明治維新の捏造がどうのいう怪しい宣伝を最近よく見かけた関係で書いた
天皇陵は明治維新に明治政府が捏造?仁徳天皇陵は本物なのか?の続き…だったんですが、えらく間が空きました。あまりにも遅くなったので、明治維新の捏造の広告内容もいつの間にか変わってしまって、以前のものはすっかり見かけなくなってしまいました…。
2015/7/5:
●天皇陵・三種の神器は明治維新に明治政府が捏造したもの?
●見た人がいない三種の神器、そもそも実在しない可能性も…
●「本物」の三種の神器にこだわる必要はないという説がある!
●三種の神器は大事じゃないって本当?天皇すら死なせていた事実
●本物の草薙剣は水没しているんだから、現在のものは偽物では?
●信じられない!三種の神器は天皇固有のものではないという説
2017/06/12:
●退位特例法成立で三種の神器を非課税にすることを決定
●天皇陵・三種の神器は明治維新に明治政府が捏造したもの?
2015/7/5:怪しい広告がきっかけで検索し始めたたのですが、見つかったのがまた負けず劣らず怪しい話でした。前回と同じ内容なのですが、話の導入部分ですのでもう一度掲載。
国家「日本」の欺瞞 皇国史観の捏造 阿修羅♪ 投稿者 BRIAN ENO 日時 2012 年 12 月 12 日 12:47:03
「創られた天皇制」
引用開始
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P290
近代天皇制国家を必要とした明治維新は、天皇陵に着目し、重要な役割を担わせることにしたのである。つまり、天皇制を復活させるためには、日本の古墳を、庶民の生活の糧を提供する山から、万世一系の現人神の山陵として聖地に転換させる必要があった。それはまず、文久二(1861)年中に、「神武天王陵の創出」=「神武天王陵を築造しようという試み」によって、「改めて神武天皇陵を治定し、神武天皇の実在性を民衆に信じ込ませ、」「近代天皇制を作り上げる踏み台とする」作業から始められていた。
水戸藩を含む尊王攘夷運動に対する、井伊直弼の弾圧はやがて桜田門外の変(1860)というテロ事件に発展、そしてこの年を境にして公武合体の機運は強まり、そのなかで陵墓の修補が行われて行くという点を見逃しては日本の近代化を語ることはできまい。
P300
文久3年(1863)年、奈良県の神武田(現在の奈良県橿原市大久保町)に比定して創出させた神武天王陵は、明治―大正期なかけて拡張・整備していく過程で、この陵墓に隣接する被差別部落「洞村」に暮らしていた人々に移転を強制した。天皇・天皇制を「日本の恥辱」「皇室は寄生虫だ」とまでいってのけ、憚らない、住井すゑの小説「橋のない川」(1961~1973)は同地に暮らしていたある家族を主人公に、部落解放運動史を書いた。
住井すゑは、明治政府が明治4(1871)年に一代神武天皇の陵墓を造築したのち、明治40(1907)年から明治45(1912)年にさらに陵墓をそろえようとした時期に関して、こう語っていた。
この時期に根、また天皇陵がめっかったと、でまためっかったんだと、学校で噂出るわけです。それがどこも未解放部落なんです。つまりエタ部落でめっかった。エタ部落には粗末ながら、小さなながら、前方後円墳があったんです。
一番の疑問わね、自分のところはエタ部落であると、そこに御陵があると、昔天皇は部落に住んでいたのか。
P420
そもそも、皇位の唯一絶対の印とされた三種の神器(曲玉、鏡・剣)は大陸からの輸入品であり、昔から天皇家にかぎらず、当時の有力な長者などは、大陸伝来の宝として所持していた。それが証拠には大和や九州の古墳からはたくさんの「三種の神器」、それも天皇家と伝説鏡と同一様なものが発掘され、朝鮮各地からも同様なものが発掘されている。
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ということで、天皇陵、三種の神器という物的証拠も明治維新前後に急ごしらえで捏造されたものらしい。また、この時期に宮中祭祀の数々も創設されてたものが多いのではないか。
●見た人がいない三種の神器、そもそも実在しない可能性も…
上記の書き込みでは「三種の神器という物的証拠」となっているものの、そもそも三種の神器が現存しているのかどうかが、よくわかっていません。
三種の神器 - Wikipedia(最終更新 2015年4月4日 (土) 00:00)では、"神器が現存か否かについては異説が多いが、
そもそもの実体や起源を論ずる段階で諸説があるため、どのような情況をもって「現存」とよぶのかすら論者によってまちまちな前提での議論が多い"としていました。
さらに"実際の儀式に使われるのは三種の神器の「形代」(レプリカではなく神器に準ずるもの)であり、実物については祭主たる天皇も実見を許されないため、その現存は確認できない"とのこと。誰も見たことがないようです。本当にあるんですかね、これ?
