戦争に関する話をまとめ。<昭和天皇の海外の評価 崩御のニュースで「地獄へ行け」>、<オランダでは右翼勢力から生卵や魔法瓶を投げつけられる猛抗議>、<ロシア皇太子の暗殺未遂事件では警備はどうなっていたのか?>などをまとめています。
2023/04/22追記:
●降伏文書調印の際のマッカーサー元帥の演説が予想外過ぎて驚き 【NEW】
●昭和天皇の海外の評価 崩御のニュースで「地獄へ行け」
2019/05/29:だいぶ放置していたので何がきっかけだったか覚えていないのですけど、以下のようなツイートをブックマークしていました。これに関連して検索して見つけたのか、
昭和天皇はヒトラーと同じ、なぜ欧米は葬儀に参列? -昭和天皇が亡くな- 経済 | 教えて!gooというのもいっしょにブックマークおり、続けて紹介します。
<昭和天皇が亡くなられた時、戦勝国のメディアでは昭和天皇の事をヒトラーに例えた記事を書いたり、軍国主義者、戦犯の最後の生き残りが亡くなったなどの批判的な内容の報道が多数されました。
それにも関わらず、なぜ米英を始めとした戦勝国は大喪の礼に参列したのでしょうか?>
●欧米は昭和天皇を憎んでいたはず…なのになぜ礼儀を尽くしたの?
相変わらず質問サイトらしく回答の方はクソなのですけど、以下が穏当なところでしょうか。
<国民感情と政治は違います。
政治的にはサンフランシスコ講和条約締結で、戦争責任も一応解決しています。
よって国家元首の葬儀参列は当然です。>
他の回答はひどいのが多く、例えば、海外で批判的な内容の報道されたことについて、「それを日本に紹介するメディアがあったということです。日本を貶めようとしている者が、日本の国内にいるのです」などと書いている人もいました。海外で起きている現実を報道したら反日扱いってバカでしょう。
そうやって現実に起きていることを隠蔽し、日本人にとって都合の良いことだけを報じる報道を続けていると、事実が全くわからなくなり、大きな問題が起きます。まさに戦時中の捏造報道そのもので、それこそが真実の反日報道ですよ。このことについては、
一見反日なマスコミ報道や売国行為が国益に 愛国が逆に国益を損ないかねない理由を参考にどうぞ。
また、戦時中の旧日本軍の軍人で皇族の
三笠宮殿下も「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた」とおっしゃっていました。
●オランダでは右翼勢力から生卵や魔法瓶を投げつけられる猛抗議
ただし、上記までの話は信頼性の低いツイッターや質問サイトの情報であることに注意。ソースがあれば質問サイト由来でも信頼性が上がってくるのですけど、例によって証拠が全くありません。ということで、ソースを明記することがルールになっている
Wikipediaの昭和天皇の項目を見てみました。
Wikipediaの場合は、さすが!という感じで情報が多いです。ただ、今度はあまりにも長すぎる…という問題が発生。全部読むってのは無理だと諦めました。なので、それっぽいところだけ読む作戦に。これだとなかなか欲しい情報が出てこなかったものの、欧州訪問では一部で激しい抗議があったことは確認できました。
・1971年(昭和46年)には9月27日から10月14日にかけて17日間、再度イギリスやオランダ、スイスなどヨーロッパ諸国7か国を訪問した。
・当初の訪問地であり、王室同士の交流も深いデンマークやベルギー、またフランスでは国を挙げて温かく歓迎された。
・しかし、第二次世界大戦当時に植民地支配していたビルマやシンガポール、インドネシアなどにおける戦いにおいて日本軍に敗退し、
捕虜となった退役軍人が多いイギリスとオランダでは抗議運動を受けることもあった。・特に日本軍に敗退したことをきっかけにアジアにおける植民地を完全に失い国力が大きく低下したオランダにおいては、この昭和天皇のことを恨む
退役軍人を中心とした右翼勢力から生卵や魔法瓶を投げつけられ、同行した香淳皇后が憔悴したほど抗議はひどいものであった。
生卵はともかく魔法瓶って、当たりどころ悪いと死ぬんじゃないか?というほどの危ないもの。警備はどうなっていたんでしょうね。かなりやばいです。この警備に関しては、日本の警備のことも連想したので、この後、<ロシア皇太子の暗殺未遂事件では警備はどうなっていたのか?>を書いています。
あと、魔法瓶の部分は実を言うと、出典明記なしの部分なんですよね。とはいえ、直後にある上記の内容を踏まえた以下の記載は、
陛下、お尋ね申し上げます
が引用元との明記があり、概ね信頼できるのではないかと思われます。
<こうした抗議や反発について、昭和天皇は帰国後11月12日の記者会見で事前に報告を受けており驚かなかったとした上で、各国からの「歓迎は無視できないと思います」とした>
●ロシア皇太子の暗殺未遂事件では警備はどうなっていたのか?
