冒頭に追記
2022/06/29追記:
●昔も今も巨人は悪いことばかり 超大物政治家が介入する事件も… 【NEW】
●巨人と超大物政治家が結託し、脱法行為で選手を獲得してしまう 【NEW】
●ドラフト会議は「職業選択の自由」に反する?国会でも議論に… 【NEW】
【クイズ】野球賭博に関与していた高木京介投手が持つ連続無敗記録は何試合?
(1)114試合
(2)129試合
(3)139試合
●昔も今も巨人は悪いことばかり 超大物政治家が介入する事件も…
2022/06/29追記:野球賭博とは関係なく別のところでも書いた話なのですが、
江川事件 - Wikipediaを読んでいて、巨人って昔も今も悪いことばっかりしているんだな…と妙に感心してしまいました。ただ、この事件は大物政治家が介入していたというのも異常な件ですので、そちらの話もやります。
高校の作新学院のエースとして数々の記録を残し、プロ注目だった江川卓選手は1973年(高校3年時)のドラフトを拒否して法政大学に進学。法政大学卒業後には、母校の作新学院の船田中・理事長に来たるドラフト会議後のプロ球団との交渉を一任することを要望しました。
ただ、問題だったのは、船田中・理事長が自民党副総裁や元衆議院議長などを努めた超大物政治家であったこと。加えてドラフトの趣旨を無視して球団側に忖度を記者会見で求める…という手法をとったため、超大物政治家がスポーツ界に圧力をかける…という問題が大きい構図になってしまいました。
<船田は19日に東京・平河町の船田事務所にて記者会見し、「江川君は巨人を強く望んでいる。身柄を一任されている私としては、本人の希望をかなえさせてあげたい」「指名がくじ引きであることは承知している。各球団が話し合って善処してほしいと期待している」と語り、希望球団は巨人であること、さらに他球団には江川の指名を回避してほしいと表明した[11]。
船田が巨人を逆指名した事に対し、プロ野球界からは「船田さんがどんな大物政治家であろうが、仮に総理大臣であろうが、その発言や意思に野球界が動じるわけがない」(コミッショナー・金子鋭)[12]、(中略)「船田さんの政治的発言がどうあろうとプロ野球にドラフトというルールがある以上、通用しません」(中日球団代表・中川清)(中略)などと反発の声が出た>
ちなみに巨人と関係が深い読売新聞は自民党と関係が深い会社です。ナベツネこと渡邉恒雄・読売新聞グループ本社代表は自民党などの右派を応援していることで知られる方。また、昔、読売新聞社社主だった正力松太郎さん(巨人の初代オーナー)は自民党で政治家になり、総裁選に出馬もした首相候補というこれまた大物議員でした。
●巨人と超大物政治家が結託し、脱法行為で選手を獲得してしまう
さて、巨人の関わる悪事はここから。江川卓選手は再びドラフトを拒否して1年間、野球浪人することに。これは別に全然構わないのですけど、3回目のドラフトに際して、ドラフト制度の穴をついたいわゆる脱法行為のようなやり方で巨人入りしてしまったのです。あまりにもやり方が汚すぎますわ…。
<当時の野球協約において、ドラフト会議で交渉権を得た球団がその選手と交渉できるのは、翌年のドラフト会議の前々日までとされていた。これは、会議前日まで交渉を続けた場合に、その交渉地が遠隔地だった場合に気候の急変などにより球団関係者がドラフト会議に出席できず、ドラフト会議に支障をきたす恐れがあるため、ドラフト会議の準備期間(閉鎖日)として設けられたものであった[26]。1978年において、交渉閉鎖日は11月21日だった。
また、当時のドラフト対象学生は「日本の中学・高校・大学に在学している者」であり、それ以外のドラフト対象としては学校中退者や社会人野球選手があったが、江川は大学卒業後に社会人野球に入らなかったため、野球協約の文言上ではドラフト対象外であった。日本野球機構はドラフト対象の範囲を広げるため、1978年7月31日の改正によってドラフト対象選手を「日本の中学・高校・大学に在学した経験のある者」へ改正しており、江川のような浪人中のケースもドラフト会議の対象者に含まれるようになったが、この新協約は「次回ドラフト会議当日から発効する」こととなっていた。そのため、江川は後にも先にも、1978年11月21日の一日だけ、ドラフト対象規定の枠外にある、と解釈しうる状況であった。
