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松岡修造は家系も熱い 東宝次期社長候補の兄宏泰など代々社長の家系


2015/8/14:
●東宝次期社長候補の兄宏泰など代々社長の家系だった松岡修造
●松岡修造は家系も熱い 松岡修造氏の家系まとめ
●テニスの才能を評価されたのは兄の松岡宏泰・現東宝東和社長だった
●父親の松岡功・東宝社長もテニス日本代表
●勉強そっちのけでテニスをしていたのに、まさかの麻雀に浮気
●プロになると考えてもいなかった高校時代
●世界的名コーチに見出されるという漫画的な展開
●全然ポジティブじゃなかった松岡修造氏、精神的には弱い
●親からの援助打ち切り、仲間もいない中で苦難
●松岡修造、ああ見えて本当は精神的には弱い?
●熱いキャラ自体がそもそも作りだというショッキングな話も
2020/07/14:
●ポジティブなキャラは作りで実はネガティブ!ネガティブ本も発売


●東宝次期社長候補の兄宏泰など代々社長の家系だった松岡修造

2015/8/14:以前から知っていましたが、【ウラ芸能】松岡修造、その兄が注目されるワケ NewsCafe / 2015年4月27日 15時0分という記事を読んで思い出しました。

 ここでは、松岡修造さんの実兄で東宝東和の代表取締役社長・松岡宏泰(49)さんが注目を浴びているという話が出ていたのです。東宝東和は、あの東宝の子会社で、「松岡家は祖父も父親も代々、東宝の社長だから宏泰氏も次期社長」とのこと。エリート家系なんだそうな。以下のような話も出ていました。

「曾祖父にさかのぼると阪急東宝グループ創業者の小林一三(いちぞう)だったり、親戚には後楽園スタジアム社長とかサントリー社長とか、辻調理師専門学校校長とか…キラボシのように有名人が並びます」
「そうそう。松岡兄弟の母親は宝塚の男役だったし、修造の嫁は元テレビ東京アナウンサーの田口惠美子(49)だし、女性陣も華やかだ」


●松岡修造は家系も熱い 松岡修造氏の家系まとめ

 会話形式なのでとりとめのない感じになっていますが、Wikipediaにまとまった記載がありました。松岡修造さんは暑苦しいキャラで有名ですが、その家系も熱いですね。

・高祖父 : 松岡修造 (実業家:松岡汽船創業者)
・曾祖父:松岡潤吉 (実業家/政治家:松岡汽船創業者社長,元貴族院議員)
・曾祖父:小林一三 (実業家/政治家:阪急東宝グループ創業者)
・曾祖叔父:田邊七六 (政治家:元衆議院議員)
・曾祖叔父:田邊宗英 (実業家:第4代後楽園スタヂアム社長)
・祖父: 松岡辰郎 (実業家:元松岡汽船社長,第9代東宝社長)
・義祖父: 小林米三 (実業家:元阪急電鉄社長)
・従祖叔父:田邊圀男 (政治家:第31代総理府総務長官,第12代沖縄開発庁長官,第3代山梨県知事)
・父:松岡功 (テニス選手/実業家:元デビスカップ日本代表,第11代東宝社長)
・母:千波静 (元宝塚歌劇団星組男役:本名:松岡葆子(旧名:静子),宝塚歌劇団卒業生)
・妻:田口恵美子 (アナウンサー)
・姉:辻敏子 (旧姓:松岡)
・兄:松岡宏泰 (実業家:東宝東和社長)
・義兄:辻芳樹 (辻調理師専門学校校長)
・甥:辻雄康 (姉・敏子と義兄・辻芳樹の長男)
・義伯父:三村庸平 (実業家:元三菱商事社長・会長)
・義伯父:三村亮平(実業家:阪急不動産副社長)
・義伯父:小林公平(実業家:元阪急電鉄社長・会長)
・従叔父:鳥井信一郎(実業家:元サントリー社長・会長)
・従兄:小林公一(実業家:阪急阪神ホールディングス取締役,宝塚歌劇団理事長)
松岡修造 - Wikipedia 最終更新 2015年5月15日 (金) 08:36