Wikipediaではパッと見、これ以上の関連する記載は見つけられませんでした。また何かあれば追加していこうかと思います。今回の残りはあんまり関係ないんですが、さっきの「警備はどうなっていたんでしょうね」で大津事件のことを思い出したのでその話をやることにします。
この「大津事件」については以前どこかで書いたはず…とブログ内検索したら、ちょうどさっきリンクした
一見反日なマスコミ報道や売国行為が国益に 愛国が逆に国益を損ないかねない理由の中で紹介したものでした。以下、
大津事件 - Wikipediaをもとに、感嘆に説明していきます。
大津事件は、1891年(明治24年)5月11日に日本を訪問中のロシア帝国皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県滋賀郡大津町(現大津市)で警備にあたっていた警察官・津田三蔵に突然斬りつけられ負傷した暗殺未遂事件。この事件ではそもそも警備していた人が襲っていましたんですよ!
警備していた津田三蔵が斬り付けた理由は、本人の供述によれば、以前からロシアの北方諸島などに関しての強硬な姿勢を快く思っていなかったためとのこと。動機がはっきりしていないとも言われていますが、北方諸島が理由という説を取れば、愛国的な行動だったということになります。
オランダで天皇陛下に生卵や魔法瓶を投げつけたのもそういや右翼でしたね。保守派の人たちは保守派が良いことであるように言っていますけど、実際にはこのように問題アリアリ。左翼も結局過激派となるとたいへん危ないので左翼なら全部良いってことでもなく、どちらも極端になるとダメなんでしょうね…。
●降伏文書調印の際のマッカーサー元帥の演説が予想外過ぎて驚き
2023/04/22追記:太平洋戦争の関係で以前から気になっていたのが、降伏文書調印の際に随行していた外務省の加瀬 俊一(かせ としかず)さんのマッカーサー元帥の演説に関する話です。今検索してみると、
映像で見る占領期の日本 加瀬俊一の回想DOCUMENTS ON THE MANILA CONFERENCEというページが出てきました。
加瀬俊一著『加瀬俊一回想録』(下)からの引用のようです。
加瀬俊一著『加瀬俊一回想録』(下)

加瀬俊一さんによると、マッカーサー元帥の演説は予定になかったもの。「意外だった。意外なだけに私は緊張した」といいます。そして、この演説の内容がまた想定外だったとのこと。当時その場にいたアメリカのハルゼイ提督など憎悪に燃えていたアメリカ人も多かったそうですが、マッカーサー元帥の演説は正反対のものでした。
<元帥はこの演説において、理想や理念の紛争はすでに戦場において解決されたから、改めて議論する必要はない、といって、我々は猜疑や悪意や憎悪の気持に促されて今日ここに相会するのではなく、過去の流血と破壊のなかから信頼と理解にもとづく新しい世界を招来しようと切に念ずるものであると説き、自由と寛容と正義の精神を強調したのである。そして、最後に、占領軍総司令官の義務を「寛容と正義によって」履行する決意であると結んだ。私は、“tolerance and justice”(引用者注:「寛容と正義」)という言葉が反復されるのを聞いて、我れと我が耳を疑った。
私は外務省で(中略)マッカーサー元帥の人物・識見については、ある程度の研究はしていた。だが、刀折れ矢尽きて無条件降伏をした敗敵を前にして、今日の場合、よもや、このような広量かつ寛厚な態度をとろうとは、まったく予期していなかった。彼さえ望むならば、鉄の鞭をふるって、満座のなかで、我々に痛烈な汚辱を与えることもできたのである。現に、戦勝国民の間には―米国民も―それを期待する世論が強かった。それなのに、自制して静かに、自由と覚容と正義を説くのは、まことに立派だと思った。勇気に富むクリスチャンだと思った。そして、日本はこれで救われたと思った。そう信じた>
【本文中でリンクした投稿】
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