何か以前にも誰かの子孫の方が「うちの祖先は人気し過ぎで違和感を感じる」と言っていた気がします。あれも織田信長じゃないかったかなぁ…と思ってだいぶ探したんですが、見つかりませんでした。
とりあえず、今回は
織田家第18代当主「『本能寺の変』後、2系統4家が江戸時代まで大名として生き残る」 〈週刊朝日〉|dot.ドット 朝日新聞出版(週刊朝日 2014年11月14日号)から、織田家第18代当主・織田信孝(のぶたか)さんの話。信孝は、信長の三男と同じ名前ですね。
現代の信孝さんは、「信長の人気って、僕が子どものころは、今ほどではなかったように思います」とおっしゃっていました。"小学生のとき、授業で比叡山延暦寺の焼き打ちの話が出て"くると、誰かが「織田の先祖は人をたくさん殺した」と言って教室では盛り上がる展開に。
信孝さんとしてもちょっと困ったわけですが、「一般的なイメージが、信長イコール英雄では決してなかった」というエピソードですね。「ネガティブな部分」のイメージも強かったのかもしれません。
しかし、「今は、新しい時代をつくるためには、強引な手段が必要だったとか、比叡山も平和な人たちではなく僧兵がいただろう、と言う人がけっこう多い」とのこと。「子孫としては複雑で、マイナス面が語られなくなったぶん、人気出すぎの感もある」としていました。
以降は信孝さんの予想であり、根拠のあるものではありませんが、“名声インフレ”は以下のような流れではないか?としていました。
1980年代半ば 津本陽「下天は夢か」が日経新聞に連載あたりが発端
その少し前 「信長の野望」というゲームが発売
90年代 NHK大河ドラマ「信長」が放送
"経済が成熟して、社会の仕組みや価値観を変えるような新しいことが求められるようになった"ので、"秀吉や家康のように努力型や忍耐型"より、"天才型の信長がすごく魅力的に見えるんじゃないかな"とも書いていました。
ところで、元記事のタイトルは"織田家第18代当主「『本能寺の変』後、2系統4家が江戸時代まで大名として生き残る」"で、織田家の子孫の話がメインでした。
信長の次男・信雄系 柏原藩(兵庫県丹波市)、天童藩(山形県天童市)
信長の弟・有楽斎(うらくさい)系 柳本藩(奈良県天理市)、芝村藩(奈良県桜井市)
信孝さんは、柏原藩系です。柏原藩は2万石。これは小大名と言って良いでしょうね。他も同程度の規模だそう。
"祖父の代までは、東京・恵比寿に2千坪の屋敷"があったものの、今はなし。"柏原に残る蔵には、鎧兜やなぎなたがありましたけど、金銭的には二束三文でしょう"とのことで、"資産と言えるようなものは何一つない"そうです。
あと、以前読んだかもと検索した際に、18代当主・織田信孝さんはフリージャーナリストで、織田孝一というペンネームで活動していることがわかりました。
また、
織田孝一 - Wikipedia(2014年7月22日 (火) 14:00)によると、"曽祖父信親は養子であり、血統では藤原南家工藤氏流内田氏の子孫にあたる"そうです。な~んだと思うかもしれませんが、以前の日本の感覚では血の繋がりよりも、家が続くことを重視していました。そのため、養子で繋いでいる一族は多いです。
現代の感覚の方が特異なんでしょうね。
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