福沢諭吉の話をまとめ。とりあえず、<福沢諭吉、皿を盗んで金持ちの船に投げ込み三味線壊すクズだった>を書いています。
福翁自伝 (講談社学術文庫)

●福沢諭吉、皿を盗んで金持ちの船に投げ込み三味線壊すクズだった
2023/02/02:福沢諭吉の皿投げの話をどこかの投稿で紹介したと思っていたら、メインではやっていなかったことに気づきました。検索してみると、たぶん私が読んだのは、
福澤研究センター 都倉武之が語る 福澤展のツボ | 2009年 福沢諭吉展 −慶応義塾創立150年記念−(2009 08/ 8)ですね。<福澤諭吉、大坂の思い出(2) 皿を投げ、牛を食べた難波橋(なにわばし)>の回です。
<『福翁自伝』の数ある適塾生の悪い話の中でも、妙に印象に残るのが、難波橋から小皿を投げるという話です。
ある夏の日、(中略)福澤たちは、安酒を飲みに出かけます。夜12時も過ぎた頃にひとしきり飲んで帰りはじめ、難波橋の上に来たら、「下流の方で茶船に乗ってジャラジャラ三味線を鳴らして騒いでいる奴」がいました。「あんなことをしていやがる。こっちは百五十かそこらの金を見付け出して、ようやく一盃飲んで帰るところだ。いまいましい奴らだ。あんな奴があるから、コチトラが貧乏するのだ」と言って、福澤が懐に持っていた小皿を何枚か船に向かって投げたら、最後の1枚を投げたときに、三味線の音がプッツリ止んでしまいました。その時はよくわかりませんでしたが、ひとつきほどしてから、知人がたまたま芸者から聞いた話として、小皿がその芸者の三味線をぶち抜いたことがわかったそうです>
下手したら殺人であり、この時点でクズ野郎なのですが、そもそも<なぜ福澤が懐に小皿を持っていたかというと、適塾生たちは、飲みに行くとすぐにお皿やおちょこを盗むという、とんでもない習慣があったから>だとのこと。これ、『福翁自伝』にある話だといいますので、武勇伝的な感じだったんでしょうか…。
その後も盗みをやっており、咸臨丸でアメリカに行くとき、出発直前に立ち寄った浦賀で、酒を飲みに入った店で茶碗を盗んだそうです。ここでは、<失敬して、その後重宝することになった>ともあるので、思い出話的な感じで書かれていたのかもしれません。やはり全然悪気なさそうな感じがあり、余計たちが悪い気がします。
福翁自伝 (講談社学術文庫)

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