松岡家は元々摂津国有馬郡塩瀬村(現・兵庫県西宮市塩瀬町)において地域の門閥家であったとされる一族で、松岡の同名の高祖父にあたる松岡修造が大阪で実業家として成功を納めた事で財を成した。修造の養子で家督を継いだ息子・松岡潤吉は修造と共に設立した松岡汽船等、父の遺した企業の経営を続けながら呉羽紡績(現:東洋紡)の設立等にも携わり、1933年には兵庫県で第5位の資産家になるまでの財力を築いた。更に潤吉はこの財力を背景に兵庫県選出の多額納税者議員として貴族院議員を務めて、また自身の娘が小林一三の次男・辰郎と結婚して、辰郎を婿養子として松岡家に迎え入れることで関西財界の有力一族であった小林家と縁戚関係を有して、また、辰郎の娘が一三の三男・米三の養女に迎えられたことで両家の関係は更に緊密なものとなり、同家も小林家を中心とした阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)に組み込まれて、関西財界の名門一族になった。

●テニスの才能を評価されたのは兄の松岡宏泰・現東宝東和社長だった

 松岡修造さんがおもしろいというかすごいのが、こういった豪華な家族の支援を受けて名テニスプレーヤーになったわけじゃないことです。全く逆で、テニスプレーヤーになることは許されませんでした。このエピソードが壮絶です。

 で、Wikipediaを読んでいて初めて知りましたが、むしろテニスプレーヤーとして才能を評価されていたのは、先にも登場したお兄さんだったそうです。
8歳の頃に、既にテニスをしていた三歳年上の姉・敏子を見てテニスに興味を持ち、一歳年上の兄・宏泰と共にテニスを始める。当時の松岡は身長も低く丸々と太った体型で、周囲の大人達に悪戯をして回るような腕白坊主であり、一方、兄の宏泰はそんな弟とは対照的にいつも温厚で礼儀正しい子供で、体格にも恵まれて(宏泰が高校に入学した頃は修造より20cmも身長が上であった)、テニスセンスも抜群だった為に、周囲のテニスコーチは宏泰に注目して、より高度な指導を行なっていた。当然松岡もコーチに「自分にも教えて欲しい」とせがむも、コーチから返ってくるのは「修ちゃんは、ガッツがあっていいよ。」と言った慰めの言葉程度であったという(松岡自身も後年に至るまで自身のテニスにおける素質の無さを自認しており、むしろテニスに関して自分よりも遥かに世界に通用する素質を有していたのは兄のほうであったと述懐している)。

 Wikipediaの下の方にはこういう話も。
現在は東宝東和株式会社で代表取締役社長を務める1歳年上の実兄・宏泰は、慶應義塾大学時代に慶應義塾體育會庭球部で主将を務めて、全日本大学選手権などに出場。テニス専門誌などにもしばしば登場するほどの名選手だった。

●父親の松岡功・東宝社長もテニス日本代表

 また、実にドラマ的なのが、父親がテニスのトップ選手であり、なおかつそのことを松岡修造さんが知らなかったという話です。
父親の功は元テニス選手であり、甲南大学在籍時に全日本学生テニス選手権大会で単複優勝し、デビスカップ日本代表に選出。1955年の全日本年間ランキングでは宮城淳と加茂公成に次ぐ3位を記録する国内トップ選手の一人であったものの、家業を継ぐため大学卒業を機にテニスとの関わりを一切絶ち、自身のテニス選手としての過去を子供達にも全く話さなかった為、松岡はテニスを始めた当初父がデ杯代表選手であったことを知らなかった。

 以下だけ、父の方のWikipediaから。
松岡功 - Wikipedia 最終更新 2015年4月20日 (月) 10:22

テニス・デビスカップ日本代表に選ばれるほどのテニスプレイヤーであったが、実業家として専念するためにテニス用具やトロフィーなどを全て処分し、テニスからは一切足を洗っていたため、息子・松岡修造は父親がテニスをしていたことを知らなかったという。