江川は留学先のロサンゼルスにて22日のドラフト会議の結果を聞き(会議終了直後に現地で記者会見を行う予定も組まれていた[27])、26日頃に帰国を予定していた。しかし17日、船田中の秘書の蓮実が20日までに帰国するよう指示。(中略)
翌21日朝、江川は契約の根拠について蓮実より説明を受け、これを承諾[29]。巨人は午前9時より東京・平河町の全共連ビルで江川と契約書に調印し、9時30分より同ビル6階の「オークルーム」にてオーナーの正力亨(引用者注:前述した正力松太郎議員の長男)、球団代表の長谷川実雄、船田、江川らと共に記者会見し、江川と選手契約を結んだと発表[30]。(中略)
巨人が江川との入団契約を行った根拠は、上述の通り、ドラフト会議の前日の11月21日には西武の交渉権が消滅しており、「日本の中学・高校・大学に在学した経験のある者」をドラフト対象とするのはドラフト会議が行われる11月22日以後であると巨人は解釈し、11月21日時点で江川はドラフト対象外選手である、という解釈であった>
●ドラフト会議は「職業選択の自由」に反する?国会でも議論に…
当然ながら他の11球団から「野球協約の精神に反する」「法の盲点を狙うのはスポーツマンシップに反するだけでなく、球界の秩序を乱す」と批判が続出。また、巨人はドラフトをボイコットした上に、ドラフト会議終了後に会議を潰そうと提訴。他の圧力によるトラブルもあり、最終的には江川卓獲得を成し遂げました。
<巨人オーナーの正力亨は午後3時半より東京・大手町の読売新聞本社にて記者会見し、野球協約ではドラフト会議は全球団の出席を不可欠の要因としており、今回のドラフトは効力が発生せずドラフト会議は無効であるとして、コミッショナーに提訴状を出したと発表する>
<金子(引用者注:コミッショナー)は、翌12月22日のプロ野球実行委員会において「江川には一度阪神と入団契約を交わしてもらい、その後すぐに巨人にトレードさせる形での解決を望む」という「強い要望」を提示した。これは、江川獲得の正当性やセ・リーグ脱退を主張する巨人に対する批判が強まり、今後のプロ野球運営に支障をきたす可能性が出たため、江川獲得という巨人の目的を達成させることにより、問題の解決を図ろうとするものだった>
なお、政治に関して言うと、「職業選択の自由」に反するのではないかとして、ドラフト制度が国会で取り上げられる…という事態も発生。結局、ドラフト制度は残りますが、やり方は変更しています。私も個人的にはドラフト制度は好きではないものの、戦力を均衡させておもしろくするなどといった趣旨は理解できるんですよね…。
また、「そこは自由の問題じゃ正当化できねーだろ!」というところまで、自由!自由!と連呼するアメリカでむしろドラフト制度が多用されているため、アメリカ人も「職業選択の自由」に反するとは考えていないのかもしれません。不思議に思ってしまうところではありますけどね…。
<1977年12月、江川が2度目の入団拒否を表明したため、ドラフト制度のため選手が自分の所属する球団を選べず、憲法第22条第1項が定める「職業選択の自由」に反するのではないかという議論が起きた。1978年2月16日、参議院法務委員会で質疑の対象になり、鈴木龍二、三原脩、川上哲治など球界関係者5人が参考人として呼ばれた。78年3月28日のプロ野球実行委員会においてドラフト制度を再検討することを決定し、ドラフト制度審議委員会の設置を決めた。その結果、1球団の指名は4名までとし、指名が重複した場合に抽選を行い独占交渉権を決定する方式に変更された>
●巨人、高木京介投手も野球賭博
なぜか「またか」という感じでほとんど話題になっていませんが、また野球賭博やっていた人がいました。今回はバリバリ試合に出ていた人ということで、重大性がむしろ段違いなんですけどね。
巨人高木京介会見「ウソをつき通すのは限界と」 - 野球 : 日刊スポーツ [2016年3月9日20時4分]
野球賭博に関与していたことが発覚した巨人高木京介投手(26)が9日、東京・大手町の球団事務所で謝罪会見を行った。(中略)
賭博常習者との口裏合わせから、自白に至るまでの過程を詳細に明かした。新宿の飲食店で「『君が笠原に名前を貸していたことにしよう』という打ち合わせがあり、そこで安心してしまった」。(中略)
