「絶歌」発売で「殉愛」との相似性を指摘する声が増加「圧倒的な低評価」「遺族への無配慮」 | ネットの事件ニュースなら - B.N.J 2015/6/14 15:54
「絶歌」と「殉愛」の比較はまず表層的な部分で低評価が圧倒的に多数を占めているという点からのアマゾンレビューにおける類似性に注目が集まりました。(中略)
更に「絶歌」が被害者遺族への許可や連絡なしに出版された点と「殉愛」がやしきたかじんさんの長女への取材なしで出版されたという点においても、関係者への配慮なく発売されたという共通点があります。
神戸連続殺傷事件「元少年A」はなぜ手記を出したのか? 太田出版・編集担当者に聞く|弁護士ドットコムニュース 2015年06月13日 20時35
——ところで、手記のエピソードは、どこまで本当なのでしょうか。彼がどこまで真実を語っているのかについては、どう感じられましたか。記憶が間違っているとか、あえて都合の良いように書いているということはないでしょうか。
「記憶が間違っていることはおそらくないと思います。なぜなら、あそこまで細かく描写できるのは、場面が脳にシーンとして刻まれているからだと思います。手記は、記憶の再現だと思います。本当に記憶力が良く、特に視覚における記憶力が並外れていますね。
たとえば、先ほど私が『削ってもらった』と言った場面の一つが、最初の取り調べのシーンで、最初の原稿ではとにかく人物がめちゃくちゃ克明に描かれていました。これは本人が特定できるなというぐらいの描写なんですよ。部屋の様子なども含めて、鮮明に覚えているのだと思います。そこで交わされた会話も含めて、異常な記憶力だと感じました」
——ほとんど手を入れていないということでしたが、ひとりの素人が、ここまで本を作りこんでくることは、よくあるのですか。
「全くの素人でも、細かく作ってくる人はいますが、ここまで完成度の高いものは初めてで、経験がないですね。タイトルも見出しも、全部自分で付けて、口絵の写真も入れたいという形で、持ち込みのときには、構成も全部このまんまでした。
http://takoutsubo.wiki.fc2.com/wiki/people
(「殉愛」プロローグより)
家鋪さくらの記憶力は異常ともいえるほどで、日をずらして質問しても、何度質問しても記憶がぶれることは一切なかった。
それは細部にわたり、その時の人々の服装や立ち位置まで記憶していた。
''特にたかじんの言葉や行動に関しては、まるで今そこに見ていたかのように身振りや言葉遣いのニュアンスまで再現した。
''
殉愛エピローグp406
家鋪さくらの記憶力は異常ともいえるほどで、日をずらして質問しても、何度質問しても記憶がぶれることは一度もなかった。
また膨大な看病日記が残っていて、それらの記憶の正しさを裏付けている。
http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/ms/1417832485/487
487 :可愛い奥様@\(^o^)/:2014/12/06(土) 17:52:14.37
ダ・ヴィンチ 100先生殉愛インタビューから抜粋
「書き手は僕ですが、この物語を書けたのは、さくらさんのおそろしいまでの記憶力ゆえです。
30分おきに記述を残した克明な看病日記もありましたし、ご本人が非常に鮮明に記憶してらっしゃるんですよ。
取材をしてびっくりしたのは、彼女は目をつぶって思い出せば、その時の光の具合、そこにいた人たちの立ち位置、
服装、空間の匂いまで蘇ると言うんです」
足らない部分を補うために、作家的な想像力を働かせる必要は最初からなかったのだ。(抜粋おわり)
「酒鬼薔薇聖斗」事件から18年! 「少年A」の手記出版を企図した「幻冬舎」への風当たり|矢来町ぐるり 週刊新潮 2015年1月29日号
この“元少年”が近々、手記を上梓する予定だというのだ。さる事情通によれば、
「版元は幻冬舎です。1年以上前から人づてに元少年と接触し、すでに聞き取り取材を終えている。名前や写真は載せないものの、事件を懺悔する内容の手記という形で、原稿も出来上がっているのです」
幻冬舎は93年、角川書店を退社した見城徹社長が設立。98年には郷ひろみの告白本『ダディ』が大当たりし、03年に株式を店頭登録。その後、経営陣による自社買収(MBO)を実施するなど、何かと話題には事欠かない。
今回の手記は初め春先の刊行を見込んでいたと言い、
「11年1月には、英国人女性殺害犯・市橋達也の“逃亡記”を出版して物議を醸しましたが、今回はさらなるハレーションが生じるのは明白。それもあって、企画は慎重かつ極秘に進められています。一方で、少年院時代から書き溜めてきた小説や詩なども入手しており、これらの“作品”を出す案も浮上しています」(同)
当の幻冬舎は、
「出版の予定はなく、元少年やその関係者に接触したこともありません」(総務局)
それでも見城社長に問うと、
「万万が一、予定があるとして、出したらいけないの? 彼は残虐な殺人を犯したけれど、法に従って少年院に入って、反省して出てきているわけでしょう。新たに犯罪を犯してもいないのに手記がダメなら、何のための法律ですか」
そう畳み掛けつつ、含みを持たせるのだ。(中略)
「遺族だ、被害者だって言うけれど、屁理屈だよ。元少年は毎年遺族に手紙を書いているわけだし……。君たちだって、いちいち被害者に取材しないでしょう。大体、手記を出したところで、売れないって」
「幻冬舎」と「太田出版」の不思議な友情2007年03月14日(水) 活字中毒R。
『ダ・ヴィンチ』2007年4月号(メディアファクトリー)の「ヒットの予感EX」という記事(取材と文・岡田芳枝)でとりあげられていた『編集者という病』(見城徹著・太田出版)という本の紹介記事の一部です。
(中略)見城徹(引用者注:幻冬舎社長)が、編集者として生きてきた日々を振り返ったはじめての著書『編集者という病』を出版した。
「角川書店にいた頃から”本を出さないか?”というオファーは数え切れないほどあったけれど、そのたびに辞退してきました。というのも、”自分が本を出すなど、作家の方々に失礼だ”という気持ちがあったからです。だから、彼が担当でなければ、編集者である限り本を出すつもりはまったくなかったんです」
見城が言う「彼」とは、太田出版の前社長である高瀬幸途氏。高瀬にとって『編集者という病』は、編集人、発行人としての最後の仕事になる。
「高瀬は、僕の先生であり、ライバルであり、いつも互いに助け合ってきた親友(略)」
(中略)
この記事、見城さんの『編集者という病』という本の紹介のはずなのに、この本が太田出版から刊行されることになった経緯というか、見城さんとこの本の「担当編集者」となった高瀬幸途さんの交友関係が延々と語られています。
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