セントルイス - Wikipedia
セントルイス(St. Louis [seɪnt ˈluːɪs, sənt ˈluːɪs])は、アメリカ合衆国ミズーリ州東部、ミシシッピ川とミズーリ川の合流点に位置する商工業都市。(中略)人口は356,587人(2009年推計人口)。
隣接するイリノイ州イーストセントルイスとともに全米有数の犯罪都市としても有名であり、市北部、東部(イーストセントルイス)には荒廃したスラムが広がるが、危険地域さえ踏み入らなければ、治安はそこまで悪くはない(後述)。(中略)最もフレンドリーな都市としても紹介されたことがあり、域内にある大学をはじめとする教育機関は数多くの留学生を受け入れ、日本人居住者も多い。
あるボスニア難民の米国での成功例:日経ビジネスオンライン The Economist 2016年1月7日(木)
1840年代、アイルランド人がセントルイスに押し寄せると、それより前にこの地に定住していたドイツ人たちが新参者を嫌い、暴動を起こした。(中略)
1990年代に、旧ユーゴスラビアの内戦を逃れた数千人ものボスニア難民がセントルイスに移り住んだ時も、事情は変わらなかった。セントルイスの町と、かつて移民としてこの町にやって来た人々は、イスラム教徒であるこの難民たちを恐れ、怒りを抱く者すらいた。
ボスニア難民の誰かが裏庭に燻製小屋を建てて、子羊を丸ごと串焼きにしているのを見た近所の住民は国際インスティチュートにこう通報してきた――ボスニア人が近所の犬をバーベキューにしている。
こうした恐れと疑惑は2、3年続いた。
ボスニア人 - Wikipedia 最終更新 2015年6月28日 (日) 04:12
ボスニア人(セルビア・クロアチア語: Босанци / Bosanci)とはボスニア・ヘルツェゴビナに在住する特定の人々を指し示す呼称である。その指し示す範囲は、大きく2つに分けられる
1.セルビア・クロアチア諸語を母語とし、主としてイスラム教の共同体に属する民族。社会主義時代にはムスリム人と呼ばれ、ボスニア・ヘルツェゴビナ独立後はボシュニャク人と呼ばれるようになった。
2.セルビア人、ボシュニャク人、クロアチア人という宗教に基づいた民族区分によらず、全てのボスニア・ヘルツェゴビナの住民。
(中略)ボスニア・ヘルツェゴビナに住む住民の多くは、言語(方言)や文化の面では互いに類似している一方、宗教としては歴史的経緯から正教、イスラム教、カトリックの3種が拮抗している。伝統的に、セルビア・クロアチア諸語を話すカトリック教徒の多くは「クロアチア人」、正教徒の多くは「セルビア人」を自認してきた[1] [2]。また、オーストリア=ハンガリー帝国時代、この言語を話すムスリムの間では、セルビア人でも、クロアチア人でもない独自のアイデンティティが形成されつつあり[1]、彼らはときと場合に応じて「ボシュニャク人」、「ムスリム人」、「トルコ人」、あるいは「セルビア人」、「クロアチア人」などとされた。(中略)
民族主義が伸張し、ユーゴスラビアが解体に向かうに至り、それまでボスニア・ヘルツェゴビナで共存してきたクロアチア人(カトリック教徒)、セルビア人(正教徒)、ムスリム人(イスラム教徒)の3つの民族の間で互いに不信感が高まった。ボスニア・ヘルツェゴビナの独立と前後して、3民族の間の対立は武力衝突に発展し、民族浄化などの蛮行が横行する、凄惨なボスニア・ヘルツェゴビナ紛争へと発展した[2]。
その後、ムスリム人はその自称を「ボシュニャク人」に復し、現在ではイスラム教徒のボシュニャク人のみをボスニア人と呼ぶことが多い。ただし現在でも和解主義者など一部ではクロアチア人やセルビア人も含めて、ボスニア人とすることもある。
ボスニア難民たちは、時に驚くべきスピードで生活を再建した。例えば、イブラヒム・バジゾビッチ氏。1994年、35歳の時に、妻と3人の子供を連れてセントルイスにやってきた。彼はセントルイスに到着してから6週間もしないうちに印刷工場で初心者レベルの仕事を見つけ、瞬く間に倉庫管理者に出世した。1999年には大学院に入学し、博士号を取得。現在、彼は3つの会社を所有し、ウェブスター大学で授業も行っている。(中略)
勤勉なボスニア人のお陰で、セントルイス南部のベボミル地区周辺は、廃墟となったビルが点在する犯罪多発地域からきちんとした地区に変身した。(中略)
現在セントルイスには、5万人以上のボスニア難民とその子供たちが住んでいる。彼らは2つのモスクを建設し、商工会議所を設立した。ボスニア人コミュニティーは、犯罪率も失業率も一般に比べて低く、暮らし向きが良い。セントルイス大学のジャック・ストラウス教授の研究によると、この地域の移民(ボスニア人が多くを占める)の平均年収は8万3000ドル(約1000万円)で、米国生まれの人々より25%多いことが分かった。
彼らは起業する傾向が強い。熟練労働者は非熟練労働者の3倍おり、上級学位を持っている可能性もずっと高い。概して、政府が支給するフードスタンプ(食料配給券)や現金援助を受ける割合も米国生まれの人々より低い。
ストラウス氏は、セントルイスがもっと多くの移民を呼び込んでいれば、ほかの大都市に比べてずっとうまくいっていたことだろうと結論付けている(総人口に占める移民の割合は4.5%、シカゴでは21%だ)。
今年初め、6人のボスニア系移民がイラク及びシリアのテロリストに資金や生活必需品を送ったとして告発された。そのうちの3人がセントルイス在住だった。
ブログ内 | ウェブ全体 |
【過去の人気投稿】厳選300投稿からランダム表示
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ |