<渋沢栄一の失敗 田園都市・田園調布はなぜ凋落したのか?>、<田園調布に限らず「住むための町」は衰退する運命である理由>、<渋沢栄一は表面を真似ただけ…本来の田園都市は全然違っていた!>といった話をやっています。
2022/03/14追記:
●渋沢栄一は表面を真似ただけ…本来の田園都市は全然違っていた! 【NEW】
●「田園」なのになぜ高級住宅街?田園都市・田園調布の不思議
2021/02/11:田園だらけでマジでど田舎の出身の私は、なぜ田園調布が高級住宅街なのか?田園都市ってなんじゃそりゃ?とずっと不思議でした。どうもこれはイギリスの思想で、渋沢栄一さんが日本で真似たものみたいですね。渋沢栄一さんはしばしば日本資本主義の父と称されるものの、彼は同時に日本の住宅地の父でもあるという記事がありました。日本の住宅街のモデルを作った人…みたいな評価です。
<19世紀末、都市労働者の労働・居住環境改善のためにイギリスのエベネザー・ハワードが提唱した都市と農村の魅力を併せもつ理想都市「田園都市」の概念などの一部を日本に輸入、1922(大正11)年に洗足田園都市、翌1923(大正12)年に多摩川台住宅地(現在の田園調布)を開発したのが、渋沢らが設立した田園都市株式会社だったのである>
<ほかに同等(以上も含め)の住宅地があるにもかかわらず、高級住宅地の代表格として知られるようになった>
●渋沢栄一の失敗 田園都市・田園調布はなぜ凋落したのか?
前述の通り、今回読んだ記事は、渋沢栄一さんを「日本の住宅地の父」「日本の住宅街のモデルを作った人」といった感じで書いています。ただし、この記事は
歩くと気づく「田園調布」に空き家が増える事情 |東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準(2021/02/04)というネガティブなタイトルでした。
サブタイトルも「渋沢栄一の街づくりに欠けていた視点とは」というもので、やはりネガティブなんですよね。近年渋沢栄一が脚光を浴びる一方で、田園調布の凋落を指摘する声をよく聞くとのこと。空き家や空き地が増え、かつて理想とされた街並みが崩れているというのだそうです。
田園都市で不動産関係の仕事をしているある住民は、これについて、空き家が増えるのも当然、田園調布は住み続けられない場所だと話します。中学校の同級生150人のうち、今も地元に住み続けているのは5人ほどしかいないのではないかとのこと。理由はいろいろあり、最初にあった相続税などの問題は渋沢栄一のせいではないように見えました。
<土地価格が高く、相続税が多額に及ぶだけではない。土地の利用について規制が厳しく、それが不動産継承のハードルになっているという声も多い>
<田園調布には経営者のほか、スポーツ選手や文化人、政治家などが多数住んでいるが、彼らは本業には才能があるものの、相続に関するリテラシーは低く、さらにそれをアドバイス、サポートする人がいない>(田園調布の商店街でカフェを経営するお金の専門家・菅井敏之氏)
ただ、前述の田園都市で不動産関係の仕事をしているある住民は、渋沢の街づくりに甘さがあったのではないかと指摘。ハワードが建設したイギリスの都市レッチワースの街並みの表面だけを見て、それをつくろうと考えたのではないかという言い方をしています。これは敷地に対してゆったりと庭を取って建てられていた田園調布の趣旨とは違う建物も横行するようになっていることに関しての指摘でした。
<時代を考えるとそれだけでも十分評価すべきだが、加えて街並みを守っていこう、自分の家も景観の一部であるという意識が必要だったが、その理想が伝えられておらず、ルールも作られていないというのである。
それが自分の家なら何をしてもいいという考えや、長く使い続けるという発想のない家作りにつながり、短期間での建て替え、そのための過大な住宅支出、中古一戸建ての流通阻害などの原因となっているのではないか。土地や不動産の所有の在り方など、欧米との根本的な差異を踏まえた検討が必要だったのではないか>
●田園調布に限らず「住むための町」は衰退する運命である理由
