ミステリー的な話をまとめ。<人里離れたヒマラヤ山中のループクンド湖に800体の人骨…の謎>、<本格的なゲノム解析で謎の解明に近づく…どころか謎が増える>、<現地の民謡「怒った女神が鉄の玉を落とし王の行列を襲った」>などをまとめました。
その後、<クロアトアン…謎のメッセージを残して消えた入植者115名>、<目に見えない透明なインクで地図に描かれた秘密のマークも発見>、<未だに正体不明 フランスで100人を殺した「ジェヴォーダンの獣」>なども追記しています。
2023/02/03追記:
●未だに正体不明 フランスで100人を殺した「ジェヴォーダンの獣」 【NEW】
●人里離れたヒマラヤ山中のループクンド湖に800体の人骨…の謎
2020/03/29:インド、ヒマラヤ山中の人里離れた高地にあるループクンド湖。およそ人がたくさん住んでいたようなところとは思えない場所なのですけど、ここからおよそ800人分もの人骨が見つかっており、「骨の湖」と言われています。この時点で大きなミステリーですよね。
ただ、この湖は調べれば調べるほど謎が増えていき、これで終わりではありません。まず、2000年代の初めに予備的なDNA研究がなされ、ループクンドの死者たちは南アジアにルーツがあるという結果が出ています。いわば地元の人たちということで、ここで終われば話はそこまで不思議ではありませんでした。
ただ、放射性炭素年代測定により、人骨は紀元800年頃のものとされ、全員が1回の出来事で亡くなったと考えられてきたとのこと。多くの人間が大量に亡くなった…というやはり謎なことになっています。いったい何があったのか?という話になってきました。
●本格的なゲノム解析で謎の解明に近づく…どころか謎が増える
2019年になり、38人分の人骨について本格的なゲノム解析を行っています。これにより、謎の解明に近づいたか?と言うと、さにあらず。実はむしろ謎が深まる結果になりました。前述の予備分析で想定されてきたストーリーは覆され、全く違う結果が出てきたのです。
新たな研究結果では、38人のうち23人は南アジアに祖先を持ち、紀元7世紀から10世紀にかけ、1回~数回の出来事で亡くなったと判明しています。地元の人が数回に分けて…でしたら、先程よりもむしろ考えられるストーリー。これだけなら良かったのですけど、問題はそれ以外の人々です。
なんと14人は地中海のギリシャとクレタ島に遺伝的祖先をもつという非常に遠くから来た人々でした! 時代も異なっており、南アジアのグループが亡くなった約1000年後に、おそらく1度の出来事で命を落としたと考えられています。
また、残る1人は東アジアにルーツがあり、地中海のグループと同じ時期に亡くなっていました。さらに今回分析した人々は、誰ひとりとして血縁関係はないという不思議なことに。また、南アジアのグループと地中海のグループは食生活が異なっていたことも確認されています。
彼らの死因は技術が進んだ現在においても、依然として謎のまま。遠くから来た人々は地元の人に殺されたのでは?とパッと思い浮かぶものの、争いによる死とは考えにくいとのこと。武器や戦闘の痕跡は見つかっていないためでした。
(
800人分の骨が見つかった謎の湖、DNA分析した | ナショナルジオグラフィック日本版サイト 2019.08.25より)
また、死んだときの健康状態も良好なため、伝染病の可能性もないといいます。記事では書かれていませんでしたが、死んだときの健康状態がみな良好なことは埋葬地としても説明しづらい事実かもしれませんね。はるばる離れたところに埋葬する時点でかなり考えづらいんですけど…。
●現地の民謡「怒った女神が鉄の玉を落とし王の行列を襲った」
記事ではここからまた別方向に謎な展開に。死者たちの最期の様子が現地の民謡の歌詞に残されている…というミステリー小説じみた話が出てきました。この地域で12年に1度行われる、女神ナンダ・デヴィを崇拝する巡礼「ラージ・ジャート」に関する民謡の話です。
この民謡は「ラージ・ジャート」に参加した王の行列の様子を歌ったもの。その歌詞によれば、王の一行は踊り手の少女たちを連れてきて、神聖な場を汚してしまいました。たぶん罰当たりだってことでしょうね。怒った女神ナンダ・デヴィは、空から「鉄の玉」を落として一行を襲ったといいます。
ループクンドの死者たちについて、可能性の1つとして挙げられるのは、このラージ・ジャートの巡礼の際に激しい嵐に遭遇して息絶えた巡礼者でhないかというもの。王の行列に使われたのと同じタイプの日傘が人骨に交ざって見つかったという情報もあります。
また、民謡で巡礼者たちの命を奪ったとされる「鉄の玉」の正体も類推されていました。人骨の中には頭蓋骨を骨折したものがあり、治癒した跡がないため、大きなひょうが原因の可能性があるというのです。
ただし、これは前述のDNA解析の前に予想されたものであり、今回の解析はむしろこれを否定するもの。地元の人たちではないということが、ストーリーに反します。また、記事では書かれていませんでしたが、亡くなった時期が違うというのも変じゃないでしょうか。