●勉強そっちのけでテニスをしていたのに、まさかの麻雀に浮気

 松岡修造さんは、この後テニスへとドハマりしていきます。
だが才能の無さを指摘され、自身もそれを自覚しながらもテニスへの情熱は衰えるどころが増していき、名門テニスクラブとして知られる桜田倶楽部で元テニス選手の飯田藍らの指導を受けながら本格的にテニスを学ぶようになる。慶應義塾中等部に進学する頃には勉学を優先していた兄とは対照的に中等部の校長から「テニスと学業の両立を図るように」と叱責を受けるほどテニスに毎日の時間の殆どを割き、中学2年生の時に全国中学生テニス選手権大会で優勝。次第に頭角を現すようになる。

 ところが、テニス一筋とは行きませんでした。麻雀に浮気したのです。これも初耳でしたわ。
その後慶應義塾高等学校に進むも、この頃中学3年生の時に覚えた麻雀に嵌り異常なまでにのめり込むようになり、夢中に取り組んでいたテニスよりも勝敗がその場で出る麻雀にうつつを抜かす毎日が続いた(その入れ込みようは自身の指先を見るといつの間にかテニスで出来たマメが消え、麻雀で出来たタコができていた程であったという)。

 ただ、テニスから一旦離れるというエピソードもドラマ的ですね。盛り上がりますわ。
しかしそんなある日、ふと自分の心中で「こんなことばかりしていていいのか?」「テニスがもっと強くなりたいと思っていたんじゃないのか」「目標のないまま大学に進学し、成り行きで就職して社会人になるのか。そんな人生でいいのか」と自問することがあった。そして「このままでは自分は駄目になる。自分が本当に好きなものはテニスなんだ」という事に気付かされた松岡は、そうしたぬるま湯的環境(松岡はこれを「甘え地獄」と形容している)となっていた慶應高校での学生生活を捨て、自分自身を鍛え直す為に高校テニス界の名門校として知られていた柳川高等学校への転校を決意する。

 しかし、これが反対されました。
この決断は両親に激しく反対された上、学校の教師からも当初は松岡が留年を恐れて転校を決心したと受け止められ、「学校のテニス部に入っていれば、成績が悪くても大学に行けるようにしてあげるから・・・」と心配された。しかし松岡の決意は固く、父を必死で説得し、柳川で必ず推薦の枠をもらって大学に進学することを条件に転校を許される。

●プロになると考えてもいなかった高校時代

 柳川高校では「ウィンブルドンへの道」と題された国内ジュニア大会で2年連続優勝。ウィンブルドン選手権や全仏オープンのジュニア部門への出場チャンスをもらえました。

 ただ、日本的で嫌だなぁと思うのが、海外遠征の期間がインターハイの予選期間と重なってしまって、辞退を勧められていることです。1年目は監督に相談して、本当に辞退。2年目も監督と母に相談すると、「チームメイトのことを考えろ!」「学校に迷惑をかけることは絶対に許しません」と、インターハイを優先すべきだと助言されています。

 とはいえ、2年目は「柳川高校を一年間休学し、また一年後に戻るという条件でウィンブルドンに行く」ことができました。これについては、Wikipediaが「一定の手応えを掴む実りのある遠征」としていました。数回勝つことができています。

 しかし、遠征後帰国しても、"この時点においても松岡は一度たりともプロになるとは思って"いなかったそうです。
テレビで毎年のグランドスラム大会を見てジミー・コナーズ、ビョルン・ボルグ、ジョン・マッケンローらの活躍を目にしても、ごく普通のテニスファンのように「すごいなぁ」と思うだけで、プロになるんだという強い決意も野望も一切抱いていなかった。これは当時、彼らのようにプロとして華々しく活躍する日本人選手が居なかったことも理由の一つであったが、何よりも松岡自身が自分には到底プロの世界で活躍する才能など無いと思っていた事に他ならなかった。