私が<歩くと気づく「田園調布」に空き家が増える事情>という記事タイトルを見た時点で考えていたのは上記ではなく、別の理由。代替わりで衰退する住宅街は珍しくないのですが、それらは確か、高齢になると住みづらい町、買い物などがそもそもしづらいといったものだった記憶(うろ覚え)。もう一つ出ていた理由はこれにやや近く、住む以外の要素が弱いという話です。
<レッチワースが住のみならず、職や農、娯楽施設なども含めた複合的な街であるのに対し、田園調布、そしてそれ以降の住宅地が「住む」という単機能の街になった点も指摘すべきだろう。レッチワースに倣ったのであれば、なぜ、そこを捨てたのか。渋沢が田園調布をそうした街として作っていれば、それ以降の日本の住宅地の姿も変わったかもしれない。タイムマシンがあるなら過去に戻って渋沢を問い詰めたいところである>
はてなブックマークではもっと私の予想に近いコメントが出ていました。<とにかく坂が多い。店もそこそこあるけど、どこもちょっとした傾斜があると車椅子に向かない。交通の便はいいかもしれないが、外にちょっと出るのには向かない>(t_yamada8karad)というものです。
田園調布は大田区ですが、私のよく行った大田区の町もとにかく坂が多かったところ。高齢になると住みづらい町でしょう。また、上記コメントではやはり買い物に向かないという話も出ています。私がこれらを予想したのは、田園調布に限らず、住宅街は衰退してゴーストタウン化しやすい…という話を過去にやったため。ただ、どの投稿で書いたのか忘れてしまったので、判明したらリンクしようと思います。
●渋沢栄一は表面を真似ただけ…本来の田園都市は全然違っていた!
2022/03/14追記:前回のとき、渋沢栄一さんの田園調布は、ハワードが建設したイギリスの都市レッチワースの表面を真似ただけで、本質を理解していなかった…といった辛辣な評価がありました。
田園都市 - Wikipediaを見ると、ここらへんの本来の田園都市の思想がわかって、なかなかおもしろいです。
1898年にイギリスのエベネザー・ハワードさんが提唱した新しい都市形態は、産業革命の反省が発端。産業革命が進行したイギリスでは、雇用の場である都市に人口が集中し、人々は自然から隔離され、遠距離通勤や高い家賃、失業、環境悪化に苦しんでおり、エベネザー・ハワードさんはこれを嘆いていました。
Wikipediaによると、単に「豊かな自然環境に恵まれた都市」も「田園都市」と呼ぶそうです。しかし、エベネザー・ハワードさんがこうした都市を作ろうとしたのかと言うと、そうではないんですよ。都市の社会・経済的利点と、農村の優れた生活環境を結合するということで、以下のように多数の要素がありました。
<ハワードの提案は、人口3万人程度の限定された規模の、自然と共生し、自立した職住近接型の緑豊かな都市を都市周辺に建設しようとする構想である。そこでは住宅には庭があり、近くに公園や森もあり、周囲は農地に取り囲まれている。不動産は賃貸し、不動産賃貸料で建設資金を償還するので、都市発展による地価上昇利益が土地所有者によって私有化されず、町全体のために役立てられる>
この都市が果たして今のイギリスでもうまく行っているのか?は気になるところなのですが、当時は成功という評価。レッチワースなどの成功はイギリス政府を刺激し、大ロンドン計画をもとに、第二次世界大戦後の1946年にニュータウン法が制定され、政府の手で30以上のニュータウン・コミュニティが建設されたといいます。
また、ドイツやアメリカにも影響を与え、現在の都市計画ですら引用されるほどの影響力を維持しているという記述も。ただし、この現在の影響力を説明した部分は以下のような内容で、渋沢栄一さんの田園調布同様に、上っ面だけ真似しただけで、肝心な部分が実現されていないことが多いようでした。
<21世紀の今日でもニュータウン建設や郊外住宅建設にあたってはハワードの理論が引用されることが多いが、実際にイギリス以外に建設された郊外都市の多くには職場がほとんどなく、田園都市の美名の下、いわゆるベッドタウンであり理論どおり職住近接の自立した都市や住民によるコミュニティが実現する例は多くない>
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