2015/10/1:
●日本人はノーベル賞騒ぎすぎ、馬鹿騒ぎする日本のマスコミ
●騒ぎすぎに苦言、ノーベル賞ばかりを騒いではいけない理由
●一見良さげな成果至上主義が逆に独創的な研究を潰してしまう!
●そもそも本当にカネをかければノーベル賞を取れるのか?
●日本人はノーベル賞騒ぎすぎ、馬鹿騒ぎする日本のマスコミ
2015/10/1:
ノーベル賞有力候補の経歴 森和俊京大教授・坂口志文大阪大教授で、日本人はノーベル賞で騒ぎすぎという批判があると書きました。実際にノーベル賞を受賞した白川英樹筑波大名誉教授も、そういった懸念を示している方の一人です。
白川英樹筑波大名誉教授は毎日新聞の記者に、「ノーベル賞ばかりが、なぜこれほど騒がれるのか。これは本当に疑問でしてね」と言いながら、ノートパソコンで自身が受賞した00年から3年間のノーベル賞関連の新聞記事のリストを見せてくれました。その数は軽く100本を超えており、世間のフィーバーぶりがよく伝わるものだったそうです。
ノーベル賞報道は単にフィーバーするだけでなく、人となりや動静に注目が集まり、肝心の研究内容が薄い傾向があるというのも問題点としてよく挙げられます。これはSTAP細胞での小保方晴子さんのときにも見られた批判です。
この新聞記事リストでも、「白川英樹さんが母校で講演」「授賞式へ出発、野依良治教授」「田中耕一さんが富山へ帰郷」などといったものが見られました。日本人が受賞する度に見かける新聞記事の見出しであり、日本人としては当たり前で違和感はないでしょう。しかし、白川さんは「研究内容についての報道は最初だけで、その後はほとんどないんですよ」と苦笑していました。
(
特集ワイド:筑波大名誉教授・白川英樹さんの憂い ノーベル賞の裏で科学研究の危機が 毎日新聞 2015年01月23日 東京夕刊【小林祥晃】より)
●騒ぎすぎに苦言、ノーベル賞ばかりを騒いではいけない理由
ノーベル賞以外にも素晴らしい賞はたくさんあるのに、まるでノーベル賞と扱いが違うという批判もされています。これが冒頭で挙げたような話ですね。
これがよく言われる話だと言うのはまるで改善されていないということなのですが、白川英樹教授の他の批判も今までに指摘されてきたものの繰り返しになっています。ただ、よく言われている批判の中でも特に重要なのが、ノーベル賞に繋がらないと考えられる分野が疎かになるという、はっきりとしたデメリットです。
<以前から、ノーベル賞だけを特別扱いする風潮に疑問を投げかけてきた。01年、国の科学技術基本計画で「今後50年間で受賞者30人」という数値目標が示されると、他の受賞者とともに異論を唱えた。その主張の根底には、ノーベル賞の華やかさに目を奪われている間に、科学から独創性が失われる現状を見過ごしてしまうのではないか−−という危機感がある>
●一見良さげな成果至上主義が逆に独創的な研究を潰してしまう!
