2014/12/20:
●性善説と性悪説、間違った意味が浸透 「人間は善」という意味ではない
●何もせずともみんな善人という意味じゃない!発展させる必要がある
●現実に人は悪事を働いている!性善説は現実を完全に無視した考え方
●研究で判明!脳が錯覚をおこして人は意識せずに悪いことをする
●悪人が悪人顔をしてるとは限らない、善良そうな普通の人も…
●誰もが悪いことをしてしまう可能性…免れる方法は存在するのか?
●性善説と性悪説、間違った意味が浸透 「人間は善」という意味ではない
2014/12/20:言葉というのは常に変化していくものですので、「○○という言葉は間違っている!」と得意気に指摘する人はあまり良くないと思っています。ただ、実を言うと、私にも気になってしまう言葉の使い方というのはあります。
どうしても気になってしまう言葉というのは、例えば、元の意味からはほぼ正反対の意味で使うようになってしまったもの。このように人によって正反対の意味で使うとなると、ややこしくなりますし、どうしても違和感があります。で、そういう気になる言葉の一つが「性善説」なのです。
性善説 - Wikipedia(2013年12月14日 (土) 13:45)では、<今日「性善説」という言葉は「人は本質として善であるため、放っておいても悪を行わないとする楽天主義」という意味で用いられることが少なくない>と書いていました。
さらに、用法を見ていると、「本質として善」というところすら薄れて、単に「人間は善であるので信頼しましょう」という趣旨の使い方がされることがあります。たとえば、レストランで誤表示があったときにレシート無しで返金というニュースで、「性善説に基いてんだろうけど、そんなことすりゃズルする奴出るに決まってるだろ」みたいな使い方ですね。
それから、「性善説」とセットにされることの多い「性悪説」は、逆に「人間は悪であるので、信頼せずに疑っていきましょう」といった使い方をされることがあります。返金の話であれば、「性悪説に基いて、レシート無しでの返金はやめるべき」といった使い方ですね。
●何もせずともみんな善人という意味じゃない!発展させる必要がある
ところが、これらは本来の意味とは異なります。Wikipediaでは、「性善説」を唱えた孟子も、<人の「性」は善であっても放っておけば悪を行うようになってしまうため、「聖人の教え」や「礼」などによることが必要であると説いている>としていました。
ただし、Wikipediaの説明は全然わかりやすくありませんので、本来の意味に関しては、別のところを見てみましょう。比較的わかりやすいかな?というのは、
デジタル大辞泉の説明。こちらによると、本来は以下のような意味だそうな。
性善説…人間にはもともと善の端緒がそなわっており、それを発展させれば徳性にまで達することができるとする説。孟子が唱えた。
性悪説…人間の本性は悪であり、たゆみない努力・修養によって善の状態に達することができるとする説。荀子(じゅんし)が唱えた。
●現実に人は悪事を働いている!性善説は現実を完全に無視した考え方
性悪説 - Wikipedia(2014年5月20日 (火) 06:18)から少し補足しておくと、"ここで言う悪とは、「(人間は様々な意味で)弱い存在」という程度の意味であり、「悪=罪(犯罪あるいは悪事)」という意味では無い"としていました。
ただ、これ、意味がわかりづらいですよね。私もよくわかりません。とりあえず、現在、一般的に使われる「悪」というのは、ストレートに悪いことって意味です。
そして、私がこの「人は本質として善であるため、放っておいても悪を行わないとする楽天主義」という性善説が気持ち悪いと感じるのは、そもそも現実に悪いことをしている人間がたくさんいるのに、その事実を一切無視して「人間は悪いことをしない」といった用法で使われていること。
現実に起きていないことを前提とした主張なんて、意味がわかりません。なので、この用法は改めて行ってほしいなぁと思います。こういう非現実的な考え方を元に対応していると、間違いも起こってしまいます。
●研究で判明!脳が錯覚をおこして人は意識せずに悪いことをする