例えば、ループクンド湖の滞在時間が長いのであれば、たまたま同じ場所で何度も事故が起きるということもあるでしょうが、実際はそうでもなさそうだということ。少なくとも現在の巡礼者の目的地はループクンド湖よりもっと先で神聖視はされておらず、すぐに通り過ぎるんだそうです。本当、謎ですね。
●クロアトアン…謎のメッセージを残して消えた入植者115名
2021/07/01追記:
歴史に残る謎の集団失踪、北米の「消えた入植者」で新発見 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト(2020.11.11)という記事をブックマークしていたんですよね。違うタイプの失踪事件かもしれないと思ったものの、とりあえず、ここに追記することにして、読み始めました。
<米ノースカロライナ州で最近発掘された(引用者注:大量の)陶器の破片は、英国から初めて米大陸に入植した悲運の「消えた入植者たち」が使っていたものだった。そんな大胆な主張が、ある謎をめぐる長年の議論に新たな火をつけた。1587年、ノースカロライナのロアノーク島に残された男女子ども合わせて115名に、いったい何が起こったのかという謎だ>
この「消えた入植者」はかなりミステリアスで創作物のネタにしたくなるような話でした。なんと失踪者たちが残したと思われる、柱に刻まれた「クロアトアン」という謎のメッセージまで出てきており、想像力をかきたてられます。マジで作り物の小説みたいな話ですわ…。
<消えた入植者たちの大半は、ロンドンの中流階級の人々だった。彼らが1587年にロアノーク島に到着後、物資とさらなる入植者を集めるため、総督のジョン・ホワイトがいったんロアノークを去る。総督はすぐに入植地に戻るつもりだったが、英国がスペインとの戦争に突入したせいで帰還が遅れ、入植者たちはノースカロライナの沿岸に置き去りになってしまった。
ホワイトが3年後にようやく入植地に戻ったとき、彼らの姿はこつ然と消えていた。彼らの行方に関する唯一の手掛かりは、柱に刻まれた「クロアトアン」という言葉だった>
●謎の言葉「クロアトアン」が意味するものとは何だったのか…?
タイトルを見た時点で違うタイプの失踪ではないか?と思ったのは、消えたのではなく現地人と同化しただけではないか?と思ったため。「イスラエルの失われた10支族」なんかも日本にまで混血せずにそのままやって来たというトンデモ説がありますが、実際には各地で同化していったと思われます。そして、今回も結局、同化説に繋がるようです。
<その数カ月前には、ロアノーク島の80キロ南にあるハッテラス島で、消えた入植者たちに関係する遺物を発見したと別の考古学者が発表していた。双方の主張が正しければ、入植者たちは複数のグループに分かれ、それぞれがかなり離れた土地で生存していたという仮説が支持されることになる。そこでは、まず間違いなく先住民たちの援助を得、当地に同化していったと考えられる>
謎の言葉「クロアトアン」も実は意味が普通にわかっています。現在のハッテラス島、およびそこに住んでいた先住民を指す呼び名でした。しかも、この先住民たちは英国人と友好的な関係にあり、同化しても不思議ない感じ。中でもマンテオという若者はロンドンを2度訪れて、エリザベス1世から貴族の称号を与えられているほどだったといいます。
さらに、 ジョン・ホワイト総督自身、入植者たちが「本土側へ80キロ」の、おそらくは内陸のどこかに移住するつもりだったと書き残していたとのこと。となると、当初の予定通り普通に移住したと考えるのが自然であり、それほど謎ではありません。でも、謎を期待した人には、がっくりするような話になってきてしまいましたね。
●目に見えない透明なインクで地図に描かれた秘密のマークも発見
とはいえ、謎めいた話は他にもあります。2012年、ジョン・ホワイト総督が水彩で描いたノースカロライナ東部の地図に、小さな紙片が貼られていることにある研究者が気が付きました。この紙片は、なんとほぼ目に見えない透明なインクで「砦」(とりで)を表すマークが描かれていたと判明。場所はロアノーク島の80キロ西で、ホワイト総督の言葉と合致します。
ホワイト総督はおそらく砦の存在を、ロアノーク島に始まる英国の入植を脅威と考えるスペイン人たちから隠したかったのではないかと学者たちは推測。北米を独占したがっていたスペインは英国の入植地を一掃すべく部隊を派遣したものの、実際に入植者たちを見つけることはできなかった…ということがわかっているそうです。
ヨーロッパからの入植者たちは大抵、先住民が住んでいた場所の近くに村を築いており、研究者は該当しそうな場所を発掘調査。結果、80名から100名ほどが住む、柵で囲まれた村があった形跡を発見。砦は見つからなかったものの、消えた入植者たちが使っていたと彼らが考える、英国製の陶器の破片が24個見つかったそうです。
そして、3キロほど北の場所で、さらに、様々なヨーロッパの国々の陶器を発見。ただ、1家族ほどと思われる小さなグループが、助けを待つ間、先住民たちのそばで畑作をしていたようでもあるともされており、言うほどたくさんいなかったような記述も。当時の人はめちゃくちゃ大量の皿を持ち歩いて移住していたんでしょうか。