この記事は2015年1月のものであり、国がカネをちらつかせて国立大学の文系縮小を提言したことは意識されていないと思います。これは、
国立大文系廃止、日本学術会議が批判 ユネスコ系国際団体・国際社会科学評議会(ISSC)も懸念などで書いている話です。
ただ、国のお金の配分の仕方については、白川名誉教授も心配していました。この時期ですと、内容的にはSTAP細胞問題の方を強く意識されているのでは?と思います。記事ではその話は出てこないものの、巨額の予算を奪い合う格好にしたことは、若手だけではなく若手を指導するベテランにも焦りを与えたことが問題を大きくした一因ではないかと私は考えています。
とりあえず、記事では、「今、若手の科学者を取り巻く環境は厳しくなっている。特に国立大学では04年の法人化以降、研究費のあり方が激変した影響が大きい」とされていました。
法人化以前は、国から各大学の規模に応じて平等に配分される「積算校費」がありました。これが基礎研究の財源となってきました。ところが法人化後、平等に配分する資金を減らし続けているというのが国の方針です。その代わりに、優れた研究テーマを選んで配分する「競争的資金」の割合が高まっています。成果主義的な方向性です。
平等なんかより成果主義の方が良いと思う人も多いでしょう。やる気のある研究者や成果の見込まれる分野を伸ばし、研究が活性化するような気がします。私も以前は成果主義の方が良い方法だと思っていました。
しかし、現実には逆。記事では指摘がなかったものの、その後日本では世界的な重要論文が減るという事態になっています。競争的資金はむしろ日本の科学の劣化をもたらした可能性が高いです。
白川さんの方は「巨額を要する大きなプロジェクトに割り当てられる比重が大きく、基礎研究に取り組む若手研究者には十分行き渡っていません」と指摘。これはノーベル賞に繋がりそうにない研究を切り捨てているってことかもしれません。
また、前述の不正誘発とも関連する部分としては、任期制で採用された教員は限られた期間に研究を仕上げて論文を作り、成果を出さなければならなくなったという状況が関連します。以下のようにおっしゃっていました。
「そうしないと『次』がないのです。だから成果の出やすいテーマを選択せざるを得ない。でも、本来は自分の研究室を軌道に乗せるのに1、2年はかかるものです。それから実験を始めて、論文を書くと、それだけで3年。規定の年限内に成果が上がらないことなんて、いくらでもある。結果を出すまで研究者が何十年も、場合によっては一生涯をかける場合だってある。『成果、成果』と追い立てる成果至上主義が、研究者の興味に基づいた独創的な研究を阻害しているのです」
●そもそも本当にカネをかければノーベル賞を取れるのか?
一部の分野にお金が偏ってしまっているという話だったのですけど、カネをかければノーベル賞を取れるかどうか、さらに、そもそもノーベル賞を取れる研究を予想できるかどうかも、怪しいところを感じています。
というのも、画期的な発見・発明というのが、誰もが有力だと思っている競争の激しい研究だけでなく、見向きもされないようなマイナーな研究から生まれることが、往々にしてあるためです。ノーベル賞やノーベル賞候補といわれる研究では、そういうケースがかなりあります。
この点白川教授は私よりさらに思い切ったことをおっしゃっていますね。「お金をつぎ込めば独創的な研究が増えるというものではありません。ましてやノーベル賞をとれると考えるのは間違っています」と言い切っています。
白川教授が受賞した「電気を通すプラスチックの開発」という業績は、プラスチックの合成中に薬品の量を間違えたミスがきっかけでした。こういった経験が、特定分野に金を増やしてもノーベル賞につながらないという考えに繋がっているようです。
そういえば、同じくノーベル賞をもらった田中耕一さんも「試薬の調合を間違えたことが新しい発見につながった」とされていました。これは、
ノーベル賞受賞の発見を「棚ぼた」と言われ、田中耕一さん憤慨で書いた話です。似たような逸話は他にもあり、世界的な成果が狙ってできたものでないことは、かなり多いと感じます。
それから、自然科学系の日本のノーベル賞受賞者の多くは、80年代以前の研究実績を評価されたというのも、「本当にカネをかければノーベル賞を取れるのか?」に関連する話。というのも、当時の科研費の年間総額は数十億〜数百億円程度であり、そう多くはなかったためといった説明でした。なかなか説得力がある話です。
なお、予算が膨れ上がった経緯については、
理研の予算が肥大化した理由 科学者の楽園から族議員の楽園へをご参照ください。自民党の族議員が跋扈して科学研究に膨大な予算がつくようになったのは、比較的最近の話みたいです。
【本文中でリンクした投稿】
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国立大文系廃止、日本学術会議が批判 ユネスコ系国際団体・国際社会科学評議会(ISSC)も懸念 ■
ノーベル賞受賞の発見を「棚ぼた」と言われ、田中耕一さん憤慨 ■
理研の予算が肥大化した理由 科学者の楽園から族議員の楽園へ ■
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