(cache) asahi.com(朝日新聞社):元研究員と理研が和解 「論文改ざん」の発表を削除 - 社会 2010年4月6日23時40分
理化学研究所(埼玉県和光市)が研究者2人が論文データを改ざんしたと2004年に発表したことに対し、発表内容に誤りがあると主張していた元副主任研究員の男性(59)が6日、発表を取り消すことで理研と和解に合意したことを明らかにした。理研は同日、ホームページの発表を削除し、和解内容に書き換えた。
男性の弁護士が同日、会見した。和解の対象になったのは血小板が作られるメカニズムを解明したとして米医学誌に載った論文など共同執筆の3本。
論文2本について、男性は共同筆者としてデータ不正を見抜けなかったとは認めたが「積極的に関与したように表現したのは不適切だ」と主張、理研側がその主張を受け入れた。理研はこの理由について「論文にかかわったほかの研究者は関係ないと示そうとして、男性が積極的に関与したかのような表現になってしまった。男性には申し訳ない」としている。
別の1本については、理研は改ざんした図を使用したなどと発表。男性はこれを「不適正な加工」と認めたが「(論文の)結果に影響はない」とし、理研は男性が主張することに異議を唱えないことで和解したという。(杉本崇)
2004年12月
Genes & Development誌論文、JCB誌論文における疑義
”この2004年の理化学研究所の論文不正事件では、不正には関与していなかった責任著者(男性副主任研究員)も不正を見抜けなかった過失責任を問われ、理研理事者側からの退職勧奨により2004年9月30日に退職した。(中略)
2010年4月
2004年12月の理研による論文不正の記者発表を、当該研究員による訴訟によって、理研は事実ではなかったことを認め自ら記者発表全文を取消した。(理化学研究所は、約10年前に、別の研究不正事件があったが、不正調査や記者発表の仕方が杜撰であったため、論文撤回を強要されたり、不正に関与したかのようのに発表されたコレスポ含むその他の共著者によって訴えられたことがある。)
2004年の理化学研究所の論文不正事件では、理研は実験ノートやデータを全て押収し、被告発者らはそれら資料にアクセスできなかった。そのため、調査委員会でも被告発者らには実験ノートやデータなどの記録を示し科学的に反論する手段がなかった。このことが、後の民事裁判に影響することになった。
— 論文捏造&研究不正 (@JuuichiJigen) 2014, 4月 22
このような過去の事例を踏まえて、今回の小保方事件で理研は実験ノートやデータを押収しなかったのかもしれない。理想的には、研究不正疑義に関する本調査では実験ノートやデータを原則押収し、その際には、被告発者側も調査時や裁判で反論できるように、ノートやデータのコピーの保存が許可されるべき
— 論文捏造&研究不正 (@JuuichiJigen) 2014, 4月 22
2004年の理化学研究所の論文不正事件では、理研は調査中のみならず訴訟中においても、押収した実験ノートやデータ類を被告発者や裁判所に小出しに開示するという凡そ公正な科学論争とはかけ離れた対応に終始した。また、被告発者側に調査報告書全文は開示されず満足な弁明の機会が与えられなかった
— 論文捏造&研究不正 (@JuuichiJigen) 2014, 4月 22
理研は調査終了時には被告発者に対しては調査報告書の概要部分だけを5分程度だけ見せただけであったり、一部を理研が棒読みしただけであった。このような内容も把握できない状態では被告発者側は満足に弁明できなかった。また、理研は調査報告書全文の提出を裁判長に求められても1年以上拒み続けた。
— 論文捏造&研究不正 (@JuuichiJigen) 2014, 4月 22
実験ノートやデータへのアクセスが禁じられると、被告発者側は記憶に頼って反論せざるを得ないという圧倒的に不利益な立場におかれる。2004年の事件では、調査報告書全文さえも記者発表後に一時的に閲覧が許可されただけであり、被告発者側は訴訟当初は手書きメモに基づき反論せざるを得なかった
— 論文捏造&研究不正 (@JuuichiJigen) 2014, 4月 22
理研は、この2004年の理化学研究所の論文不正事件において、実験ノート、データ、調査報告書全文を被告発者側に開示せず、研究不正に関与していない研究者までも不正に関与していたかのように記者発表したため、4年以上の訴訟の結果、記者発表の取り消しをするという和解が成立しています。
— 論文捏造&研究不正 (@JuuichiJigen) 2014, 4月 22
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