●「本物」の三種の神器にこだわる必要はないという説がある!
一方、三種の神器は、「皇室所有とされること」に意味があるとの主張もあるそうです「皇室が三種の神器を所有している」というより、「皇室所有のもの」こそが、三種の神器とするということ。これは皇室の権威を最大限にみなし、三種の神器を単なる権威財とみなしているという説明があります。
非常にわかりづらい言い方なのですけど、要するに三種の神器そのものにはあまり意味がなく、偽物でも構わないってことみたいですね。これでしたら、別に「本物」の三種の神器を失っても構わないということになります。
しかし、この説には矛盾がありますので、説得力に欠けています。<それなら、神器が奪われても天皇が所有権を放棄し新たな神器の所有権を取得すればいいことになるので、過去に天皇を崩御させてまで1つの個体を奪い合ったり、占領に備えて隠そうとしたりしたことが説明できない>と指摘されていました。
●三種の神器は大事じゃないって本当?天皇すら死なせていた事実
三種の神器にまつわる争いと言うと、私が思い浮かぶのは南北朝時代です。Wikipediaでも、三種の神器のページに記載がありました。内容を読むと、三種の神器なしでの天皇の即位がある一方で、三種の神器は正当性の主張に使われています。三種の神器の現物にこだわる必要はない説は、完全に崩れているのがわかります。
『吾妻鏡』によれば、1185年(元暦2年)の壇ノ浦の戦いで、安徳天皇が入水し草薙剣も赤間関(関門海峡)に水没したとされる。この時、後鳥羽天皇は三種の神器が無いまま、後白河法皇の院宣を根拠に即位している。
足利尊氏は後醍醐天皇の建武の新政(建武の中興)に離反し、1336年(延元元年/建武3年)に光明天皇の北朝を立てて京都に室町幕府を開くが、後醍醐天皇は、北朝に渡した神器は贋物であるとして自己の皇位の正統性を主張し、吉野(奈良県吉野郡吉野町)に南朝を開き南北朝時代が始まる。正平一統の後に南朝が一時京都を奪還して北朝の三上皇を拉致する際に神器も接収したため、北朝の天皇のうち後半の後光厳天皇・後円融天皇・後小松天皇の3天皇は後鳥羽天皇の先例にならい神器無しで即位している。南朝の北畠親房は『神皇正統記』で、君主の条件として血統のほかに君徳や神器の重要性を強調したが、既に述べたように、神器無しでの即位は後鳥羽天皇が後白河法皇の院宣により即位した先例がある。
また、<明治時代には、南北両朝の皇統の正統性をめぐる「南北朝正閏論」と呼ばれる論争が起こるが、最終的には明治天皇が、三種の神器保有を根拠に南朝を正統と決定する>ともありました。明治天皇も三種の神器保有を重視したようで、この説は全然ダメそうですね。
なお、捏造絡みの話で言うと、戦前はこの天皇同士が争っていた話はタブーとされていたと聞いたこともあります。戦後になって「事実を知って驚いた」と書いていた人の話を以前読みました。
●本物の草薙剣は水没しているんだから、現在のものは偽物では?
