのようにしてできるか?というのはおもしろいですね。以前、食べログの作った賞がボロクソに叩かれていたときに、じゃあ、他の賞はどうなの?という話を下書きしてお蔵入りさせていました。何でお蔵入りさせていたか?と言うと、興味を持たれない内容だろうなと思っていたためです。
投入するチャンスは他になさそうですし、本日いっしょに投稿しておきます。 →
権威付けとその批判 ノーベル賞などと食べログステッカーの違いは? 関連
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