Cさんは、小学生のわが子の成績向上に関して、叱るのと褒めるのとではどちらが効果があるのか、過去の子育て日記をめくって調べてみた。すると、テストの成績について褒めた後よりも叱った後のほうがテストの成績が向上することがわかった。このデータからCさんは、褒めるよりも叱るほうが効果があると結論づけた。
意思決定のマネジメント (一橋ビジネスレビュー・ブックス)(長瀬 勝彦)より
このケースには、平均への回帰と因果関係の錯誤が重なっている。子どもを叱る状況はいくつか考えられるが、普段よりも低い点を取ってきたときには叱ることが多いだろう。逆にいつもより高い点を取ってきたときには褒めることが多いだろう。しかし、子どもの実力が安定的ならば、点数は平均へと回帰する傾向があると予測される。つまり、自己の平均よりも低い点を取った後には高くなり、高い点の後には低くなる確率が高い。ゆえに、このデータから褒めたり叱ったりすることと点数の変動との因果関係は明らかにできないのである。
プロ野球では「2年目のジンクス」といって、新人賞を取った選手が2年目はパッとしないことが多いといわれる。他球団から研究されて伸び悩むということもあるだろうが、最初の年に幸運が重なっただけで、2年目からは実力相応の成績に落ち着いたのかもしれない。
有名なバイアスがあって、平均点50点の人が20点を取った時に叱ると次は50点くらいになる可能性が高く、80点を取った時に褒めたら次は50点くらいになるという本当にバカらしい当然の話なのだが、こういう『経験』を積んだ結果『褒めてはいけない叱るべき』と思いこむ教育者が生まれるという。
— うなぎ(steel_eel) (@dancing_eel) 2015, 5月 26
そして長期的には褒めた方がやる気を維持して成績が伸びる(この場合期待される平均点が50点よりも増えていく)速度が早いので、つまりは教育に対してマイナスの効果しか持たない教育者がバイアスによって発生し続けるという地獄。
— うなぎ(steel_eel) (@dancing_eel) 2015, 5月 26
平均への回帰 - Wikipedia
平均への回帰(へいきんへのかいき、または平均回帰、回帰効果)とは、1回目の試験結果が偏っていた(特別に良かった、悪かったなど)対象について2回目の試験結果(時間的には逆でもよい)を調べると、その平均値は1回目の測定値よりも1回目全体の平均値に近くなるという統計学的現象をいう。
生徒たちが中間試験と期末試験を受けるとしよう。
中間試験で特別に高得点だった生徒たちに注目して調べると、(たぶん期末試験でも得点は高い方だろうが)一般に中間試験のときよりは平均に近い(平均からの偏差がより小さい)結果になる。それは、中間試験で働いた「幸運」(偶然)が、期末試験では必ずしも働かなかったからである。
逆に、期末試験で特別に高得点だった生徒たちについて調べても、中間試験での平均からの偏差は期末試験のそれより一般に小さい。
また、特別に低い得点の生徒たちで調べても同じ傾向が見られる。
よくありがちな誤謬には次のようなものがある。ある薬が成績を増すかどうかをテストしたい。まず生徒にテストをさせ、点数が最下位10%だった生徒たちに薬を与え、再度別のテストをさせる。すると平均成績が顕著に上がったという結果が得られる。しかしこれは薬の効果について何もいったことにならない。
回帰の誤謬 - Wikipedia
回帰の誤謬(かいきのごびゅう、英: Regression fallacy)は、誤謬の一種であり、存在しない原因に帰してしまうこと。自然の変動を考慮していないという問題がある。これは、前後即因果の誤謬の特殊例であることが多い。
概要
株価、ゴルフのスコア、慢性の腰痛などは自然に変動し、平均に回帰する。このときの論理的誤謬は、例外的な値が平均であるかのように連続することを期待し予測することである(代表性ヒューリスティック)。人々は分散がピークに達したときに対応する行動をとる傾向がある。そして、値がより平均に近づいたとき、彼らは彼らのとった行動がそうなった原因だと信じているが、実際にそれが原因であったかどうかは明らかではない。
・彼は痛みがひどくなると祈祷に行き、そうすると痛みが若干和らいだ。したがって、彼は呪術師の祈祷の恩恵を受けていた」
・「彼は痛みがひどくなるとA薬を飲み、そうすると痛みが若干和らいだ。したがって、彼はA薬の恩恵を受けていた」
痛みがひどくなってから治まるのは、単なる平均への回帰で説明できる可能性がある。この場合、呪術師の祈祷(あるいはA薬)によって治まったのかどうかは(論証的には)分からない。
・「そのクラスの学生は前学期にひどい成績だったので、私は彼らを罰した。今学期、彼らの成績が上がった。明らかに、処罰は学生たちの成績向上に有効である」
例外的な成績の後に平均的な成績になることは平均への回帰で説明できるため、「罰が成績向上に寄与する」との論証がかならず成立するかどうかは分からない。
一方で、回帰の誤謬だとして妥当な説明を退けることで状況が悪くなることがある。例えば、
「西側同盟諸国がノルマンディに侵攻し、第二の戦線を形成すると、ドイツのヨーロッパにおける制御は衰えた。明らかに米英とソ連の連携はドイツを追いつめた」
これに対する誤った評価は次のようになる。
「ドイツが最大の領域を占領し制御下に置いた後でドイツへの反撃が行われたとすると、純粋に無作為な変動としてドイツ軍の撤退を平均への回帰で説明でき、ソ連や米英が何も介入しなかったとしてもドイツ軍の撤退は行われただろう」
この評価は、回帰の誤謬の誤用である。本質的に、平均への回帰を誤用すると、どんな因果関係も「自然にそうなった」ということになってしまう。
また、時間の経過自体がマイナスに働く場合もある。たとえば、ある大相撲力士において、33歳当時の年間成績が55勝35敗、34歳当時が45勝45敗、35歳当時が30勝35敗25休とすれば、36歳以降のこの力士の成績が関取の平均的成績のレベルに回帰することはまず期待できないであろう。
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