2022/02/21追記:
●光圀が用いた「則天文字」とは何か?DQNネーム的な則天文字の使用 【NEW】
●キラキラネームは日本の伝統?平安時代の藤原明子の名前が読めない
【クイズ】染殿后と呼ばれた平安時代の藤原明子の読み方は?
2015/9/25:
藤原明子 (染殿后) - Wikipediaによると、藤原明子は"藤原良房と源潔姫の娘で文徳天皇の女御"です。"染殿(のちに清和院)が里邸であったため、染殿后(そめどののきさき)とよばれた"そうです。
生没年は、天長6年(829年) - 昌泰3年5月23日(900年6月22日)。平安時代ですね。"72歳と当時では珍しい長命で崩御"しています。
藤原明子の読み方は一つには、「ふじわら の めいし」というのがあります。Wikipediaでは、この読み方は2番目に登場。クイズの回答として想定しているのは、Wikipediaであった一つ目の方です。正直言って知らない人は絶対に読めない名前なわけですが、クイズ形式にしてしまったので回答は後で書きます。
●高齢者も納得の古き良き名前「和子」も実はDQNネームだった
さて、読めるわけないだろ!というのは、今回の話、そもそもいわゆるキラキラネーム(DQNネーム)の話題であるため。
キラキラネームの大研究 (新潮新書)
という本を紹介した
キラキラネーム問題は大昔からあった 「藤原明子」を読めますか? BOOKS&NEWS 矢来町ぐるり 5月21日(木)12時8分配信 が元ネタでした。
記事によると、漢字の読み方にはかなりの幅があり、また「個性的な名前を」と思う親はいつの時代もいるようで、江戸時代にも今と同じような難読の名前ブームが起きたこともあるそうです。それを嘆いていたのは、本居宣長。宣長は、随筆の中で、次のように書いているとのこと。
「最近の人の名前には、名前にふさわしくない字を使うことが多い。(略)最近の名前はことに奇妙な字、変な読み方をして、非常に読みづらい名前を多く見かける。すべての名前は、いかにも読みやすい文字で訓がよく知られているものがよい」(訳は『キラキラネームの大研究』の著者、伊東ひとみさん)
今のキラキラネームに対しての苦言とまったく同じで笑っちゃうくらいです。宣長は様々な名前について疑問を呈しているのですが、意外なのは「和子(かずこ)」という名前を問題視している点です。「人の名に『和』の字を用いて『かず』と読むのは間違いである」と断言しています。
『キラキラネームの大研究』の著者、伊東ひとみさんによると、「もともと『和』の訓読みは『なご(む)』『やわ(らぐ)』など。言われてみるとその通りなのですけど、「『かず』という読み方は通常の音訓ではありません」。江戸時代以降も「『かず』は人名だけで使われてきた読み方」とされていました。
●「藤原高子」も読めない!染殿后と呼ばれた藤原明子、正解は?
藤原明子の関係では、彼女の息子、清和天皇の妃になった「藤原高子」も読めないと思います。こちらはそういう読み方できないだろうというものではなく、読めるけど普通は読ませないだろうという読み方です。何と、「高子」は「たかいこ」と読むのが正解なんだそうな。馬鹿っぽいですね。
この調子なら「明子」は「あかるいこ」、古語風なら「あかしこ」などとなりそうですが、実はそうもなりません。「明子」の正しい読み方は、なんと「あきらけいこ」だそうです。読めてたまるかバカヤロー!という読み方。まさにDQNネームと呼ぶにふさわしい奇抜なものです。
なお、記事では、"以前は「ふじわらのめいし」とされていたが、近年、読み方を記した文献が発見されて正確な読み方が判明した"として、Wikipediaのもう一つの読み方「めいし」は間違いといった感じで説明されていました。
●昔の名前の方が変?とんでもない名前が続々判明する可能性
検索してみると、
女性の名前に「子」がつくことについて 【OKWave】という質問サイトの回答で、そもそも昔の女性では、名前が残っている例の方が珍しいとしていました。そうですね、昔は家系図でも女性はぞんざいな扱いでしたし、不明なところが多いと考えられます。
質問者が選んだベストアンサー 2005-08-15 17:27:07 回答No.8 noname#35582
「○子」というのは、位を貰うときにつけられる名前なので、当然ながら位をもらえるような、「宮廷の貴族の女性に多かった」ということになります。
ちょうど、今年の大河ドラマ「義経」を引き合いに出されていますので、平家物語からお話しますと…。