球団の聞き取り調査に対して「名義貸しの、ウソの供述をしてしまいました。その後の調査もあり、ウソをつき通すのは限界と思い、奥さんと両親に相談し、真実を言うことを決心しました。笠原さんと野球賭博をやっている人は『真実は言わなくていい、ウソを通せばいい』と言われました、ですが、球団に迷惑を掛けるわけには行かないと思いました」と心境の変化を明かした。
●絶対権力者・渡辺恒雄最高顧問まで辞任へ
彼が野球賭博していたことの重大性は、あのナベツネがあっさり辞めたことでもわかります。
巨人、渡辺恒雄最高顧問が引責辞任/野球/デイリースポーツ online 2016年3月9日
巨人は8日夜、東京都内の読売新聞本社で会見を開き、高木京介投手(26)が野球賭博に関与していたことを明らかにした。昨年10月に発覚した一連の賭博問題の責任を取って元オーナーの渡辺恒雄最高顧問(89)、白石興二郎オーナー、桃井恒和球団会長が辞任することも発表。
●プロ野球の無敗記録が黒歴史に
なお、試合によく出ていたという話では、無敗記録が話題になっていたというのもあります。えらく汚れた記録が球界に残ることになりました。黒歴史ですね。
【巨人】野球賭博関与で謹慎の高木京、初登板から139戦無敗 スポーツ報知 / 2016年3月9日 8時0分
高木京は1989年9月5日、石川・能美市生まれ。26歳。星稜高では4番も務め、3年夏に甲子園出場。国学院大では2年春からエースとして活躍した。
11年のドラフト4位で巨人入団。116試合だった初登板からの連続無敗記録を昨季更新し、記録を139試合まで伸ばしている。
4年間で139試合6勝0敗1セーブ、防御率3・03。183センチ、86キロ。左投左打。背番号28。年俸2800万円。
ということで、答えは139試合。他の選択肢はエクセルのランダム関数で作りました。
【クイズ】野球賭博に関与していた高木京介投手が持つ連続無敗記録は何試合?
(1)114試合
(2)129試合
(3)139試合
【答え】(3)139試合
●巨人の法務、野球賭博請負人とLINEで連絡「軽い処分にしたい」
今回の件は"2月29日に週刊文春の記者から連絡"があったことで判明。慌ててドタバタと謝罪会見となったようです。
この週刊文春によると、巨人の森田清司法務部長(当時)が何と野球賭博を請け負っていた人(B氏とされている)と、LINEでやり取りしていたそうです。またLINEかよ。
野球賭博を紹介していた人ですから、裏社会の人間の可能性があります。そんな人と交渉している時点で既に後ろ暗い話なのですが、これまたやり取りの内容がひどいのです。
週刊文春が手ぐすね引いてる「野球賭博」もっと大物や他球団選手の名前すっぱ抜き J-CASTテレビウォッチ / 2016年3月10日 17時0分
彼と巨人軍の法務部長(当時)の森田清司氏とのLINEでのやりとりが掲載されているのだ。
森田氏は「笠原を巻き添えにしたくない」「球団としても出来るだけ軽い処分にしたいと思っています」と、B氏に対して大事にしたくないと『説得』していたというのである。これが事実なら、巨人軍のこの問題に対する認識の甘さ、危機意識のなさに呆れ果てるしかない。
わかりづらいですが、「笠原を巻き添えにしたくない」というのは、最初に疑惑が出た福田聡志選手だけの問題にして、笠原将生選手は関係ないってことにしたいという意味でしょうね。ただ、そもそもB氏を福田選手に紹介したのは笠原選手でしたから、無理がある話でした。
「球団としても出来るだけ軽い処分にしたいと思っています」の方は直後の「見え見えの嘘は突き通すと事態は悪化するだけです」まで引用しているところがあり、これまたわかりづらかったです。これはどうも福田選手に正直に話すように、B氏から説得してほしいと依頼していた感じでした。
こちらの話はさらに話題になっていないものの、巨人が組織として隠蔽をはかっていたことを思わせるものであり、本来重大な問題です。ナベツネが辞めたのはこっちのせいかもしれませんね。
あと、元記事の「もっと大物や他球団選手の名前すっぱ抜き」というのは憶測でしかなく、具体的な話はありません。ただ、LINEが流出しているというのは、B氏が自分で流しているのかもしれませんから、それならまだネタを提供してくれる可能性があります。そうなったら、今度はいったい誰が辞めればいいんでしょうね?
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