とりあえず、有力な説は、消えた入植者たちがいくつかの異なる道を行き、それぞれに地元の先住民たちの中に溶け込んでいったのだろう…というもの。素人が考えるような大集団でのわかりやすい移動ではなく、ばらけて移動していくという説です。船の難破などの状況では、典型的に起こることだといいます。
また、そもそも前年の1586年、ロアノークの最初の入植者たちが食糧危機に陥った際、リーダーは100名の入植者たちを分散させ、それぞれの場所で食べるものを調達。このときにはクロアトアン(ハッテラス島)も対象でした。これで英国に帰るまでの間、うまくいったそうで、翌年のグループも同じことをした後にそのまま同化した…と考えるのが自然なようでした。
●未だに正体不明 フランスで100人を殺した「ジェヴォーダンの獣」
2023/02/03追記:ナショナル ジオグラフィックではこの手のおもしろい話が多いですね。また違うものを今回は紹介します。今回はミステリーの中で最も人気ある「殺人」ものですので、今までよりさらに注目かもしれません。
100人が怪死、18世紀フランスを恐怖に陥れた謎の「獣」(2021.11.26)という話でした。
1764年のある日、フランス中南部ジェヴォーダン地方の森で、少女の遺体が発見されました。オオカミに襲われたと思われる深い傷跡が残されており、子どもが一人で羊や牛の世話をすることは多かったため、当時は珍しくない死因。ところが、その後も殺害が続いために、「珍しくない」では済まなくなりました。
<大きな傷を負っていたり、手足がバラバラになっていたり、さらには首を切断されたりと、襲った動物が何であれ、それは通常のオオカミよりもはるかに凶暴だった。オオカミ男の仕業だとの噂がささやかれる中、犯人は「獣(la bête)」と呼ばれるようになった。
獣は3年間にわたってジェヴォーダンを恐怖に陥れ、100人もの人々を死に追いやった。300人との説もある>
謎を増しているのが、<犯人が本当にオオカミだったのかどうか、学者たちはいまだに結論を出せていない>との記述です。ただし、当時、恐怖と謎を増したのはマスコミのせい…という側面も大きかった感じがあります。報道に誇張された部分がある…というか、デマだらけな感じですね。
<ある記事では、獣は驚くべき速さで動くとされた。別の記事では、悪魔のような眼差しをしているとされた。また、別の記事では、「狡猾で強靭で熟練した剣闘士」のような知性を持っているとされた。1764年終盤のモレナスの記事における獣は、神話に登場するネメアのライオン等、怪物たちと並べて語られるようになっていた>
殺害がいくつか続いた時点で若い羊飼いたちは集団で行動するようになったものの、それでも襲撃は続いたとのこと、これを読んで、襲撃された場合、生存者のいない致死率100%の状態だったのかな?と思って読んでいました。ところが、新聞には、生存者の体験談も掲載されていたというのです。
前述のようなデマを並べた当時のマスコミを信頼できるかはわかりませんが、生存例の体験談がいくつも掲載されていたとのこと。それなのに狼なのかどうかわからないというのは不思議ですね。「獣」であることまではわかるものの、狼かどうか不確か…という感じでしょうか。それでも、いまいち納得できませんが…。
一方、国王ルイ15世がこの問題を知ると、棒で獣を追い払った少年たちに褒賞を与えた他、自らの猟師たちを派遣。これが他の討伐隊同様に失敗すると、今度は自身の護衛の兵士らを派遣し、大きなオオカミを殺すことに成功。ところが、2カ月後、襲撃は再開されて30人が死亡してしまいました。
これで再び国王ルイ15世が…と思ったら、失敗を恥じた当局はほとんど関心を示さなかったとのこと。ひどい話ですね。おまけに、国王の関心をひいて討伐隊派遣につながったという意味ではある意味良い仕事をした新聞もすでに興味を失っており、もう外部の討伐隊の到着は期待できません。
で、地元の人々が自分たちで対処しなければなくなり、ついに、地元の猟師が大きな動物を射殺することに成功しました。じゃあ、「ジェヴォーダンの獣」の正体が謎ってどういうこと?と思ったら、どうもこの死体が本当にオオカミかどうかわからん!という意味で「謎」だったようです。
<それ以来、襲撃は止んだ。目撃者の証言によると、殺された動物はたしかにオオカミだった。ただし、奇妙なオオカミだった。「怪物のような」頭を持ち、猟師たちがそれまで見たことのない、赤、白、灰色の毛並みをしていたという>
<その後の数百年、ジェヴォーダン地方で起きたこれらの恐ろしい死について、さまざまな説明がなされてきた。最も人気のある説の一つは、超自然現象としての「オオカミ男」だ>
一方、最も支持されているのは、やはり何らかの動物。ハイエナ説やライオン説があるようです。さらに現実的なのが、歴史学者のジェイ・M・スミスさんの説。「獣」はそもそも1匹ではなく、複数の大きなオオカミだった可能性が高く、デマと恐怖により、「ジェヴォーダンの獣」を作り出した…という考えでした。
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