●体罰を無くすと銃乱射事件? 厳しいしつけで非行・犯罪防止説
2014/10/26:銃乱射事件についての話を読んでいたら、思いがけず体罰肯定派に有利な情報が載っていました。この情報が載っていたのは、
Wikipediaのスクールシューティングという項目。このスクールシューティングとは、教育機関において起こる銃犯罪のことです。以下のようにあり、「一つの例外もなく児童への体罰が禁止されている国家ばかり」の部分は太字になっていました。
<2013年現在、銃乱射の発生した地域は
一つの例外もなく児童への体罰が禁止されている国家ばかりである。アメリカは州によって違うが、体罰全廃州の銃乱射事件は後を絶たない。鞭打ち刑を擁するシンガポールでは校内銃乱射事件は発生していない>
ただし、ここは出典がない部分。「Wikipediaは信頼できない」という主張があるものの、より細かくは引用元で信頼性を見るべきで、出典なしというのは信頼性が最低です。体罰肯定派の捏造かな?とも思いました。気になってこの部分を書いた作者の編集履歴を見たところ、特に思想があるわけじゃなさそうしたけどね。
じゃあ、
英語版ウィキペディアから持ってきたのかな?と眺めてみると、特にそういう話はありませんね。英語版ウィキペディアで目についたのは、学校のいじめに関する記述でした。体罰をしないと銃乱射事件が起きる…という話とはずいぶんイメージの異なる話です。
●銃乱射の発生した地域はすべて体罰禁止地域というのは本当か?
次に体罰と銃乱射事件で検索。すると、信頼性のある記述かどうか以前に、そもそもこの組み合わせの話自体が少ないです。主張の怪しさがさらに増しました。ちなみにこの検索ワードでトップで出てきたのは、以下の
Wikipediaで、むしろブーメランな感じでした。
<テキサスタワー乱射事件(テキサスタワー乱射事件)とは、1966年8月1日にアメリカ合衆国のテキサス大学オースティン校で発生した銃乱射事件である。(中略)
犯人であるチャールズ・ジョセフ・ホイットマン(Charles Joseph Whitman)は1941年6月24日生まれ。裕福な中流上層家庭で何不自由なく育った。成績優秀でスポーツ万能、音楽の才能を示すなど、恵まれた少年時代を過ごしている。その一方、厳格な父親からは体罰を含む厳しいしつけを受け、父との関係は悪かった>
体罰との関連性には直接指摘がありません。特に関係ないと考えた方が良いでしょう。とはいえ、体罰を含む厳しいしつけを受けた生徒が銃乱射事件を起こしたのですから、それだけで「銃乱射の発生した地域は一つの例外もなく児童への体罰が禁止されている国家ばかり」という主張は崩れます。
●体罰禁止で銃乱射事件説、研究論文ではなく本が元ネタの可能性
ここで「しつけ」に関する話があったので、今度はこちらをキーワードに検索。すると、
(PDF)〔東京家政大学 臨床相談センター紀要 第3集 P.19~28,2003〕アメリカの学校における銃乱射事件の分析 越智 啓太という論文が出てきました。こちらによると「アメリカの自由主義的で民主的な教育(しつけ)が銃乱射の原因の一つである」といったことを書いたRosemondさんという方の本が、アメリカでベストセラーになったそうです。この本が元ネタである可能性が高そうでした。
<彼によれば、子供の教育においては、善悪のけじめをつける規範的な教育が重要であり、そのためには、権威や威厳を持った大人が、ある程度の体罰を含む方法で、規範を教え込むといった教育が不可欠である。ところが、近年の教育の多くは、子供が悪いことをしても、言葉でやわらかく説得するだけで強く叱らないし、両親や父母の威厳はきわあて低下し、むしろ友人と同様な関係である。このような状況下では、そもそも規範を学習することはできない。規範を学習しなかったこどもは非行や犯罪、そして銃乱射犯罪に手を染めるようになっていく、というのである>
