福武總一郎 - Wikipedia 最終更新 2015年2月23日 (月) 16:54
1986年、福武書店社長であった父の急死に際し、東京から岡山の本社へ戻る。当初は環境の大きな変化に戸惑うが、数ヶ月もしないうちに東京を離れたことの幸せを心底から感じるにいたる。總一郎の目には、歴史もなく自然も存在しない東京は「人間」の欠けた都市と映り始めた。岡山への帰郷は、その数年後に社名を「ベネッセ」(「よく生きる」の意味)に変更するほどに、總一郎に大きな影響を与えた。(中略)
財団活動は「経済は文化の僕(しもべ)である」という考えがベースになっている。その言葉には、戦後の日本が経済優先、東京一極集中の社会となり、地方の生活や文化が次々に破壊されたことに対する憤りがある。創造と破壊を繰り返し「在るものを壊し、ないものを作る」現代文明から、「在るものを活かし、ないものを創る」をメッセージとする21世紀の新しい文明観を提唱する。高齢化と過疎化が進む瀬戸内海の島々の、芸術・文化による地域再生への活動はそれを体現化したものである。 福武總一郎は「いいコミュニティに住むことで人は幸せになれる」という。「直島のお年寄りたちが、現代美術に馴染み、島を訪れる若い人々と笑顔で接してどんどん元気になっているのをみて、幸せなコミュニティとは『人生の達人であるお年寄りの笑顔があふれているところ』と断言する。この直島での実績が周辺の島々に拡大する。 2010年、香川県とともに自らは総合プロデューサーとして備讃瀬戸の7つの島を舞台に「瀬戸内国際芸術祭2010」を開催、国内外からの訪問者は94万人にのぼった。2013年「瀬戸内国際芸術祭2013」も総合プロデューサーを務め、前回に5島を加えた全12島と二つの港を舞台に、春、夏、秋の3期(合計108日間)開催、107万人の来場者があった。来訪者、ボランティア(こえび隊)、アーティスト、島の人々が様々に交流する世界でも類を見ない新しいスタイルの芸術祭であると評価されている。
ベネッセ「中興の祖」福武總一郎最高顧問の 「脱日本」相続対策と「現代アートの聖地」作り | 現代ビジネス [講談社] 2014年07月31日(木) 伊藤 博敏
總一郎氏は将来の相続を念頭に置いて、09年、居住地をニュージーランドに移した。資産管理のイー・エフ・ユーインベストメントは、首都オークランドに本社を置くが、実業も行っており、ニュージーランド北島を水源とするミネラルウォーターの日本への輸出・販売業務も行っている。事業を取り仕切るのは英明氏(引用者注:總一郎の養子。ベネッセ社外取締役)である。(中略)
日本の相続税・贈与税の最高税率は50%(15年1月から55%)で、資産の半分は税金だ、それに対してニュージーランドは無税。その恩恵を被るには、相続人と被相続人の双方が、海外に住所を移して5年以上、経過しなければならない。總一郎氏は、その準備に取りかかり、今年6月の株主総会で、ベネッセ会長を退任。公私ともに後顧に憂いのない体制を確立した。
ベネッセ流出事件の責任者・福武前会長、巨額資産節税のため海外逃避 配当金で芸術活動 _ ビジネスジャーナル 編集部 2014.08.27
こうした情報セキュリティに対して甘い体制は、ベネッセHDの“中興の祖”と呼ばれる福武總一郎・現最高顧問が社長、会長として経営の舵取りを担っていた時期につくられた。
ベネッセHDの14年3月末の筆頭株主は日本マスタートラスト信託銀行で15.44%を保有する。有価証券報告書の脚注によると、このうちの13.29%は總一郎氏とれい子夫人が全額出資する資産管理会社イー・エフ・ユーインベストメントが信託財産として拠出したものだ。福武財団は4.88%の株式を持つ。親族の持ち株を合わせるとベネッセHD 株の27.93%を保有する、圧倒的な大株主だ。總一郎氏は自分が亡くなっても相続税を払わなくて済むように海外に移住し、ベネッセの配当金で文化・芸術活動を続けていける仕組みをつくったわけだ。
ベネッセは顧客情報流出事件で、巨額の損失と顧客流出に伴う未曾有の危機に立たされている。流出事件が起きた時の実質的な経営トップだった總一郎氏の責任を問う声が、今後、広がる可能性もある。
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