わんこそばの話をまとめ。<地元岩手盛岡市の人はわんこそばを食べない?「初めて食べた…」>などをまとめています。
●岩手県名物わんこそば、「花巻起源説」と「盛岡起源説」がある
2023/05/17:
ウィキペディアでは、「わんこそば」について「岩手県(花巻、盛岡)に伝わる蕎麦(そば)の一種」との説明。後述するように、起源については「花巻起源説」と「盛岡起源説」の両方があるようです。以下の説明の後半部にあるように、「盛岡三大麺」とも言われるそうですが、これは花巻の人にとっては不満かもしれません。
<熱いそばつゆをくぐらせた一口大のそばを客のお椀に入れ、それを食べ終わるたびに、給仕がそのお椀に次々とそばを入れ続け、それを客が満腹になりふたを閉めるまで続けるというスタイルが基本となっている。なお、提供するわんこそば店によっては差異がある。
長野県の戸隠そば、島根県の出雲そばと共に、日本三大そばの一つとされる[2]。また、盛岡市では「盛岡冷麺・盛岡じゃじゃ麺・わんこそば」をセットで「盛岡三大麺」と称し、最近では「いわて三大麺」とも呼ばれる。 >
で、起源の話。ウィキペディアによると、「花巻起源説」と「盛岡起源説」はそれぞれ以下のとおりです。「盛岡起源説」の方の説明はやたらと短かったですし、花巻起源説の方が主流なのかもしれません。だとすると、やっぱりわんこそば「盛岡三大麺」に入れちゃうのはちょっと問題がありそう。「いわて三大麺」の方が穏当じゃないかと思います。
・ 花巻起源説[3][4][5][6]
<およそ400年前の慶長時代、当時の南部家27代目当主、南部利直が江戸に向かう際に花巻城に立ち寄り食事を所望した。「殿様に対して市民と同じ丼で差し上げる事は失礼」との発想から、山海の幸と共に漆器のお椀に一口だけのそばを試しに恐る恐る出したところ、利直はこれを「うまい」と何度もお代わりをした。という説。
その後明治時代になり花巻市の蕎麦屋「大畠家」が一般にもわんこそばを振る舞うようになり「お殿様の召上がったわんこそば」は市民の人気になった。大正から昭和初期にかけて花巻の一般家庭にはわんこそばの道具があり、「わんこそば」が楽しまれていた。
花巻市出身の斎藤市太郎氏が盛岡で始めた「わんこや」(現在廃業)が「わんこそば」を商標登録し、戦後から盛岡の蕎麦屋でもわんこそばが振舞われるようになった>
・ 盛岡起源説[7][8][9]
<盛岡出身の政治家・原敬(引用者注:1918年9月29日 - 1921年11月4日の 第19代 内閣総理大臣)が帰省して大好物のそばを食べた際に、「そばは椀コに限る」と言ったことが広まった。>
●地元岩手盛岡市の人はわんこそばを食べない?「初めて食べた…」
最近、盛岡市に関する投稿を強化していて、いろいろ盛岡市の話を探しています。その中で驚いたのは、盛岡市の人は普段、わんこそばを食べないということ。
盛岡市って意外と便利でグルメな街なんです。|盛岡市の賃貸物件|株式会社森の不動産によると、イベントがないと食べず、食べたことがない盛岡市民もかなりいるといいます。
<実は盛岡市民にとっては、レクリエーション的な食事になります。私も何年か前に自分の子供のレクリエーションで初めて食べた位、一般的な食事ではありません。(そりゃそうですよね・・週一なんかで大食いしていられませんもんね・・)食べたことのない盛岡市民もたくさんいる。というのが盛岡あるあるの一つです。
ちなみにわんこそば16杯で普通のかけそば1杯分になるそうです。例えばわんこそばを100杯食べたとして単純計算すると、かけそば6.25杯分ですね。普段からちょっと多めに食事している方はいけそうな量でしょうか??>
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