佐賀県の観光の話。
●「一生行くことはなさそうな都道府県」日本一の佐賀県
嬉しくない日本一ですが、「マイナビスチューデント」が今年3月、インターネットで全国の社会人500人を対象に調査したところ、49票を集めてトップになりました。
「(お笑い芸人の)はなわさんの歌以外に思いつくものがない」(男性23歳)
「九州なら他の県が優先になる」(男性35歳)
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一生行かなそうな県1位、でも宿泊客増1位 あの県の謎:朝日新聞デジタル 寿柳聡 2015年4月29日16時49分)
この他に"朝日新聞デジタルの会員対象調査(昨年11月)でも、佐賀は「印象が薄い」「何も思い浮かばない」と答えた数が全国1位"。嬉しくない日本一の称号を複数集めています。
●宿泊客数の増加でも全国1位
一方、宿泊予約サイト「楽天トラベル」での一昨年から昨年にかけての宿泊客数の伸び率も、全国1位。こちらは喜ばしい日本一です。
これについて朝日新聞は、"相反する二つの調査結果がインターネット上で相次いで公表された"としていましたが、別に矛盾しているわけではありません。
宿泊客数最下位であっても大きく伸びれば1番になりますし、そもそも「一生行くことはなさそうな都道府県」1位だからと言って宿泊客数が下位とは限りません。
●宿泊客数激増の要因は?
楽天トラベル担当者によると、"県全体に影響したのが隣の福岡県からの宿泊客の増加"でした。近隣からの宿泊客数が多いんですね。これは先の「一生行くことはなさそうな都道府県」1位と違う結果になっておかしくない理由の一つでもあります。
また、宿泊客数激増の理由としてわかりやすいのが、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の効果。"ゆかりの名護屋城跡などがある唐津・呼子エリアが35・1%増"とのことでした。
●文禄・慶長の役で日本の中心となった名護屋城
「なごやじょう」と聞くと、申し訳ないですが、名古屋城が思い浮かんでしまいます。「名護屋城」というのがあるというのは、今回のこの記事で初めて知りました。
名護屋城 - Wikipedia 最終更新 2015年3月22日 (日) 07:25
名護屋城(なごやじょう)は、肥前国松浦郡名護屋(現在の佐賀県唐津市(旧東松浦郡鎮西町・呼子町)、東松浦郡玄海町)にあった城。豊臣秀吉の文禄・慶長の役に際し築かれた。国の特別史跡に指定されている。平成18年(2006年)には日本100名城(87番)に選定された。
解説を見てみると、名古屋と同じ名前というのは、豊臣秀吉も気に入ったようです。
秀吉は、天正19年(1591年)8月、「唐入り」を翌年春に決行することを全国に告げ、肥前の名護屋に前線基地としての城築造を九州の大名に命じた。秀吉は自分の地元名古屋と同じナゴヤという地名を奇遇に感じ、城の立つ山の名前が勝男山と縁起がいいことにも気を良くしこの地への築城を決めたのだが、この地の領主であった波多親はこれに反対したため不興をかった。
黒田官兵衛は以下に出てきます。「黒田孝高」というのが、官兵衛のことです。
築城に際し、縄張りを黒田孝高、そして黒田長政、加藤清正、寺沢広高らが普請奉行となり、九州の諸大名を中心に動員し、突貫工事で8か月後の文禄元年(1592年)3月に完成した。規模は当時の城郭では大坂城に次ぐ広壮なものであった。
"唐入りの期間は、肥前名護屋は日本の政治経済の中心となった"、"全国より大名衆が集結し、「野も山も空いたところがない」"といったことも書かれていました。

●佐賀県といえば唐津焼などの焼き物
「はなわさんの歌以外に思いつくものがない」などと言われていましたが、佐賀県は日本の中でも有名な焼き物が複数あります。たとえば、名護屋城のある唐津市ならそのまま同じ名前の唐津焼があります。
唐津焼 - Wikipedia
唐津焼(からつやき)は、近世初期以来、現在の佐賀県東部・長崎県北部で焼造された陶器の総称。日常雑器から茶器までさまざまな器種があり、作風・技法も多岐にわたる。茶碗は古くから「一楽二萩三唐津」と称されて名高い。分派の武雄古唐津焼と共に、日本の伝統的工芸品に指定されている。
これは先程の文禄・慶長の役と密接に関係ある…と書こうと思ったら、以下のような説明になっていました。
伊万里、唐津などの肥前の陶磁器は、文禄元年から慶長3年(1592年から1598年)に至る豊臣秀吉による朝鮮半島への出兵,いわゆる文禄・慶長の役(壬申倭乱)の際に、朝鮮半島から同行してきた陶工たちが祖国の技術を伝え、開窯したというのが通説になっていた。しかし、窯跡の調査、堺など消費地での陶片の出土状況などから、唐津焼の創始は文禄・慶長の役よりはやや早く、1580年代に開始されたとみられている。

●「有田焼」と「伊万里焼」
先ほどの説明で「伊万里」の名前が見えました。「有名な焼き物が複数あります」としたように、佐賀県は他にも有名な焼き物があります。
有田焼 - Wikipedia
「有田焼」と「伊万里焼」
近世初期以来、有田、三川内(長崎県)、波佐見(長崎県)などで焼かれた肥前の磁器は、江戸時代には積み出し港の名を取って「伊万里」と呼ばれていた。また英語での呼称も "Imari" が一般的である。寛永15年(1638年)の『毛吹草』(松江重頼)には「唐津今利の焼物」とあり、唐津は土もの(陶器)、今利(伊万里)は石もの(磁器)を指すと考えられている。
明治以降、輸送手段が船から鉄道等の陸上交通へ移るにつれ、有田地区の製品を「有田焼」、伊万里地区の製品を「伊万里焼」と区別するようになった。有田を含む肥前磁器全般を指す名称としては「伊万里焼」が使用されている。
これ以外にも佐賀県は見どころあるよ!というのもあるでしょうけど、とりあえず、思いつかないものが何もないということのないように焼き物くらいは覚えておくと良いかもしれません。
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