●世界的名コーチに見出されるという漫画的な展開

 で、また、海外の名コーチに見出されるという漫画みたいな話に。本当、人生がドラマチックすぎます。
ある日、飯田から「世界的名コーチのボブ・ブレッド(英語版)が来日するらしいので、自分が何とか段取りをつけるから、練習を見てもらわないか?」と声をかけられた。松岡が詳しく話を聞くと、上述のヨーロッパ遠征時に出場した全仏オープンジュニアでプレーしていた所をブレッドが偶然通りかかり、その場に居た日本人カメラマンの田沼武男に「この子、なかなか面白いかもしれない」と話し、それを聞いた田沼が旧知の間柄であった飯田に伝えた所、飯田がそれならば所用でやってくるブレッドに頼んでみようと考えたという事であった。その希望は叶い、ブレッドが練習を見に訪れ、30分程度の打ち合いも行った。だが、ブレッドは練習が終わると握手を求めるついでに「明日、アメリカへ帰る。サヨナラ」と一言述べただけで帰ってしまう。自身のテニスに対する感想やアドバイスを期待していた松岡は拍子抜けした。(中略)

翌日、そんな松岡の下に田沼から電話があった。「修造、ボブからの伝言だ。明日にでもアメリカに来い。日本に居たら強くなれないよだって・・・」「やっぱり君の力を認めてくれたんだよ。よかったな・・・」。ブレッドは彼を空港まで送った田沼に、松岡宛てのメッセージを残してくれていたのである。これを聞いた松岡は「ほんとですか・・・」と言って絶句したまま、何も言えなかった。「ブレッドがそう言ってくれるのなら、本当に明日にでもアメリカへ行こう」。このたった一言の「明日、アメリカへ来い」というブレッドの言葉が、松岡の人生を大きく変え、世界へと向かわせたのである。

 記憶だともっと突き放されていたイメージがありましたが、家族の反対がありつつも以下のようにこの渡米は成し遂げられました。

 ここらへんは何だかんだ言って、恵まれていると思いましたね。最終的に賛成してもらっているのもそうですが、いやらしいことを言ってしまうとお金の問題はたいへん大きいと思います。イギリスでは最近プロサッカー選手や俳優も金持ちでないとなりづらいと言われてきています。お金がかかるためです。
アメリカ行きを決意した松岡は早速この事を両親に伝える。当初反対すると思っていた父は意外にも「好きなようにやれ!」と最早見放すかのように松岡の決断をあっさりと認めたが、今度はその話を聞いた母が「まだ高校も出ていないのだから、アメリカに行くならせめて大学を出てからにして欲しい」と強く反対した。これに対し松岡は、まず渡米先の現地のハイスクールに通って卒業し、アメリカの大学に進学するという条件で泣きながら必死の説得を行った。子供の頃から言い出したら絶対に聞かない松岡の性格をよく知っていた母はこの説得で決意の固さを知りようやく納得し、(中略)松岡は単身アメリカへ渡った。

●全然ポジティブじゃなかった松岡修造氏、精神的には弱い

 才能がないと自覚していた、プロになれると思っていなかったといった話が出てきましたが、イメージと違って全然ポジティブじゃありません。これはアメリカでの逸話でもそうです。

 あと、自信がない・目標もないって中で、どんどん強くなっていくのも、おもしろいですね。出来すぎな感じの人生だと思うところが多いですが、自信がない・目標もないってところはスポ根漫画の主人公に全く向かないところです。
ハイスクールを卒業。奨学金も貰い約束通りアメリカの大学へ進学しようとした矢先、ブレッドから「腕試しにプロの試合に出てはどうか」とまたしても人生の転機となる言葉をかけられる。

