「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 投稿日: 2015年03月12日 07時23分 JST 伊藤大地
家への帰り道、川(砂押川)を渡ってケーキを買いに行こうとしていたけど、疲れちゃって渡らなかった。渡っていたならばここでお話はできなかったでしょう。ケーキが食べたくて渡っていたかもわからない。生死を分けたのは、そんな差です。
ベネッセの落とし穴 はてな匿名ダイアリー
2015-03-10
■ベネッセの落とし穴
昨年流産した。
初めての妊娠だったのでネットでも情報を集めようと思い
ベネッセのサイトに登録したと思う。(当時の記憶があいまいである)
流産したことはショックだったけど、
家族の支えもあって元気になった。
また妊活頑張ろうって思っていた。
そんなときにベネッセからDMが来た。
「妊娠7ヶ月のあなたへ、安産のために」
と封筒に書かれている安産のためのヨガか何かのDVDを販売するためのDMだ。
わたし、妊娠7ヶ月じゃないけど・・・?
妊娠初期の人が安定期に入る確率は10~15%だそうだ。
その10~15%のお腹のあかちゃんを失った人にも
きっちりとベネッセは宣伝をしてくるんだと初めて知った。
ということはこのあと連絡しなかったら、
生まれるはずがない赤ちゃんあてに、
生まれなかったその子が1歳になったときに、
ずっとDMが来るってことなんだろうか。
ベネッセってすごいなと思ったし、その何パーセントの人を傷つけているという
意識はないんだなと思った。
そのベネッセに今後お金を落とさない人たちが傷ついてもどうでもいいということ
なんだな。
元妊婦に対してもそういうことをしているということは
お子さんをなくしてしまった人にも確実に届くのだろう。
どうにもならないんですか、この仕組み。
年間何万人って傷つけていると思うんです。
最初から登録しなければいいじゃん、と言われたらそれまでかもしれないけど、
妊娠したときは必死だった。
流産したとき、ベネッセに情報登録したことなんて吹っ飛んでた。
この教訓を覚えるか、覚えないか。今回の震災でも、明治や昭和の津波を覚えているところと覚えていないところで明暗が分かれた。
人は簡単に、「忘れてはいけない」と言う。でもね……人は悲惨なできごとを忘れないと明日へ向かって生きていけないんです。私自身の記憶もかなり書き換えられているし、潜伏しているんです。
(中略)あれだけ鮮烈な経験をして、忘れなきゃ生きていけない場合だってある。子供を亡くした方とか、その方々は引きずるんです。3.11で私自身は何の被害も受けてないのにそれを冷静に語れないかというと……。
……実は私は10歳の時に父が目の前で帰らぬ人となるのを見ているわけ。私にとって、それが重なっているんだろうと思うんです。パカっと開けて頭の中の配線は確認してないけど、たぶんそうだろうと思う。
だから、私個人は、忘れたい、でも忘れられない、そうやって死ぬまで引きずるんです。
でも、地域としては一生懸命、風化させないためにやる。歴史家としてもね。実際、今回のことについて残した書物が100年後に読まれるかというと、読まれないでしょう。次に、大きな災害がどこかで来たら、東北は忘れられます。(中略)
ただ、許せないのは、原発を建てるために過去の津波被害を過小評価してきたこと。
歴史の記録は確かなものではないんです。モヤの中でなにかをつかむような作業です。そこからわかるのは、福島原発を建てたところは慶長三陸地震(1611年)の津波をかぶってるはずです。ただそれは地名とか、神社の名前とか、そういうものからしか再現できないですが、何かは残されていた。それを無視して原発を建てた時点から、慶長の津波はなかったことになった。記録から抹消されてきたんです。あのようなことは、絶対にやってはならない。
それがこれからの、私の歴史家としての使命です。
ところで、災害発生後に「被災者の心のケア」ということがうんざりするほど語られたんだけど、何が心のケアか。ほとんど誰も知らない。
――ひとり歩き。
そう。ひとり歩きしてた。「被災者に寄り添う」と。寄り添うって何なのか。
「心のケア」というとね、カウンセラーが来て「大変だったんだね、ちょっと悩みきかせてよ」というのをイメージするけど、違うんです。
それまでは、悲惨なできごとを経験した人がストレスを受けて、心的外傷後ストレス障害(PTSD)になるというふうに考えられていました。今、新しい考え方の理論的根拠になっている『サイコロジカル・ファーストエイド』という文献では、「人はそう簡単にはPTSDにならない。人には自分で立ち直る力がある、それを高めれば多くの人たちは立ち直れます」と書いてあるんです。
他人に助けてもらうんじゃなくて、自分で立ち直る力をつける。この力をレジリエンスといいます。たとえば、水を渡すのでも、「ほら、水だ、飲め、ありがたく思え」っていう渡し方じゃなくて「大変だったんだろうね、水だよ、もう安心ですよ」と。こういうメッセージを送るだけでも、自分の友達や仲間と繋がることでもレジリエンスが高まります。
子供たちに「学校は安全で安心できるところだよ、遊べる場もあるし、友達もいる。先生は守ってくれるよ」って、伝えられればそれだけで支援になるんです。津波があったから、学校という場所に関しては、安全だよ、安心だよ、というのは難しいですけどね。
カウンセラーがいなくても、自分たちで立ち直れる、そのことをまず学校の先生に伝えるために、ワークショップを開いたり、「ケア宮城」という名前で、宮城県の教育委員会と二人三脚で活動しています。きっとこの取り組みは、どこかで災害が起こった時にまた力になるだろう、そう思ってやっています。
レジリエンス(resilience)は「精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」などとも訳される心理学用語である。心理学、精神医学の分野では訳語を用いず、そのままレジリエンス、またはレジリアンスと表記して用いることが多い。「脆弱性 (vulnerability) 」の反対の概念であり、自発的治癒力の意味である。
(中略)「脆弱因子」を持っていたとしても、「レジリエンス因子」が十分であればそれが働き、深刻なことにはならない。 その「レジリエンス因子」には「自尊感情」「安定した愛着」から「ユーモアのセンス」「楽観主義」「支持的な人がそばにいてくれること」まで含む。
国内では小塩真司らによる研究もあり、レジリエンスは「新奇性追求」「感情調整」「肯定的な未来志向」の3因子で構成され、また苦痛に満ちたライフイベントを経験したにも関わらず自尊心が高い者は、自尊心が低い者よりもレジリエンスが高いとする。
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