歴史上の人物の年収ランキングというおもしろい記事がありました。ただ、一部のおもしろそうな有名人を抜き出しただけなど、いろいろと制約があり、ランキングとしてはかなり問題があるものでした。なので、与太話程度といった感じで、気楽に読んでください。
2023年8月25日:
一部見直して再投稿
【クイズ】以下の説明に当てはまる大名は誰でしょう?
清洲会議で池田恒興と共に秀吉が信長の後継者に推す信長の嫡孫・三法師を支持。結果として、諸将が秀吉の織田家の事業継続を認める形となった。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでも秀吉を援護し、戦後に若狭に加え越前(敦賀郡・南条郡の一部・大野郡の一部を除く)及び加賀二郡(うち一郡は溝口秀勝が領する)を与えられ、約123万石の有数の大々名となった。
(1)柴田勝家
(2)丹羽長秀
(3)前田利家

●歴史上の人物の年収ランキング 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康で誰が一番?
2016/3/19:おもしろい!と思ったコンセプトの記事がありました。"歴史上の偉人たち「年収」ランキング"です。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康でという有名な三人の中では、最初の信長が一番でした。さらに、全体のランキングでもトップです。天下統一していないので意外な結果かもしれません。
【歴史上の偉人たち「年収」ランキング】
(偉人名:当時の年収・現在価値での年収・備考の順)
(1位)織田信長:117万石・1750億円
(2位)徳川家康:67万石・1000億円
(3位)豊臣秀吉:37万石・555億円
(4位)上杉謙信:24万石・362億円
(5位)武田信玄:22万石・335億円
(6位)伊達政宗:19万石・285億円
(7位)徳川光圀:4万6666石・70億円
(8位)石田三成:3万2000石・47億円
(9位)真田昌幸:6333石・9億5000万円
(10位)藤原道長:田地、綿などの現物支給・4億5000万円
番外:坂本龍馬:60両・60万円
偉人の年収ランキング 1位信長1750億円 坂本龍馬60万円 NEWSポストセブン / 2016年3月17日 11時0分●年収の算出方法は本当にそれで良いの?注意点が多いランキング
武士は必ず家臣にも家禄を与えており、見かけ上高くなるのでは?と思ったら、説明を見ると、一応そこらへんは考慮した計算みたいですね。また、資料がしっかり残っているもののみという話でしたし、上記を見てわかるように有名人だけ抜き出しています。
<大名の場合、総石高の半分を農民に、残り半分を領主が受け取っていたとする(五公五民)。そのうえでさらに臣下の取り分を3分の2と仮定したため、大名の取り分は総石高の6分の1とした。一方で、宮本武蔵のように家臣を持たない武士の場合にはそのまま収入とした>
<時代を代表する為政者、武将、大名、軍人、政治家らを中心に、山口博・富山大学名誉教授、河合敦・文教大学付属高等学校教諭の協力のもと資料が残っている人物を優先して算出>
●歴史上の有名人物の収入の内訳 織田信長は本能寺の変の直前で計算
ベスト10のより細かい説明は以下の通り。天下統一を果たした豊臣秀吉や徳川家康よりも、本能寺の変で殺された織田信長の方が直轄地としては多かったということみたいですね。逆に言うと、豊臣秀吉や徳川家康は織田信長よりもうまく敵を従わせていったのかもしれません。
(1位)織田信長:117万石・1750億円
本能寺の変の直前である1582年頃に支配していた、関東の一部や中部・近畿・中国地方の石高が700万石。
(2位)徳川家康:67万石・1000億円
1600年頃の伊豆・相模・武蔵・上野・下野・下総・上総・常陸・甲斐などを直轄領としており、その石高は400万石。
(3位)豊臣秀吉:37万石・555億円
天下統一後、関白職を秀次に譲り太閤となった最盛期1591年頃の直轄領の石高は222万石。
(4位)上杉謙信:24万石・362億円
出羽、越後、佐渡、越中、能登などを領地とした時の石高が145万石。
(5位)武田信玄:22万石・335億円
甲斐、信濃、駿河と遠江、三河、飛騨、越中などを領地とした時の石高は約134万石。
(6位)伊達政宗:19万石・285億円
1589年の秀吉による小田原城攻めに参加する直前の頃、陸奥、出羽66郡の約半数を治めていた時の石高が114万石。
(7位)徳川光圀:4万6666石・70億円
水戸藩第二代藩主となった1661年の石高28万石をもとに算出。
(8位)石田三成:3万2000石・47億円
関ヶ原の戦いにおいて西軍の指揮官だった頃の石高が19万石。敗戦後、領地は没収された。
(9位)真田昌幸:6333石・9億5000万円
石高は3万8000石。長男の信之は13万石まで勢力を伸ばした。
(10位)藤原道長:田地、綿などの現物支給・4億5000万円
従一位太政大臣時の給料。ほかにも荘園の名義貸しをして得た収入があったといわれている。
番外:坂本龍馬:60両・60万円
坂本龍馬が結成し、日本初の株式会社といわれる「海援隊」のメンバーには毎月5両の給料が支払われていた。
●100万石以上は全然珍しくないので本来上位は大名だらけに…
9位の真田昌幸は3万8000石の計算によるもので、「長男の信之は13万石」とあります。であれば、長男の真田信之が9位より上位に出てこなくてはおかしいです。ということで、全然完全なランキングじゃないってのがわかりますね。順番通りではなく、抜けがありまくりです。
有名なところでは加賀100万石がありますし、大名をきちんと入れていくとガラッと変わるのではないか?と思います。試しに検索したら信頼できる調査はありませんでしたが、ヤフー知恵袋の
100万石以上を経験した大名 - 100万石以上... - 日本史で以下のようなものがありました。100万石以上だけでも、いくらでもいそうです。
100万石以上を経験した大名(wisteria044さん 2007/8/7 10:13:09)
<100万石以上の大名といえば前田家が有名ですが、江戸時代になる前には多くの大名が100万石を経験していたと思います。
それらの一覧があればうれしいのですが、どなたか知恵を貸していただけませんか>
ベストアンサーに選ばれた回答(and_then_so_clearさん 2007/8/7 17:39:46)
<●秀吉の天下統一以前の戦国時代(メンドいのでテキトーに)
伊達政宗(奥州。米沢・仙台・会津の最高150万石程度)
後北条氏(ほぼ関東全土。250万石程度)
上杉謙信(本拠の越後の他、関東・上野東半分、越中・能登・加賀、最高200万石程度)
武田氏(甲斐・信濃・駿河・上野の全域、遠江の半分、三河・美濃・飛騨・越中の一部、最高時200万石程度)
今川義元(駿河・遠江・三河の全域、100万石程度)
徳川家康(駿河・遠江・三河・甲斐・信濃150万石程度)
織田信長(日本のほぼ半分)
三好長慶(四国東部と摂津・大和など畿内に100万石程度?)