…この話は前々から書きたいと思っていたんですが、どうせ他の人も書いているだろうし…と思っていたので、あまり書く気が起きずに後回しにしてきました。で、なぜ今になって書いたか?と言うと、
請求書をごまかして逮捕される人の“脳内錯覚”:日経ビジネスオンライン(佐藤 智恵 2014年11月6日(木))という記事を紹介したかったためです。
サンドラ・サッチャー・ハーバードビジネススクール教授は、スタンフォード大学のアルバート・バンデューラ名誉教授が“道徳離脱”についての論文を紹介しています。<人間が悪いことをしているという認識すらなく悪いことをしてしまうのは、脳が錯覚をおこすからだ>という論文です。
サッチャー教授は、ある大企業に勤めていた男性の話を例に出しています。この男性は、個人経営の会社を設立し、妻の名義にしました。そして、夫は大企業から自分の会社に仕事を発注しはじめるのですが、妻名義なので誰も彼の会社だとは思っていませんでした"。
●悪人が悪人顔をしてるとは限らない、善良そうな普通の人も…
最初はまだ妻が仕事をした分に相応の報酬を支払っていましたので、いくらかマシでした。しかし、途中からさらに悪化。架空の発注のみとなり、金額もどんどんと増えていきました。
夫は「横領するためにやったわけではないのです。最初は小さな金額だったのにどんどん大きくなってしまった。誰でもやってしまうようなことだ」と言っていました。これは“責任の分散”が見受けられるとサッチャー教授は指摘しています。
“責任の分散”というのは先のバンデューラ名誉教授の論文で出てきたもので、「私だけがおかしなことやっているのではない。皆だってやっている。だから私がやったっていいですよね」といったものです。そして、次の段階で「自分よりこの人のほうがずっと悪いことをやっている」という比較をやるそうです。
このエピソードを見ると、夫妻は紛うことなき「悪」です。ただ、実際に会ってみると、どこにでもいる善良そうな夫妻だったそうです。いかにも悪そうな奴が悪そうなことをするという考え方もどうかな?と思いますが、教授はごく普通の人が悪に手を染めるものだという話をしています。
●誰もが悪いことをしてしまう可能性…免れる方法は存在するのか?
では、こういった悪に手を染めないようにすることは、可能なのでしょうか?
サッチャー教授は、"倫理観は両親、教師、自分が憧れる著名人など、人からの影響を受けながら、自然に形成されて"いくものの、"道徳形成を研究している心理学者は、自分で努力して身につけられると指摘"していると話していました。ポイントは以下3点です。
1.自分を人道的な人間で、モラル原則を守り行動する人間だとして信じること。たとえば、不正をする誘惑にかられそうになったとき、「私はこういうことをする人間ではないのだ」と言い聞かせる。
2.人への共感力を身につける。他人を生身の人間だと思わないことから生じる不正というのはとても多い。共感力とは、人と人とが倫理的な関係を結ぶ上で基礎となるもので、これも後天的に身につけることができる。嫌いな人、理解できない人も同じ人間なのだと思えば、「自分だったらどのように大切に扱われたいかな」と考える。そうすると嫌いな人であってもぞんざいに扱うようなことは出来なくなるはず。
3.「リフレクション」(内省)が大切だという研究もある。日記などに自分の思っていることを書くという行為は、倫理観を醸成するのにとても重要。何か決断しようとしているときも、書けば考えが整理されていくもの。紙に書いてあると客観的に理解できるし、間違った方向に行きそうなとき、軌道修正にも役立つ。
他人を強く批判していた人自身の不正がひどかった…みたいながたまに見られるのは、2の共感力のなさですかね。激しい主張ほど大衆にはウケますし、ネットでもそういう過激なのが流行るんですが、そういう人ほど怪しいのかもしれません。
ここまで書いてなんですが、結局、後半の話は、性善説・性悪説と全然絡めませんでしたね。人は放っておくと悪いことしちゃうよ…的な話繋がりということで、どうか一つよろしくお願いします。
(2020/06/11追記:読み直していて思いましたが、やはり合わない話ですね。そのうち移動するかもしれません)
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