もともとのきっかけは、なぜできない人ほど他人を批判するのかという話。この理由を調べていて、自信がない人ほど、攻撃的になる、自慢したがるといった心理学の話が出てきました。
2017/10/27追記:
●自慢話をする人・攻撃的になる人は自信がないからと准教授も指摘
●女性差別の解消で自信をなくす男性と男性差別の問題
●悪い点は直した方が良いけど指摘の仕方が難しい
●「批判する人ほど仕事ができない」の法則…ネットでも同じ傾向
2015/7/15:もともとのきっかけは、
1対4の比率(2015-05-16)というはてな匿名ダイアリーの記述でした。昔、利用者が100人ぐらいのサイトの管理人をしていたときに、利用者から苦情が入ったら荒らしの対処していたそうですが、そのときに「面白い事象を発見した」として、以下のような話をしていました。(改行は変更)
<なんと荒らしの対処依頼をしてくる奴の8割ぐらいが
チャット・掲示板を荒らしているのだ。
自分で荒らしつつ他人を荒らし申告してくるとは
変な奴らだなと思った>
さらにおもしろいのが、似たような傾向が他の場面でも見られたということ。その後、技術職で先輩後輩等の関係もほとんどなく、全員がほぼ同じ条件で動く…という仕事でも、同じような経験をします。また、複数人が協力してプレーするネットゲームにおいても、やはり同じような傾向が見られたとしていました。
<他人に対する批判の多い人は、仕事が出来ない人が多かったのだ。
他人に対する批判の多い人間は5人いたがそのうちの1人をのぞいて
かなり仕事が出来なかった。
それから数年後、俺は某ネトゲーをしている。
このゲームは4人一組でチームを組んで敵を倒すネットゲーなのだが
この人すごく下手だなと思う人ほど、「お前すげー下手だからこうしろよ」と的外れなアドバイスをしてくる。
中にはまともなアドバイスをしてくる人もいるのだが、
やはりアドバイスをしてくる奴の大体8割ぐらいは下手で的外れなアドバイスをしてくる>
●反対だと思っていた!自分に自信がない人ほど、高い目標を持ちやすい
これは経験的にはわかる気がします。この投稿に合う話を…と検索していたら、ちょっとだけ似た感じの
ヘイトスピーチ「現実世界で発言力のない人ほど、ネット上で辛辣になるのよ」というのも書いたことがありました。ただ、これもやはりわかる気がするというだけで、統計とったものじゃないですからね。そういう印象が強くなるだけで、勘違いの可能性があります。
で、きちんとデータ取ったもの、研究したものがないかなぁ?と検索したのですが、似たような話は大量に見つかるものの、証拠にならないものばかりでした。仕方ないでその中ではマシな記事を。個人でやっているものではなく、企業サイトでの記述ですからだいぶ他よりは良いでしょう。
何もしない人ほど批評家になる - WISDOM(衛藤 信之 2004年06月14日)というページです。
こちらでは、どのような人が心のストレスに弱いのかというと、完全主義な人…という一見意外な指摘をしていました。確かに人から見れば完全主義は立派に見え、仕事の波に乗ればかなりの仕事ができます。しかし、ひとたび、挫折を体験すると、もろくも崩れさってしまう弱さもあります。「まじめさ」と、「もろさ」は、出所は心理的に同じだとされていました。さらに、以下のような話もあります。
<自分に自信がない人ほど、高い目標を持ちやすい」それは、自分に自信がないと、スゴイ事をして、周囲から認められたい心理が働くからです。だからこそ、高い目標を掲げて、大げさなことを周囲に公言してしまう。自分に自信がない人ほど、仲間や家族に自分の素晴らしさをアピールすることに全勢力が注がれます。(中略)こういう人は、仕事で、成功すると有頂天になりやすく、仲間への感謝やねぎらいの言葉がありません。(中略)
さらに問題なのは、完全主義者の人が、失敗したときです。心の奥底(無意識)では、周囲や仲間が、自分を認めていないと感じているので、仲間の賞賛を得ようとして、到達できない目標やすごい大げさな事を日々アピールします。当然、高すぎる目標は失敗します。すると、さらにすごい実行不可能な事や、現実性の低い目標をかかげます。それは、失敗した自分への周囲の評価を変えるような一発逆転を目指すからです>
●懲罰的なしつけは悪影響 「基本的信頼」が欠けているという問題がある