尼子晴久(山陰8ヶ国100万石程度?)
毛利氏(最大時は中国全域200万石程度)
大内氏・陶氏(毛利登場以前は中国・北九州に100万石程度)
長宗我部氏(ほぼ四国全域100万石程度)
大友氏(北九州に100万石程度)
竜造寺氏(北九州西部に100万石程度)
島津氏(最大時は九州大半200万石程度)
●豊臣政権下
豊臣直轄領(200万石程度、ただし鉱山など経済利権は除く)
豊臣秀長(大和郡山100万石、跡継ぎがなく死後改易)
徳川家康(関東250万石)
毛利輝元(中国西部120万石、ただし一族あわせて200万石)
上杉景勝(米沢・会津120万石、ただし佐渡・会津の金山支配を許され実質200万石)
蒲生氏郷(会津92万石を与えられ100万石級になるが、息子の代に宇都宮12万石に減封)
丹羽長秀(信長の重臣。清洲会議で秀吉に味方し越前・加賀120万石に。息子の代に10万石台まで減らされる。)
織田信雄(信長の次男(三男?)小牧・長久手の戦役で降伏し領地を減らされる前は、伊勢・伊賀・尾張・美濃にまたがり100万石程度を持っていたらしい。)>
ここの下からふたつ目の丹羽長秀がクイズの回答でした。
【クイズ】以下の説明に当てはまる大名は誰でしょう?
清洲会議で池田恒興と共に秀吉が信長の後継者に推す信長の嫡孫・三法師を支持。結果として、諸将が秀吉の織田家の事業継続を認める形となった。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでも秀吉を援護し、戦後に若狭に加え越前(敦賀郡・南条郡の一部・大野郡の一部を除く)及び加賀二郡(うち一郡は溝口秀勝が領する)を与えられ、約123万石の有数の大々名となった。
(1)柴田勝家
(2)丹羽長秀
(3)前田利家
【答え】(2)丹羽長秀
柴田勝家はむしろ豊臣秀吉と対立した人で、賤ヶ岳の戦いの秀吉の相手でした。また、加賀100万石のイメージが強い前田利家の領地が増えるのはもっと後ですね。丹羽長秀は大大名だったというイメージがあまり沸かない人で意外性があると思われます。
●八代将軍吉宗と同程度の収入を得ていた大名は?
2017/10/16:
江戸の長者番付
という本の感想を書いた
【読書感想】江戸の長者番付 ☆☆☆ - 琥珀色の戯言というページを読みました。
書籍のオフィシャルな宣伝は、江戸幕府の八代“暴れん坊"将軍の年収は1294億円で、その将軍に勝るとも劣らない1000億円超の年収を稼いでいたのは誰?というもの。このページを見ると、「加賀百万石」の前田家が想定された答えのようです。
名目上の石高が102万5000石で、明治初年の実収は135万石。年貢以外の収入もあわせると、約1135億円。幕府とそんなに違わないくらいの収入があったとされていました。
ただ、これは最初の投稿で書いたものとかなり計算方法が異なるかもしれません。最初のものは、大名の取り分は総石高の6分の1として、支出を考慮していました。一方、今回の八代将軍吉宗の1294億円というのは、支出を考慮していないような書き方。以下のような記載です。
<幸いなことに、吉宗(在位29年)の時代、享保十五年(1730)の収支データがあります。年収の総額は、金貨に換算して79万8800両です。領地からの年貢が64%で、長崎貿易の運上金や御用金などが残りを占めています。いまのお金にすると、1294億円になります>
最初の投稿で前田家と同程度だった114万石の伊達政宗が285億円であり、こちらの135万石約1135億円大きく異なる数字。そうなると、こちらは支出を考慮していないと考えて良さそうです。今回のものは企業の売上、前回のものは企業の利益(現代では経常利益など複数ある)といった感覚だと思われます。
あと、前回の計算では、年貢以外の収入は考慮されておらず、そこらへんでの違いも出ていそうでした。ここらへんは条件によってコロコロ変わるので、比較は無理そうですね。
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