それから、上記では"安徳天皇が入水し草薙剣も赤間関(関門海峡)に水没したとされる"とありました。草薙剣がこのとき水没しているわけですから、そもそも現存するとされる三種の神器は偽物だと理解できそうです。
ところが、異説があるみたいなんですよ。私はこれを理由に、現存するとされる三種の神器は偽物だと考えていたのですけど、同じうぃ、ページに別の説が載っていました。沈んだのはレプリカだという説です。ただ、この説明をよく見ると、現在の皇居の剣も同じレプリカということになるんでしょうね。
<皇居の神剣(草薙剣の形代)と勾玉は、は源平の壇ノ浦の戦いで二位の尼が安徳天皇を抱き腰に神器の剣を差し勾玉の箱を奉じて入水し一緒に水没した。草薙剣はそのため現存しない。が、この剣は草薙剣の形代(レプリカ)の一つに神道でいう御魂遷しの儀式を経て神器としていた物であり、
後に改めて別の形代の剣が伊勢神宮の神庫から選び出され同様の措置が採られた。これが現在の皇居の剣である。一方、曲玉の方はその際に箱ごと浮かび上がり、源氏に回収された。この勾玉は古代のものが皇居に現存するとされる>
●信じられない!三種の神器は天皇固有のものではないという説
ところで、もともとの話は、三種の神器は"昔から天皇家にかぎらず、当時の有力な長者などは、大陸伝来の宝として所持していた"というものでした。これについても同じWikipediaのページで関連しそうな記述がありました。Wikipediaって本当便利ですね。
古代において、「鏡」、「玉」、「剣」の三種の組み合わせは皇室特有のものではなく、「支配者」一般の象徴であったと考えられ、仲哀天皇の熊襲征伐の途次、岡県主の熊鰐、伊都県主の五十迹手らは、それぞれ白銅鏡、八尺瓊、十握剣を献上して恭順を表している。また景行天皇に服属した周防国娑麼の神夏磯媛も、八握剣、八咫鏡、八尺瓊を差し出した。また壱岐市の原の辻遺跡からは最古の鏡、玉、剣の組み合わせが出土している。(中略)
すでに4、5世紀の豪族の古墳の副葬品には、鏡、剣、玉の3点セットが頻繁にみられる
ということで、三種の神器が天皇だけのものではなかったというのは本当みたいです。さっきの"三種の神器は、「皇室所有とされること」に意味がある"という変な説は、こちらを意識していたのかもしれません。
2015/07/06追記:「三種の神器という物的証拠も明治維新前後に急ごしらえで捏造されたもの」という元の主張に触れるのをすっかり忘れていました。「三種の神器が天皇だけのものではなかった」というのは以上のように事実のようですが、これが明治維新のときの捏造に繋がるというのは理解できませんね。飛躍していると思います。
●退位特例法成立で三種の神器を非課税にすることを決定
2017/06/12:あまり関係ないのですが、「三種の神器」の話ですので、ここに追加。Twitterで「三種の神器」がトレンド入りしたというのが、ニュースになっていました。なぜ三種の神器が注目されたのか?というと、「三種の神器は非課税」というインパクトある話が報道されたためです。
(
退位特例法成立でパワーワード「三種の神器は非課税」誕生 → 「三種の神器」がトレンド入りし、Twitterが湧く ねとらぼ / 2017年6月9日 18時29分より)
まず、これまでの三種の神器の相続は、相続税法12条で非課税となることが定められていたそうです。ただ、今回、生前退位(譲位)が行われることによって、通常とは異なり、三種の神器を贈与することとなります。そのため、一部では「贈与に伴って莫大な贈与税がかかるのでは」と危惧する声ももあったそうです。
しかし、今回の退位に関わる特例法には、「由緒物の贈与について贈与税を課さないこと」が盛り込まれ、これに配慮する形に。そして、この課税問題が話題になったことにより、「三種の神器に税かかるって何やそれ…面白すぎるだろ…」など、多くの反応を生んでツイッターでトレンド入りすることになったようです。現実離れした不思議な話ですね。
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