松岡はこの何気ない提案に対しても自分がプロの試合で勝てるわけがないと渋ったが、ブレッドは「つまらない恐怖心を持つな!人間には思いもよらない能力がある。5年間頑張ってみろ。運がよけりゃシュウゾーは世界100位内に入る力がある」と松岡を力強く叱咤激励した。実際の所自分の実力がテニス王国のアメリカでどの程度通用するのか試してみたい気持ちもあった松岡は、この提案に乗り本格的にプロ大会への出場を決意する。

 手始めにブレッドさんは当時のATPツアー最下位カテゴリで、誰でもエントリーできるサテライト・トーナメントに出場させました。軽い腕試しのつもりで出場したこのトーナメントで、予想に反し4週全ての大会で本戦に勝ち上がり5週目の大会にも進出することができました。

 この結果には自信がなかった松岡さんだけでなく、ブレッドさんも驚き「シュウゾー、いっそのこと、大学に行かずにプロになってみれば?」と勧めたそうです。アメリカの大学に進んでテニスをやろうと考えていたため悩みましたが、元々世界の選手を相手にテニスをしてみたいとの思っていたこともあり、プロ転向を決意します。

 この決断については、家族にやはり反対されました。ただ、ここでも最後は承諾。あれ、やっぱり家庭環境のアドバンテージ相当大きいですかね? 私の記憶とだいぶ違いますわ。なんかもっと孤立無援で苦労してやっていたイメージがありました。
しかしここでも一番の問題となったのが反対されるに決まっている両親の承諾をどうやって得るかという事だった。そこで松岡は「二年間やってみてダメだったら大学へ行く」という条件を考えだし、この条件で両親の説得を試みようと東京に電話した。父は意外にも息子を突き放すかのようにあっさりと認めたが、一方母は「(渡米の条件として)大学に行くって言ったでしょ。冗談じゃないわプロなんて!」と、相談を受けた当初こそ受話器を通して伝わってくるほどの怒りを露わにしたが、実は一度ホップマン・キャンプに息子を尋ねた際にブレッドから「大学に行かせないでプロにさせたらどうか」と言われていた事もあった為この事態をある程度予見しており、息子の必死の説得に最後は承諾の言葉を与えた。

●親からの援助打ち切り、仲間もいない中で苦難

 ああ、私のイメージにあったのは、ここからでした。ここらへんは漫画の題材になんかうってつけな感じのエピソードです。
ブレッドの言葉を受けてプロにはなったものの、父からはプロ転向に際し一切の援助は行わないと条件を付けられていたため、松岡はまず金銭の工面に苦労する事となった。幸い一ヶ月ほどでとあるマネージメント会社と契約を結べ、一年300万円の活動資金を与えられた。松岡にとって、この契約は大変な助けとなったが、それでも航空費などの移動費や宿泊費も全てこの予算から捻出せねばならなかったため、当初は貧窮に堪えながら世界中を転戦した(予算を切り詰めるため、宿泊するのは3流以下の安モーテルの一室であり、さらにその部屋を知り合った外国人選手と折半してシェアした上で、ランキングが下の松岡はいつも汚い床の上で寝た。酷いときには食事にも困ったため、ホテルの朝食に出たクロワッサンを隣のテーブルから盗んで食べたこともあったという)。

また、アジアからやって来た無名の選手でしか無かった松岡には、練習相手さえおらず、既に自分達の仲間内でライバルを持ち、練習相手にも事欠かない各国の選手たちにとって、ルーキーとの練習など得る物は無く、誰も相手にはしなかった。しかし、松岡は、強くなりたい一心で、空いてるコートを見つければ、他の選手が来るまで黙々と練習を続け、一人で壁打ちをしている選手を見かければ、良ければ自分の練習相手になってくれないかと必死の思いで頭を下げて願い出た。この願いは、何度も断られ、時には侮蔑の目で拒絶されることすらあった。しかし、それでもたまたま練習の同意を得たときは、松岡は、「お前のお陰で本番前の良い練習になったよ」と思われたいがために、いつも150%の力を出して練習に臨み、その質の高い練習が次第に周囲の評判となり、練習相手として受け入れられていった。それがまた自身の練習にもなり、レベルも知らず知らずのうちに上がっていったのである。

●松岡修造、ああ見えて本当は精神的には弱い?