読んでみると、ちょっと違う話かなと思うところもあります 過去に書いたものだと、
燃え尽き症候群と夢 「努力すれば必ず夢は叶う」を信じる危うさの方が近いかもしれません。あと、他人の評価が気になりすぎるというのは、承認欲求強すぎ…という系統の話でもあります。そう思っていたら、後からこういう話も出ていました。
<人は幼い時に、誰かに誉めてもらって「自分は価値がある」と感じて、精神的に安定しなければなりません。小さな時に、親から受容され「自分は価値がある」「この世界にいても良いんだ」と経験すると、自分を好きになります。これを心理学では「基本的信頼」と呼びます。
自分の弱さも受容された経験があり、はじめて他人の弱さにも寛容になれます>
また、うちでよくやる叱るは効果なく、認めるや褒めるが良いという話に関わるものも。元記事はそもそもすごく長いんですけど、盛りだくさんですね。濃密です。
<もし、幼い時に親が懲罰的だと、自分が責められた時「でも、妹は、前にもっと悪いことをしたよ」と誰かのダメなところを指摘することで、自分への矛先が少しでも回避される経験をしたり、または、誰かが誉められると、次に決まって「お前はダメだね」と自分自身が誰かに比較されたりする経験が多いと、人間は批評家になりやすくなります。誉めることより、足らなさに目を向ける方が、自分が安心していられる心理からです>
●完璧主義者は他人も許せず、批判的になる 「マイナスの投影」の問題も
私がもともと知りたかった批判に絡むところの話ももう少しありました。部下になめられてはいけないと思っている上司ほど、部下といつも臨戦態勢で、勝ち負けの人間関係になっていると指摘した上で、さらに、以下のような説明がありました。批判的なことは私もよく書いていますので、耳が痛いです。
<人間は、自分を愛する程度にしか、他人を愛せません。自分に完璧を求める人ほど、他人にも完全な状態を求めます。だから、自分の弱さにも、仲間のわずかないたらなさにも我慢できず攻撃的で、批判的なのです。だから、家族や仲間から心から愛されないし、心から親しくなれない。
その不安感が、さらに「自分は成功せねば認められない」と間違った錯覚にかられ、さらに完全無欠の完全主義者へと自分自身を追い込んでゆくのです>
あと、飛ばしたところで印象に残ったのが、「マイナスの投影」です。「マイナスの投影」というのは、実際には他人がそれほど悪く思ってもいないのに、自分自身が仲間や社会を信頼していない場合、{自分が成功しなければ相手にされないんだ!」と思い込んで悩んでしまう…とされていました。相手も自分と同じ考え方をしていると思いやすいそうです。
<暴力団から足を洗われた人が、「組員の時は、街を歩けばケンカです。目が合った、合わないで。その頃は、街の連中は、なんて血の気が多いんだと思ってました。でも、堅気になり、組員辞めたら、街は平和です。今は、ワシ目が合っても、挨拶や思てます。当時、血の気が多いのはワシでした・・・ハハッハハ・・・」と彼は笑っていました。
世界を敵にまわすのも、安心して世界を散歩感覚に変えるのも自分の心の世界なのです>
批判ばかりする人たちは他人のことを劣っていると評価してしまうため、自分のこともすぐ馬鹿にされていると勘違いしてしまうのかもしれません。検索した中では自信がない人やコンプレックスを抱えている人ほど批判的…といった経験談も多く、それらも説明できそうなものでした。
きちんと整理できずにダラダラっと書いてしまったものの、心理学の世界でかなり説明できそうですね。しぶしぶ読んでみた記事でしたが、すごく良かったですわ。読んでいて興奮してしまいました。
…これで終わりにしようと思ったんですが、最初のはてな匿名ダイアリーへの反応では、ダニング-クルーガー効果で説明できるのでは?というものがありました。これは、
ダニング-クルーガー効果 上から目線の人や自信家はむしろ愚かであることが多い「アメリカ人は30カ国中数学25位、科学21位、自信は1位」でやっています。
ダニング-クルーガー効果の場合は、ある物事において実際には人よりできない人ほど、自分はその物事が得意だと勘違いしてしまうという不思議な話です。最初にあったゲームが下手なやつほどアドバイスしたがるという話は、まさにこれでしたね。
●自慢話をする人・攻撃的になる人は自信がないからと准教授も指摘
