現在の墓石がどのようにしてできあがったか?という話。うまいタイトルが思いつかず、<お墓の歴史 初期の仏塔から五重塔・五輪塔・卒塔婆・位牌に変化>としました。<お墓も五重塔も位牌も卒塔婆も…すべては釈迦の塚から始まった>などをまとめています。
●お墓も五重塔も位牌も卒塔婆も…すべては釈迦の塚から始まった
2015/9/19:すべてのスタート地点となるのは、釈迦、お釈迦様の骨を埋めた塚から始まっています。この時点でおもしろいですね。なお、ここで出てくる仏塔は、このストゥーパは音訳されて「卒塔婆」とも呼ばれますが、後で出てくる新しい意味の「卒塔婆」とは異なりますので注意が必要です。
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仏塔 - Wikipedia<仏塔(ぶっとう)とは、仏舎利(釈迦の遺体・遺骨、またはその代替物)を安置した仏教建築をいう。卒塔婆(そとば)、塔婆(とうば)、塔(とう)とも呼ばれる>
<古代インドから中国に仏教が伝来した際、ストゥーパ (梵語 : स्तूप, stūpa) は「卒塔婆」と音訳された。「塔婆」や「塔」はこの略である。(中略)
ストゥーパはもともと、仏教の開祖の釈迦が荼毘に付された際に残された仏舎利を納めた塚である>
「仏塔」に関する説明のWikipediaページですが、上記の時点ではまだ「塚」です。その後、以下のように「塔」ができることになりました。
<最初は釈迦を祀って、釈迦の誕生した涅槃の地に塔を建てた。その後、仏教が各地へ広まると、仏教の盛んな地域にもストゥーパが建てられ仏舎利を祀るようになった。
その後、ストゥーパが増え仏舎利が不足すると、宝石、経文、高僧の遺骨などを、しかるべき読経などをしたうえで仏舎利とみなすようになった>
●東南アジアでは仏塔(ストゥーパ)が石造化 中国や日本は木造化
Wikipediaでは採用されていませんが、
ストゥーパ(仏塔) 世界史の窓によると、"ストゥーパは東南アジアに伝わると、パゴダという石造"となったという説明もあります。ということで、パゴダに関するWikipediaの説明も見ておきましょう。
パゴダ - Wikipediaでは、以下のように説明しています。
<パゴダ (pagoda) とは仏塔(ストゥーパ)を意味する英語である。日本ではもっぱら、ミャンマー様式の仏塔のことを意味する。
日本の仏塔と同様、仏舎利(釈迦仏の遺骨等)または法舎利(仏舎利の代用としての経文)を安置するための施設である>

世界史の窓では、"中国や日本では塔の形をとり、中国では土と木、日本では木造の塔となる"と説明していました。石造化した東南アジアとは違って木造化したんですね。それぞれの地域の建物の構造なんかとも比較したいところです。なお、最初の仏塔のWikipediaでは、それぞれ以下のような説明になっています。
・漢
<それが漢の時代に中国に伝わり、木造建築の影響を受けて形が変わった。中国ではストゥーパに「塔」の字が当てられた>
・日本
<その後、日本に伝播した。日本では五重塔・三重塔・多宝塔など、木材(檜など)を使って建てられることが多い。なお、小型のもの(宝篋印塔や五輪塔など)は石造や金属製(青銅など)のものが多い>
●日本では大型化し五重塔などに 同時に小型化して五輪塔などにも
既に名前が出てきていたように、日本で大型化した仏塔に五重塔などがあります。<ストゥーパの音写の「卒塔婆(そとば)」もしくは「塔婆(とうば)」を略した「塔(とう)」は、高層仏教建築物を指したわけであるが、それが転じて、細くて高い建築物全般が「塔」と呼ばれるようになっていった>とした上で、以下のように説明されていました。
・層塔・多層塔
<三重塔や五重塔や多宝塔などのように2階建て以上の仏塔のことを「層塔(そうとう)」や「多層塔(たそうとう)」と呼ぶ。原則的には、奇数層となる。三重塔・五重塔などのように階層が低い場合は木造建築のものが多いが、談山神社の十三重塔のように階層が高くなると石造のものが多い。(なお、三重塔や五重塔でも庭に置くような小さいものは石造のものもある。)>
・その他
多宝塔
宝塔
国東塔
相輪橖
仏舎利塔
(以下は五重塔です)

