宮崎駿が高畑勲『かぐや姫』を「あれで泣くのは素人」とディス!? でも本音は...- リテラ(2015年3月13日18時00分)(大方 草)
この『かぐや姫の物語』に対し「この映画で泣くのは素人だよ!」と声を荒げた人物がいる。そう、高畑の同志である宮崎駿だ。
このエピソードを披露した人物はスタジオジブリの鈴木敏夫だが、長年の付き合いがある彼でも「(発言の)意味がわからない。じゃあ玄人の映画って何なのと思って」と首を傾げる。
マダケ - Wikipedia
生態
太く長い地下茎を地面に張り巡らし、地中からタケノコを生やす。日本へは古くから持ち込まれ栽培されていたと見る一方で、日本にもともと自生していた品種であると捉える向きもある。このように考えられる根拠としては、例えば、第三紀中新世以降に日本や朝鮮半島から化石が見つかっているので、もとは日本列島に自生していたのかも知れないと推測できるからである。(中略)
食用
収穫期は5月から6月上旬とされる。別名を苦竹というように、収穫後時間を経過したタケノコはエグみがあり、あく抜きが必要だが美味とされる。掘りたてのものにはエグみがほとんど存在せず、そのままさしみにして食しても美味しい。収穫の際は、モウソウチクのように地下部まで掘り取る必要はなく、地上部を切り取るだけで済む。
モウソウチク - Wikipedia
日本国内への移入
中国江南地方原産で日本では栽培により北海道函館以南に広く分布する。801年(延暦20年)、京都府長岡京市の海印寺、寂照院の開山・道雄上人が唐から持ち帰った、また1228年(安貞2年)に曹洞宗の開祖・道元禅師が宋から持ち帰った、など諸説あるが全国へ広まったのは薩摩藩による琉球王国経由の移入によってと考えられている。「南聘紀考 下」によると元文元年(引用者注:1736年)3月に島津吉貴が、琉球在番として琉球行きを命じられた物頭野村勘兵衛良昌に孟宗竹を輸入するように命じ、勘兵衛は琉球滞在中に清より輸入し、元文3年に帰国すると吉貴のいる仙巌園に孟宗竹を献上したという。(中略)
利用
タケノコは4月頃に地下茎から発芽する。このタケノコは大型で肉厚で柔らかく、えぐみが少ないため食用に供される。
鈴木が『爆笑問題の日曜サンデー』(TBSラジオ)に出演した際に明かした話によれば、『かぐや姫の物語』制作時も宮崎は自身のスタジオから離れた高畑組のスタジオにも顔を出し、高畑がアニメーターの絵にダメ出しする場面をこっそり隠れて盗み聞き。そして、宮崎は自分の席に戻るなり、高畑がアニメーターに注文していた絵を頼まれてもいないのに描きはじめた。それを仕上げると、くだんのアニメーターのところに出向き「こういう絵を描くんだ!」と教えたのだという。もちろん、この宮崎の行動を高畑は知らない。爆笑問題のふたりは「えー、かわいい!」「片想いの女の子みたい!」と興奮し、鈴木も「宮さんってほんとに一途なんですよ」と解説していたが、これは70絡みのオッサン、いやジジイの話であることを忘れてはいけない。
これに大きなショックを受けたのは無論、宮崎である。酒を口にしないはずの宮崎が「鈴木さん、お酒を飲みに行こう」と誘い出したという。
〈飲み屋に行ったら、宮さん、日本酒をガブ飲みするんですよね。ぼくはもうびっくりしました。それまでぼくが見たことのない宮崎駿です。それで酔っぱらったんでしょう、気がついたら泣いているんです。涙が止まらないんですよ。(中略)そして、ポツンと言ったんです。「おれは」と言い出すから、何を言うかと思ったら、「高畑勲に自分の全青春を捧げた。何も返してもらっていない」。これには驚かされました。ぼくも言葉が出ないし、それ以上は聞かなかった〉(鈴木敏夫『仕事道楽』より引用)
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