平家物語の原文を読んでも、女性の名前って殆ど出てこないんですよ。
「女」としか書かれていなくて、名前がついているのは位を貰っている、高い身分の女性だけなんです。
すなわち、女性が後宮などで「女官」として働くる場合(天皇の后(皇后、中宮、女御、更衣)なども一種の女官)、従三位典侍や従五位命婦という位と官職をもらっていたので、その時には名前の登録をしなければならず、その時に「○子」とする-となっているのです。(中略)
「時子」は、二位の尼ともいわれるように、「二位」という位を貰っているので、記録に「時子」という名前が残っています。
「徳子」も高倉天皇の中宮になっていますのでこちらも記録に「徳子」と残っています。
ですから、「時子」も「徳子」も、生まれたときから「時子」とか「徳子」という名前だった訳ではないのですよ。(中略)
「常盤」も「静」も本名ではありません。
「常盤」は九条院に雑士女として使えていたときの「候名(さぶらい-な)」ですし、「静」は芸名に近いものでしょうね。
江戸時代における将軍側室の「お万の方」や「お楽の方」は、本名から派生した「局名(つぼね-な)」です。
庶民出身であるが、将軍の側室となったので、一種の尊敬語(?)として「お」と「方」を付けた-といったところです。
ついでに書けば、豊臣秀吉の正室・おね(引用者注:「ねね」で覚えていましたがこれも諸説あるそうです)も、位を貰っていますから記録に残っています。その名前は「豊臣吉子」です。(中略)
最後に、#6さんの「清和天皇の母親は「明子」と書いて「あきらけいこ」と読みます。」ですが、この方は、ちゃんと読み方まで記録に残っているのですよ。
この人と「高子(たかいこ)」さんと「多賀幾子(たかきこ)」さんだけは。
ということは、今後新たな資料が見つかることで、またそりゃねーだろという読み方が判明するかもしれません。ちょっと楽しみな気もします。
●光圀が用いた「則天文字」とは何か?DQNネーム的な則天文字の使用
2022/02/21追記:水戸黄門・徳川光圀のところで書いた話なのですが、「昔のDQNネーム」的な感じなのでこちらにも追記。徳川光圀の場合は漢字の読み方が変というよりは、漢字そのものが普通の漢字ではない…というパターンですね。「くに」の字を「國」ではなく、「則天文字」の「圀」で書いていました。
則天文字 - Wikipediaによると、則天文字(そくてんもじ)は、中国・武周の女帝武則天が制定した漢字。武則天が権力を誇示するため、あるいは個人的な好みや考えのため制定されたとされているそうです。
<武則天が失脚するとほどなく忘れ去られた。日本で最も有名なのは「圀」の字で、徳川光圀の名前に使用されている。この字は「國」の「或」の部分が「惑」に通じるので不吉だと理由で「囗」(くにがまえ)に「八方」という字が入れられた。(中略)
部分的にではあるが日本や韓国にも伝わった。例えば江戸時代の大名「德川光國」は正しくは「德川光圀」と書かれる。これは「或」の字が「惑」に通じて不吉だったからとされている>
もし「光圀」と改名したのが「不吉だったから」でしたら、非現実的な性格とされる徳川光圀にピッタリな話です(ちなみに改名は52歳説が有力だそう)。ただ、全然意味がないのに変に格好つけて変えてしまうということから、他の徳川光圀の特徴とされる公家的な性格や好奇心旺盛さでも解釈できるでしょうか。
イメージの悪い例えになっちゃいますが、DQNネーム的な感覚とも似ているかもしれません。光圀は元不良少年でもあったんですよね。「DQNネーム」っぽく思う人は私以外にもいるようで、
DQNネーム (どきゅんねーむ)とは【ピクシブ百科事典】で、<わざわざ一般的な字から見慣れない異体字に改名した水戸光圀公も、DQNネームと言えばDQNネームと言えるだろう。ちなみに子孫に「圀順」、「圀斉」がいる>と書いている部分がありました。
【関連投稿】
■
DQNネーム・キラキラネームな名前の子供の不幸 うつ病が多い? ■
名前ランキング・男の子編・昭和~平成の流行の変遷 難読化の傾向 ■
名前ランキング・男の子編・大正~昭和の流行の変遷 戦争の影響 ■
名前ランキング・女の子編・大正~昭和の流行の変遷 ○子だらけ ■
名前ランキング・女の子編・昭和~平成の流行の変遷 結が人気に ■
雑学・歴史についての投稿まとめ
Appendix
広告
【過去の人気投稿】厳選300投稿からランダム表示
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
|