2017/10/27:タイトルを見てすぐに、この投稿に追記できそうだなと思った「「オレ自慢」が近年増殖するのにはワケがある リアルでもネットでも"アピール"する男たち」(東洋経済オンライン / 2017年10月23日 8時0分)という記事がありました。
https://news.infoseek.co.jp/article/toyokeizai_20171023_193486/
ただ、男性学研究の精鋭、田中俊之先生が男の悩みに答えるといった紹介を見て、不安になります。なんちゃって専門家かもしれません。ということで、検索してみたところ、大正大学心理社会学部人間科学科准教授、元武蔵大学社会学部助教、博士(社会学)という経歴。大学教授でもトンデモが混じっていることがあり油断できないものの、とりあえず、素人ではなかったようで一安心です。
さて、本題。この回は女性の方からの質問で、隣の席の男性の先輩の「オレ自慢」を聞くのが苦痛でならないという相談でした。以下のようなエピソードを見ても痛さ満点です。
・ニュースに関し、「オレは通説とは違う解釈する」「オレはみんなが知っている以上の知識を持っている。
・その日着ている洋服で「値段は安いけど、高く見えるでしょ」と言う。
・飲み会に出席すると、「自分を出世させてくれない会社は自分のことをわかっていない」として、過去の武勇伝を延々と語る。
相談では、ニュースサイトのコメント欄も自慢ばかりと指摘し、余計なところまで飛び火。図星な指摘に心が痛む人を増やしていましたが、これを含めて田中俊之先生は以下のように指摘していました。
「わざわざ自分は他人とは違う優れた人間だと主張しなければならないのは、自信があるからではありません。逆に、“自信のなさの表れ”です。本当に自己肯定感が高いなら、自分のすごさを他人に確認する必要はありませんし、攻撃的にもならないでしょう」
●女性差別の解消で自信をなくす男性と男性差別の問題
なお、田中准教授は、女性活躍、イクメン、そしてダイバーシティの推進によって、過去の価値観で成功しているように見える男性をも、上記のようなオレ自慢に走らせているとも指摘されていました。うーん、これは残念ながらありそうな感じですね。すごそうな人でも今の価値観についていけず、劣等感を抱えているように見えるところがあります。
男性と女性の能力差はほとんどないに等しいので、女性を男性と同じように採用・昇進させることは理にかなっているのですが、その一方で多くの人が「男性は女性より優れていると考える」こともわかっています。こうした誤解によりプライドが傷つけられることで、男性が追い詰められてしまっていると考えられます。
(関連:
女性は男性より低評価な上に不正時は厳罰の傾向 男性の不正が倍以上なのに…)
これは男性が悪いといった話ばかりではなく、社会的な偏見、差別が関係しています。「男性は優れていなくてはいけない」という観念も、ある種の差別であり、男性も被害者なのです。
●悪い点は直した方が良いけど指摘の仕方が難しい
あと、ついでに前々から思っていた話も追加。憤慨されそうな話なんですが、日本すごい!系の話が増えたのは、逆に日本の国力が落ちたためではないかと言われていることについて。自信がないからこそ自慢や攻撃をするというのは、前述の話とも合致すると思っていました。以下のように、他のことを含めて日本人をひとりの人にたとえてみると、第三者から見て「こんな嫌な人はいない」という状態に、なってしまいます。
・日本のすごい話ばかりする日本人 = 自分の自慢話ばかりする人
・日本の悪い点を指摘されるのを絶対許さない日本人 = 自分の悪い点を指摘されるのを絶対許さない人
・外国の悪口ばかり言う日本人 = 他人の悪口ばかり言う人
「叱る」が良い方法でないと書いているように、批判されるのが嫌だというのはわかります。私も最近はなるべく耳に痛い話は控えようと心がけています。とはいえ、良くない点は改善した方が良いのは当然であり、そして、改善のためにはその良くない点を認識するということが、どうしても前段階として必要。たいへん難しいのですが、なるべく前向きな形で指摘して、「悪い点を直していこう!」という流れにできたらいいなと思います。
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