3Dプリンター、発明したのは日本人 なのに逃した特許:朝日新聞デジタル(2014年9月15日05時50分)によると、3Dプリンターの発明者は日本人だと言います。
その日本人の名は小玉秀男(64)。名古屋市工業研究所に勤務していました。小玉さんは、1980年2月に名古屋市で開かれていた展示会において、以下の展示を見ています。
ガラス板の台座に液体樹脂が塗られていた。樹脂は光が当たった部分だけが固まる性質があり、洗い流すと固まった部分だけが盛り上がった。文字の形に光をあてると、その部分だけが盛り上がってハンコのようになり、そこにインクをつけて新聞を刷る――という仕組みだった。
帰りのバスの中で、"この工程を繰り返して樹脂を重ねれば、立体物が作れる"とひらめきます。実際、4月には"細かい間取りやらせん階段、食卓まで作り込まれ"た2階建ての家を作れました。ここまでは順調でした。
そこで小玉さんは、"特許を申請しようと周囲に相談"しました。ところが、"職務上の発明ではないと受け止められ、職場の支援は得られ"ませんでした。仕方なく、"自力で特許は申請"。
さらに"論文を書いて日本と海外で発表"するも、早すぎた偉大な発明は受け入れられず、"反響は芳しくな"かったとのこと。「意気消沈」した小玉さんは、特許を得るにのに必要な申請後の「審査請求」手続きをしませんでした。
その小玉さんが、1995年に"英国の民間財団が優れた発明に贈る「ランク賞」を受賞"しました。このイギリスの「ランク賞」というのは、同じ名古屋に縁のあるノーベル物理学賞の天野浩名古屋大学教授が1998年に受賞している賞と同じものだと思われます。
実はこのとき小玉さんと共同受賞したアメリカのチャールズ・ハルさん。この方は"84年に特許出願し、3Dシステムズというベンチャーを起業し"た人です。小玉さんの発明の4年後のことですね。
ハルさんの3Dシステムズは今では3Dプリンターの世界ナンバー2。小玉さんは"もし自分が先に特許を取得していたら、日本だけで40億円、米国でも取得していたらもう1けた多い利益が日本側に生まれていたはず"としています。その上で「失敗したと、悔しい思いをした。自分の研究成果の意義をもっと分かってもらう努力をすべきだった」と悔しがります。

つくづく日本人は技術開発は得意でもそれをどう活かせるか…というところの嗅覚が弱いなぁと感じます。ただ、このケースの場合は海外での論文発表でも先見的すぎたのか、好評ではありませんでした。チャールズ・ハルさんのときはどのような状況だったかは不明ですが、信念が強かったのかもしれません。
私が思い出したのは、マネーの虎で知った抱き枕カバーの話です。マネーの虎では出資を得られなかったものの、後にキャラクター抱き枕カバーの大きな市場ができあがっています。マネーの虎としては大きなビジネスチャンスを逃した可能性があります。
(ただし、
マネーの虎 - Wikipedia(2014年10月7日 (火) 08:12)によると、発案者の方は自力で会社を設立も倒産しているとのこと。後に同人誌即売会イベンターとして復活して成功という形です)

あと、日本の起業・ベンチャー文化との絡みで…という話も途中まで書いてみたのですが、うまくまとまらなかったのでこちらはボツ。とにかく残念な話でした。
関連
■
【クイズ】これまでに発掘された金の産出量と埋蔵量は50メートルプール何杯分でしょう? ■
石油は植物の化石…は間違いだった?近年注目の石油無機起源説 ■
超電導送電・超電導ケーブルは日本がリード 世界初の電車の走行試験 ■
理研のスパコン京の無駄 コストパフォーマンス最悪でランキングも低下 ■
アインシュタインが原爆(原子爆弾)の開発者という日本人の誤解 ■
科学・疑似科学についての投稿まとめ
Appendix
広告
【過去の人気投稿】厳選300投稿からランダム表示
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
|