日本では一方で、五輪塔(五輪の塔)などのように小型のものが出てきています。他にも無縫塔・宝篋印塔などもあります。以下は五輪塔の説明。なお、ここらへんから釈迦の骨を祀る仏塔というところから離れて、故人の供養塔や供養墓になってきているのもポイント。大きい五輪塔はそうじゃないものもあるかもしれませんが、この次の小見出し以降は完全にそういうタイプになってきます。
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五輪塔 - Wikipedia<五輪塔(ごりんとう)は、主に供養塔・墓塔として使われる仏塔の一種。五輪卒塔婆、五輪解脱とも呼ばれる。(中略)
教理の上では、方形の地輪、円形の水輪、三角の火輪、半月型の風輪、団形の空輪からなり、仏教で言う地水火風空の五大を表すものとする。石造では平安後期以来日本石塔の主流として流行した>

●五輪塔をさらに簡略化して今の一般的な卒塔婆(板塔婆)に変化する
最初に書いたように、卒塔婆の意味はややこしいんですね。卒塔婆=仏塔ではなく、現在一般的に「卒塔婆」と言ったときに思い浮かべる新しい意味の卒塔婆についての説明されているものが、以下のあたりです。前述の五輪塔がさらに変化して板塔婆になりました。どんどんと変化してバリエーションが増えていきます。
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五輪塔 - Wikipedia特殊な例としては、一般的に塔婆や卒塔婆と呼ばれる木製の板塔婆や角柱の卒塔婆も五輪塔の形態を持つが、五輪塔とは言わず、単に塔婆や卒塔婆という。
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板塔婆 - Wikipedia<板塔婆(いたとうば、いたとば)とは、追善供養のために墓の脇になどに立てる木製の長い板のこと。卒塔婆(そとうば、そとば)とも。(中略)
五輪塔に似せた形に作られており、五大を表し、上から空、風、火、水、地である。それぞれ宝珠形、逆半円形、三角形、円形、長方形をしている。(中略)
平安時代末期ないし鎌倉時代初期ころには使用されるようになっていたと言われている。というのは12世紀末の『餓鬼草紙』に描かれているからである>

●古来の習俗と仏教の卒塔婆が習合した位牌
まだまだ広がる仏塔。卒塔婆よりまだ小さいものがあります。位牌も仏塔から発展したものです。
位牌 - Wikipedia
位牌(いはい)とは、死者の祭祀のため、死者の戒名などを記した木の板をいう。
中国の後漢時代から儒教の葬礼に用いられる神主(しんしゅ。死者の官位・姓名を書く霊牌。)と同視されたため、「位」牌と呼ばれる。またその起源は、霊の依代(よりしろ)という古来の習俗と仏教の卒塔婆が習合した物ともされる。日本には禅宗と共に鎌倉時代に伝来し、江戸時代に一般化した。

●位牌に影響された位牌型の板碑という墓石
板碑というものは、今回調べていて初めて知りました。「板」と言うと木の板かと思ってしまいますが、木ではなく石の板みたいですね。
板碑 - Wikipedia
板碑(いたび)は、主に供養塔として使われる石碑の一種である。板石卒塔婆、板石塔婆と呼ばれ、特に典型的なものとしてイメージされる武蔵型板碑は、秩父産の緑泥片岩を加工して造られるため、青石塔婆とも呼ばれる。(中略)
分布地域は主に関東であるが、日本全国に分布する。設立時期は、鎌倉時代~室町時代前期に集中している。(中略)
戦国期以降になると、急激に廃れ、既存の板碑も廃棄されたり用水路の蓋などに転用されたものもある。現代の卒塔婆に繋がる。
上では「現代の卒塔婆に繋がる」とありました。ただ、前述の通り、現代の卒塔婆は五輪塔由来という説の方が一般的だと思います。
板碑は墓石の項目だと、次のような説明でした。
墓石 - Wikipedia
鎌倉時代~室町時代にかけて、禅宗の到来とともに位牌と戒名が中国から伝わる。その影響からか、位牌型の板碑や今日の墓石に近い角柱型のものもつくられるようになった。
●現在の墓石も仏塔の影響
上記で既に出ているように、今日の墓石に近い角柱型のものも位牌による影響があるそうです。この他に以下のような記述がありました。こちらだと位牌から変化ではなく、直接五輪塔などから変化したとされています。
和型の墓石は仏舎利塔や五輪塔を簡略化したものだといわれている。

以上。初期の、お釈迦様の骨を埋めた塚や仏塔(ストゥーパ)から様々な形に変化しているってことで、結構おもしろかった話でした。
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