 この後の話は省略。ただ、怪我に悩まされたことや精神的な面での苦労は、やはり順調ではなかったところです。特に精神的な弱さを示すエピソードは意外性があるんじゃないでしょうか。
 プレースタイル

日本のテニス選手としては大柄な体躯から繰り出される威力の高いサービスショットを最大の武器としたビッグサーバータイプの選手の一人。(中略)

しかしその反面スタミナに難があり動きも硬く、多くの故障にも悩まされた。特に下半身は半月板の損傷や靭帯の断裂など大怪我を度々経験した為、元々欠点であったフットワークもキャリアを通じて改善することは無く、球足が遅くストロークの応酬になり試合時間も長引き易いクレイサーフェスの試合はひどく苦手とし、全仏オープンやオリンピック、デビスカップ等の主要大会(或いはそれらの前哨大会)以外でクレイサーフェスの大会に出場することは殆ど無かった(ツアー通算勝率.308)。

4大大会の男子シングルスやデビスカップは5セット・マッチで争われるため、試合の終盤に力尽きるケースが多く見られた(ツアー通算では5セットマッチを計12試合を戦って僅か3勝、デビスカップでは5度の内1勝という結果であった)また大事な試合/勝負所の試合になる程緊張で体が硬くなり、有利に試合を進めながらも単純ミスを重ね自滅することも同様に多く、思いつめた松岡は契約先のミズノに「フレームショットでも入るラケットを作ってくれ」と真剣に頼み込んだこともあったという。

●熱いキャラ自体がそもそも作りだというショッキングな話も

 イメージと違うという話をたくさん書いてきましたが、ショックな話もありました。ただ、今回読んだ話を見ていくと、なるほどなと思います。エピソードを見ていくと、こっちの方が真実味があると感じました。

・自身のキャラについて、天然ではなく計算した上でやっていると述べている。ソチオリンピックでは、カメラが回っていない時に口数が減り目が死んでいる様子を周囲に晒してしまうなど、長期のロケによる疲労感を露にし周囲を心配させたが、カメラの前ではいつもの熱いキャラを演じた。

 しかし、以下のような話も一応あります。

・彼のメンタルを強めるのに一役買ったのは、心身統一法を広めた思想家・中村天風だった。天風に出会ってから、ほぼすべての著書を読み、講演テープも聞いたという。なかでも強く実践しているのは「絶対積極」というもの。たとえば、病も気から、痛みも気の持ちようで感じなくなるんじゃないかと思った松岡は、歯の治療を麻酔なしでやってみたという。(週刊現代2015年2月7日号)

 いろいろとすごい話だったんですが、最後の暑苦しいキャラを演じているという話が、何か一番すごかった気がしてきました。


●ポジティブなキャラは作りで実はネガティブ!ネガティブ本も発売

2020/07/14:ポジティブに見えるのはキャラを作ってるだけで実際にはむしろネガティブ…というところでは、ズバリネガティブが人を強くする! 修造流 脳内変換術という書籍を出したようです。

 公式サイトの書籍紹介 | 松岡修造オフィシャルサイト | SHUZO MATSUOKA OFFICIAL SITEでは、松岡修造は生粋のネガティブ思考だとしていました。ただ、ネガティブをよくないことだとは思っておらず、ネガティブだからこそ、気づき、成長できたとしています。

 この本自体は、どうやってネガティブをポジティブ、そして強みに変えているのか…といった話だとのこと。おもしろそうではあります。ただ、前述の通り、松岡さん自身は現役時代コントロールしきれず、苦戦していました。

 最初の投稿のときには「メンタルを強く」という系統の話も出てきたものの、スポーツ心理学的には強い心より、楽しむ心が大事だともされています。真面目な話としては、心理学研究の裏付けがある本を読んだ方が良いでしょうね。

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