アイヌ語の「ペッ Pet」とは川のことであり、アイヌ語を由来とする現在の北海道地名にも数多く登場するが、子音で終わる名詞であり、和語にはない発音である。またアイヌ語に「ペ」と「ベ」の区別はなく、時によっては「ベ」に近い音になる。そのため、「ペッ Pet」で終わるアイヌ語地名の場合、基本的には母音で終わる和語に合わせる形で「ベツ」と書き表され、明治期以降多くの場合「別」の漢字が当てられた。現在の別海町でいえば、西別、本別、春別などがその例である。 |
『加賀家文書』を含む江戸時代の文書や地図には、別海は「ヘツカイ」、「ベツカイ」、「ヘツカヱ」といった様々な表記で登場しているが、中でも古いものとして、1790(寛政2)年の『夷酋列像附録』を挙げることができる。ここには、「蹩子葛乙(ベツカイ)」と漢字で記されカナでルビが振られているが、カナ書きを敢えて避けて当て字を用いている。なお、厚岸は「遏結失(アツケシ)」と3 文字にまとめられているのに対し、別海は「ベツカイ」の4 文字それぞれに漢字が当てられていることは注意すべき点である。「遏」に「アツ」の2 文字を当てることで、促音であることを表しているとも解釈できる。 |
松前奉行支配調役の荒井保恵やすとしが1809(文化6)年に著した『東行漫筆』には、番屋及び「子モロ夷人住居地名」のひとつとして「ヘツカイ」、「漁業場所」として「ベツカイ」が挙げられている。このように、「ヘツカイ」と「ベツカイ」が特に区別無く用いられている点は、加賀家文書も同様である。その他、「ベツカヱ」は『天保国絵図 松前国』(1838 年、国立公文書館所蔵、特083-0001)に見られる。 |
これらの文字から当時実際にどのように発音されていたかを断定するのは困難である。 濁点や半濁点は時に省略され、また「つまる音」、すなわち促音も現在のように小さな「ッ」 ではなく、大きな「ツ」で表記されていたからである。 |
開拓使が公刊した地図として、1876(明治9)年の『日本蝦夷地質要略之図』を挙げることができる。これは1872(明治5)年に開拓使に招聘されたアメリカ人地質鉱山技師ライマンが北海道中を調査旅行して作成された日本最初の広域地質図である。資料Ⅱ-3にその部分図を掲載したが、別海は「BEKKAI」と表記されている。釧路が「KUSURI」、根室が「NEMORO」と記されているなど、この時点における開拓使の地名把握とは一致しないと考えられるローマ字表記もあるものの、開拓使が発行した地図に「BEKKAI」と記されている。これ以降、明治期に発行され、別海がローマ字で記されている地図を挙げると、『北海道沿海図』(1883 年、資料Ⅱ-4)、『北海道地質略図』(1890 年、資料Ⅱ-5)、『北海道地質図』(1891 年、資料Ⅱ-6)、『北海道地質及鉱産図』(同年)29、『北海道地勢及鉱産図』(同年)であるが、そのいずれもが別海を「BEKKAI」と表記している。『北海道沿海図』を除けばすべて北海道庁及び道庁技師による地質図・鉱山図であるため、地名は再検討されずにそのまま使われた可能性はあるが、一貫して「BEKKAI」である。これらの地図の表記から判断する限り、「別海村」と地名が漢字で定められて以降、開拓使及び道庁はその呼び方を「べつかい」ではなく「べっかい」であると認識していたといえる。 |
ところが、明治初期に別海を訪れた外国人の残した文章及び地図を見ると、この開拓使と道庁の認識が、当時の住民の地名認識とは必ずしも一致していないことがわかる。「ブラキストン線」でその名を知られるイギリスの動物学者ブラキストンは、1869(明治2)年に北海道内各地を旅行し、10 月7 日に別海に立ち寄っている。この時の旅行記録を1872(明治5)年、イギリスの学術雑誌に発表しているが、その論文と地図において、ブラキストンは別海を「Bitszkai」と記している(資料Ⅱ-7)。ブラキストンが誰から聞き取ったのかは不明であるが、「べっかい」ではなく「べつかい」を聞き取ったものである。 |
1888(明治21)年にアイヌ民族の調査を行ったイギリス人ヒッチコックは、当時の別海(本別海)も訪れて家屋の写真なども残しているが、本文の中で二度にわたって別海の2種類の読み方を併記している。その文を抜粋すれば、"A similar house at Bekkai or Bitskai,near Nemuro"と、"At this village, Bekkai, or as the name was also pronounced,Bitskai"である。特に「べつかい村とも発音されていたべっかい村」と記した後者は重要であり、住民から聞き取とったことがはっきりしているのである。 (中略) その2年後の1890(明治23)年に北海道を一周旅行して別海も通過したイギリス人ランドーは、「Bitskai」と記しており、また同書に附されている北海道地図も同様に「Bitskai」である(資料Ⅱ-8)。厚岸を「Akkeshi」と記しているのとは対照的である。 |
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