体罰に賛同する人の多い日本でも非常にウケそうな説です。ただ、論文の著者は"このような主張はいくつかの非常に重要な論点を含んでいると思われる"と前置きしつつも、"この主張を裏付ける実証的なデータは非常に少ない"としていました。ただ、不利な情報がこの前の部分にあったんですよね。
<親からのネグレクトや虐待などの悪い家庭環境、悪い生育環境、などの要因は銃乱射と関係がないようである。銃乱射犯人の中には悪い環境で育ったものもよい環境で育ったものもいる(むしろ中流家庭で育ったケースに多いという指摘もある)>
以上のように、あまり育った環境に傾向がないのです。この傾向のなさというのが、厳しいしつけ・体罰説を否定するポイントとなります。また、先程はかなり慎重な書き方をしていたものの、実を言うと、この後むしろかなり明確に否定する考察をしていました。
体罰禁止で銃乱射事件が起きるという説が否定される理由のひとつは、"銃乱射犯人の家庭環境の多様性"を考えると、"アメリカのすべての階層にこのような教育方針が等しくいきわたって"いなくてはならないのですが、そうは考えづらいというものです。
もう一つ、仮に民主的なしつけが"非行や犯罪、そして銃乱射犯罪に手を染めるようになっていく"のであれば、"少年犯罪や少年非行全般にっいて、増加傾向が示されるはずである"が、実際には"校内暴力の実数や犯罪の実数はむしろ減少して"いるということ。むしろ体罰禁止の方が良いようです。
後者については校内暴力や犯罪と分けて、民主的なしつけは非行や犯罪を減らすけど銃乱射事件は増やすといった体罰肯定派による反論は可能です。ただ、この反論では結局体罰が一部悪い方向に働くことを認めており、体罰肯定派にとっては体罰推奨の論拠が極めて弱くなるため、そういう主張はしないでしょうね。
●「一つの例外もなく体罰禁止国ばかり」どころか逆の例が多すぎ
これだけでもう大体結論は出た感じ。体罰を無くすと銃乱射事件説はトンデモな俗論でしょうね。ただ、最初のスクールシューティングに戻って、本当に「銃乱射の発生した地域は一つの例外もなく児童への体罰が禁止されている国家ばかり」なのかとざっと眺めてみました。目についたのは、銃乱射事件が結構あるカナダです。
1975年5月28日 ブランプトン・センティニアル高校銃乱射事件
1975年10月27日 セントピウス・エックス高校銃乱射事件
1989年12月6日 モントリオール理工科大学虐殺事件
1992年8月24日 コンコルディア大学銃乱射事件
1999年4月28日 W.R.マイヤーズ高校銃乱射事件
2006年9月13日 ドーソン・カレッジ銃乱射事件
2007年5月23日 C.W. Jefferys Collegiate Institute shooting
2008年9月16日 Bendale Business and Technical Institute shooting
Wikipediaの体罰によると、カナダはこんな感じで、体罰が禁止されている国ではありません。この意味でも「銃乱射の発生した地域は一つの例外もなく児童への体罰が禁止されている国家ばかり」という主張が崩れます。むしろこの説に有利に働く話が全然出てこないですね。
<カナダでは父母と教員の体罰は合法という最高裁判決が存在する。もっとも、ここで言われている体罰は、一般に犯罪を構成しないものに限られていることは言うまでもない。上記、カナダの最高裁判決によれば、頭に体罰を加えることは許されない、定規やベルト等の道具を使うことも許されないとし、「合理的な範囲」での体罰のみ許容されるとする>
執筆者の方は知らなかったんだと思いますし、私もすっかり忘れていたんですが、我が日本においても体罰は禁止されており、「法律で体罰を禁止している国」の中に何食わぬ顔で入っていました。で、法律で体罰を禁止している日本で銃乱射事件が多発しているか?と言うともちろんそうではありません。
最初見たときはひょっとしたら説得力ある体罰推進説になりうるかもと思ってしまった(今考えると恥ずかしい!)のですが、かなり粗だらけのトンデモ説でした。
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