神社の方はそのまま勘違いしておいてほしいと思うでしょうが、民俗学の新谷尚紀・国学院大学教授によると、「大きな金額のお金を賽銭で投げてもあまり意味はない」とのこと。
なぜか?と言うと、"お賽銭はあくまでもお祓いのためであって、御利益を購(あがな)うわけではないから"です。
お賽銭のこの「お祓い」という意味でむしろ重要なのは、投げ捨てることみたいですね。この話が出ていた記事はズバリ
日本人はなぜ賽銭を投げる 意外に知らぬ正月作法 :日本経済新聞(2015/1/2 6:30 松本治人)というものでした。
記事では、"日本人はなぜ賽銭を投げるのか"、"お金を神様に向かって投げるのは、考えてみればずいぶん失礼なしきたりだ"としていました。本当、失礼ですね。
しかし、新谷教授が言うには、「お金はケガレの吸引装置」なのだそうです。
"各地の古くからの祭事などでは、お金が人の身代わりとして「ケガレ」を引き受ける風習が残ってい"ます。「ケガレたものを投げ捨てることで、投げた本人は祓(はら)え清められる。きれいな心身で神の前に立つことができる」というわけです。
"欧州にもローマの「トレビの泉」にコインを投げて幸運を願うなど似た習慣がある"といった指摘もありました。
ところで、お賽銭を投げるのが失礼ですね…と同意したものの、私自身はお賽銭を投げるというイメージはありませんでした。
考えてみると私は初詣に行った覚えが無いですし、それ以外の時期でもお賽銭というものを入れた記憶すらありません。そもそも神社に行ったことが数えるほど。2、3回あるかないか…というくらいです。神社には全然縁がありません。
こういう人は珍しいのか、そうでもないのか? 信心深い…みたいなところとは、はるかに離れたところを歩んできました。
ただ、こういう話を読むこと自体は好きですね。記事では、他の話もあり、かなり雑多でした。お賽銭の話以外はあんまりでしたが、"正月はなぜ「おめでたい」のか"という非常に根本的な話に突っ込んでいたのはおもしろかったです。
"民俗学的には、正月は「年神様がやって来て、みなに1歳ずつ年齢を授ける日」だ"そうです。
「みなに1歳ずつ年齢を授ける日」について、記事では特に補足していませんでしたが、日本では比較的最近まで数え年が生きていました。1月1日にみな一斉に1歳年をとるものだったのです。
大みそかには過去の1年の良いことも悪いこともすべてリセットしてしまい、元旦にかけてはいわば真空状態。そこで、あらかじめ「おめでとう」と言って祝う「予祝」の言葉を口に出し、年神様から運気を招き寄せ新しい1年を幸運の年にしようとする狙いがあるという。さらに、めでたくも健康な形で年齢を重ねることができてお互いによかったね、と祝い合う意味もある。
「呪」や「祝」は紙一重みたいなことも言いますけど、呪いの言葉に似たイメージですね。口にすることで既成事実化してしまう感じです。
ああ、それより言霊(ことだま)と言った方が良かったでしょうか?
言霊 - Wikipedia( 2014年12月14日 (日) 10:46)
言霊(ことだま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。(中略)
概要
声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。
これまで何気なく「あけましておめでとうございます」と言ってきましたけど、なかなか前向きなもののようです。
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