「妻にかまってほしかった」 大分4人死亡放火容疑の父:朝日新聞デジタル 2015年7月8日05時07分
大分県杵築(きつき)市で住宅が全焼し、子どもとみられる4人の遺体が見つかった事件で、一家の父親で現住建造物等放火の疑いで逮捕された海上自衛官、末棟(すえむね)憲一郎容疑者(40)が県警の調べに対し、火をつけた動機について「(単身赴任先に戻る際)妻が見送りに出てこなかったから」と供述していることが捜査関係者への取材でわかった。妻(42)が子どもの世話で忙しくしていたことに不満を抱いていたといい、「かまってほしかった」とも供述しているという。
少子化が問題になっている。しかし我が国はいま女性がみんな働く社会を目指しているようだ。それでは少子化が加速するのではないか。我が国は昔の大家族制度を取り入れたらよいのではないかと思う。子どもが学校から帰ってくれば、家に爺ちゃん、祖母ちゃんがいるというほうが子どもは生れやすい。
— 田母神俊雄 (@toshio_tamogami) 2015, 3月 15
田母神俊雄「大家族制度を導入すれば少子化は防げる」 ←愛人と不倫して家族を捨てたお前が言うな 2015/3/16
管理人補足
田母神閣下は愛人に入れ込み、妻と娘を捨て、離婚訴訟を起こしています。
7: よみ人しらず 2015/03/16(月) 02:26:32.82 ID:njRxrqJL0.net
嫁と子供を捨てようとしたクズがなんか言ってるぞ
2: よみ人しらず 2015/03/16(月) 02:01:49.73 ID:G2NC98Yd0.net
で、お前の家族は?
10: よみ人しらず 2015/03/16(月) 03:25:29.67 ID:5Ko+CW3o0.net
家族を捨てたおっさんが何を言う
16: よみ人しらず 2015/03/16(月) 04:54:41.36 ID:M9zPcTBZ0.net
こいつ長男なのに家も継がずに親の面倒も見ずに上京して
結婚した後はほとんど帰郷せず親の介護もせず嫁にそれをさせることもなかったってな
時事ドットコム:第3子以降を重点支援=安倍首相「大家族の評価を」
安倍晋三首相は19日午後、山口県下関市での講演で、少子化対策の一環として「第3子以降に特化し、重点的に支援していく。(従来とは)次元の異なる大胆な施策を検討していきたい」と述べ、3人目以降の子どもの出産や育児を抱える家庭を重点的に支援する政策を打ち出していく考えを示した。
首相は「核家族化が進んだ現代、大家族を再びよみがえらせることは並大抵のことではない」と認めた上で、「大家族で支え合う価値を社会全体で改めて確認すべきだ。大家族を評価するような制度改革を議論すべきだ」と表明した。具体的には「二世帯住宅でも入り口(玄関)が別になっている独立型の住宅もある。こういったものを政策的に応援することも一つのアイデアではないか」と例示した。 (2014/07/19-19:38)
リンク切れ
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2014071900262
もうれつ先生のもうれつ道場 2015-02-12
産経新聞のコラム「曾野綾子の透明な歳月の光 629.労働力不足と移民」。(中略)黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
住民がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、一戸あたり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションはいつでも水栓から水のでない建物になった。それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。
爾来、ワタシは言っている。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」
曽野綾子氏の言い分について - 楽園はこちら側 2015/02/15
人口600万人あまりのシエラレオネは完全な黒人社会であり、黒人以外の住民は極めてまれである。さて、ACAPS2014年12月17日の「カントリープロファイル」によると、シエラレオネの1世帯あたりの構成人数は5.9人とある。曽野氏のいう、「黒人は基本的に大家族主義」「10〜20人が住みだした」というのは何の話だろうか。
5.9人だって大家族じゃないか、という人もいるかもしれない。しかし、日本だって1950年代までは世帯構成員数は平均5人以上だったのである。核家族になったのはつい最近のことであり、日本の伝統社会は大家族であった。曽野氏のような保守派が回帰したいであろう、「かつての日本社会」である。
中川秀直 自民党国対委員長 衆議院議員
氏の息子で秘書を務める中川俊直さんが政治家・中川秀直の素顔を告白する。
私から見た父
正直言って、幼い頃の父の印象は、あまりありません。
父が、日本経済新聞社を退職し政治の道を志したのが昭和47年。(当時、私が2歳)。以降、昭和51年の初当選までは、早朝から深夜まで、まさに選挙運動一色の生活で、家庭を顧みる余裕もなかったと思います。ご存知のように旧広島2区は、日本屈指の激戦区であり、父自身、2度落選しています。金帰火来で、広島に帰って来ても、一家団欒の時間はほとんどありませんでした。
私たち家族にとっては、父が選挙に勝ち抜くという一体感で結ばれていたように思います。選挙の当選の度に撮る家族写真は、お陰様で8枚になりました。初当選から28年の歳月を経て、4人の家族が10人の大家族になりました。
幼い頃の思い出
時々、日曜日の夜、西条の自宅に帰ってくる時は、兄も私も大騒ぎ。(中略)父親というよりも、むしろ友達が遊びに来てくれたような感覚だったのかもしれませんね。(中略)
いつも出掛ける時には、「ママを頼むぞ」が口癖でしたね。
そんな光景を見ていたから、兄も私も結婚して家庭を持つことに憧れを持ったのかもしれません。2人とも早くに結婚し、共に2人の子供を持つ父親です。
中川秀直 - Wikipedia
2000年、写真週刊誌等に中川が愛人と一緒に撮影した写真やビデオが掲載され、内閣官房長官辞任に追い込まれた。
職務上知り得た秘密を捜査対象者に漏らす行為は国家公務員法違反、捜査妨害容疑に該当する可能性があり、野党から追及された。(中略)
中川の寝室内で撮影した愛人とされる女性の写真についても、国会で取り上げられた。その際の中川の答弁によれば、中川の運転手に対し見知らぬ女性が中川邸を見たいとねだったため、運転手が女性の要求に従い寝室に案内したことがあり、雑誌に公開された写真はそのときに撮影したものではないか、としている。中川の説明に対し、長妻は「常識で考えておかしい」「不可解な話」であると指摘している。
10月27日になると中川の主張は一転し、中川は録音テープの会話は「自分の声であったかもしれない」と表明し[要出典]、一連の騒動の責任をとる形で内閣官房長官辞任を発表した。
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