ボーナスは日本の伝統文化!? - Excite Bit コネタ 2005年6月18日 00時00分
現代に近いボーナスを初めて支給するようになったのは1876(明治9)年のこと。岩崎彌太郎が創設した三菱で、ライバル会社との競争に勝った際、社員の苦労に報いるために給料とは別に臨時にお金を支給した。このことを社員に知らせるための文章に「別紙(べっし)目録(もくろく)通り賞(しょう)与(あたえ)候(そうろう)…」とあったことからその臨時支給のお金は「賞与」と呼ばれるようになったのだとか。多くの企業で当たり前のように支給するようになったのは戦後になってからである。
vol.20 日本初のボーナス - 岩崎彌太郎物語 - 三菱人物伝 - 三菱の歴史 - 三菱グループについて - 三菱 mitsubishi.com
「…沿革的には封建時代に商人社会や職人社会で盆暮に支給されていた『お仕着せ』の習慣が起源といわれるが、直接の始まりは1876年の三菱商事の賞与制度で、以後大企業を中心に普及したとされる…」
三菱会社(みつびしかいしゃ)とは - コトバンク
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
三菱会社
みつびしかいしゃ
三菱財閥の母体、日本郵船の前身。正しくは郵便汽船三菱会社。1871年(明治4)廃藩置県の際、土佐藩営九十九(つくも)商会を岩崎弥太郎(やたろう)が払下げを受けて創始。1873年、弥太郎個人会社の三菱商会となり、75年海運事業を分離して郵便汽船三菱会社と改称、政府の政策的保護下で、国内航路網を整備した。(中略)極度の独占への批判と明治十四年の政変(1881)の影響から同年に共同運輸会社が設立され、激烈な競争のすえ85年2社は合併し日本郵船設立に至る。海運部門を切り離した三菱会社は三菱社と改称、鉱山・造船業の経営にあたった。[田付茉莉子]
『三島康雄編『三菱財閥』(1981・日本経済新聞社)』
三菱商事 - Wikipedia
日本で初めての株式会社といわれる坂本龍馬の海援隊が近江屋事件後に後藤象二郎に委ねられ、その後岩崎弥太郎に受け継がれて九十九商会となった企業の流れを汲んでいる。九十九商会は、後に、三菱商会、三菱蒸汽船会社(後に郵便汽船三菱会社として現在の日本郵船が分離)、三菱社と変遷している。
(中略)大正時代に入ってから第一次世界大戦にかけて、取り扱い品目数の飛躍的向上をみたため、小弥太は各事業部門を独立させ、三菱合資営業部は「立業貿易」の方針に則り、1918年(大正7年)に、総合商社である三菱商事として独立した。
しかし、実際には成績による格差は付けず、資格ごとに一律で支給された。社内通達を纏(まと)めた「布達原記(ふたつげんき)」に、明治9年12月28日付で次のように記されている。
「社業ノ隆盛ヲ致スニシタガヒ社務漸ク繁劇ニ赴キ、内外多事ノ際、社中各員別ケテ勤勉事務ヲ担任シ其ノ功績ヲ見ルコト少ナカラズ、依ッテ之ノ別紙目録ノ通リ賞与候コト……各船各社事務長・褒金五拾円…十四等級ヨリ十五等級迄・褒金十円…等外給使小使・褒金壱円」。この金額はそれぞれほぼ1カ月分の給与にあたる。
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