"水戸黄門こと徳川光圀の評判 売春大好きで遊郭通いが止まらなかった?"といった遊郭絡みの話に、"相撲に参加して負けてブチギレ、相手を殺そうとしていた水戸光圀"などの話を追加しています。
ここでの元ネタの一つは、『土芥寇讎記』どかいこうしゅうき)という江戸時代中期、各藩の藩主や政治状況、評判を解説した本です。この『土芥寇讎記』の名前は、『孟子』巻八「離婁章句下」第二段から取られたと推測されています。
君の臣を視ること手足の如ければ 則ち臣の君を視ること腹心の如し。
君の臣を視ること犬馬の如ければ 則ち臣の君を視ること国人の如し。
君の臣を視ること土芥の如ければ 則ち臣の君を視ること寇讎の如し。
【クイズ】では、このうちの土芥(どかい)とはどういう意味でしょう?
(1)地面。大地。
(2)土やゴミ。
(3)粘土を焼成して作った素焼きの器物。土器。
2016/5/2:
●水戸黄門こと徳川光圀の評判 売春大好きで遊郭通いが止まらなかった?
●売春狂いは少年期だけで成長して遊郭好きが治った…というのは怪しい
2017/03/14:
●相撲に参加して負けてブチギレ、相手を殺そうとしていた水戸光圀
2020/05/20:
●徳川光圀はむしろ女嫌い?遊郭に行ったのは別の理由だという説
●水戸黄門こと徳川光圀の評判 売春大好きで遊郭通いが止まらなかった?
2016/5/2:『土芥寇讎記』の話をやりたいと思ったものの、まともにやると興味を持ってもらえないでしょう。で、悩んで水戸黄門の話に。『殿様の通信簿』(磯田 道史)は、この『土芥寇讎記』を元にした書籍です。アマゾンの
殿様の通信簿 (新潮文庫)
の紹介では、"名君の誉れ高い水戸の黄門様は、じつは悪所通いをしていた"という話が出ています。
悪所というのは遊里のことです。レビューでも"水戸光圀はあちらこちらの遊郭に出没していた"ともありました。遊郭というと吉原遊郭が有名なのでわかるように売春するところですから、そういうのが大好きだったようです。
徳川光圀 - Wikipediaを見ると、遊郭通いが好きだったのは若い頃だとありました。私が例に出した吉原の名前も出ています。
<幼少時には、兄(頼重)を差し置いての世子決定が光圀の気持ちに複雑なものを抱かせたといわれ、少年時代は町で刀を振り回したりする不良な振る舞いを行っており、吉原遊廓通いも頻繁にしていた。さらには辻斬りを行うなど蛮行を働いている[5]。しかし光圀18歳の時、司馬遷の『史記』伯夷伝を読んで感銘を受け、これにより学問に精を出すこととなる>
●売春狂いは少年期だけで成長して遊郭好きが治った…というのは怪しい
こうなると、不良が改心したというよくある感動ストーリーです。なぜか最初からいい人よりウケが良いという不平等なことになっています。それは良いとして、本当かな?と検索かけていたら、どうも大人になってからも治っていなかったといった記述も見られました。出典がないですし、これも本当かどうかわかりませんけどね。
<吉原の遊郭に通いつめていたそうな。女性モノの着物を羽織り、いわゆる傾奇者の格好をして派手に遊んでおり、
藩主になってからも女癖は収まらず、吉原だけでなく浅草、千住、湯島の遊郭にもこっそり通っていたとか。 そのせいか、まだ衆道(男色)の文化が色濃かったこの時代に「女色は、衆道と違い男女双方が気持ちいい。政治もそうあるべき」とかそれっぽいことを言ってたりする。それっぽいことを。
(>
僕とラーメンと水戸のご老公 | 歴史雑談録より)
あと、売春の何が悪いんじゃ?って思う人もいるかもしれませんが、現代の感覚と異なります。そもそも現代でも全然良いと思われていないわけですが…。とりあえず、「悪所」とあるように、当時の身分の高い武士のあり方としては悪いことだと思われていたのでしょう。
●多くの大名がボロクソ…非常に厳しい見方が多い『土芥寇讎記』
『土芥寇讎記』の「土芥」の意味について。
第6回「県史だより」/とりネット/鳥取県公式サイトでは、以下のような説明をしています。
<「殿様の通信簿」という興味深いタイトルは、元禄3(1690)年頃作成された、全国諸大名の評判をまとめた『土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)』という史料を表現したもの。史料の名は、『孟子』の中の「君の臣を視ること土芥の如ければ、すなわち臣の君を視ること寇讎の如し(殿様が家来をゴミのように扱えば、家来は殿様を親の仇のように見る)」という語に由来し、著者は不明だが、幕府隠密の機密報告と推測されている>
【クイズ】では、このうちの土芥(どかい)とはどういう意味でしょう?
(1)地面。大地。
(2)土やゴミ。
(3)粘土を焼成して作った素焼きの器物。土器。
【答え】(2)土やゴミ。
「芥」は単独でもゴミの意味です。孟子の言わんとしているのは、「部下を大事に思わなければ、部下からもそれなりに見られるよ」ということでしょう。現在の企業経営者などにも耳に痛い言葉です。
各藩の藩主や政治状況、評判を解説した本のタイトルとしては、どういうチョイスなのかと最初思いました。まさかそのような殿様になれというものではありませんよね。ですから、「君の臣を視ること土芥の如ければ 則ち臣の君を視ること寇讎の如し」とならない殿様になりましょうといった訓戒と考えられそうです。
実際、土芥寇讎記は民衆のうわさ話なども多く、君主がどのように見られているか?に重きを置いていたのですから、うまいタイトルかもしれません。なお、
Wikipediaによると、"儒教に基づいた教訓や道徳に基づいて、辛辣な評価が書かれているのが大きな特徴"ということで、全体に非常に厳しい見方だったようです。
●相撲に参加して負けてブチギレ、相手を殺そうとしていた水戸光圀
2017/03/14:テレビ時代劇「水戸黄門」が、武田鉄矢さんの主演で復活することが決まったというニュースがありました。で、武田さんは以下のように言っていました。
「いつでもどこでも庶民の味方であって親しみやすい、水戸光圀でありたいと思っています。世直しの旅をしながら、好奇心旺盛で少々泥くさいぐらい人間味あふれる黄門さまですね」
(
「水戸黄門」武田鉄矢で6年ぶり復活!「親しみやすい水戸光圀で」 2017年3月14日 5時0分 スポニチアネックスより)
このコメントは徳川光圀のイメージをよく表しています。前述の遊郭通いについても、「好奇心ゆえ」という擁護があったくらいです。
で、そういう「好奇心」に絡む話がないかと検索。ヤフー知恵袋情報でありその時点で信頼できない上に、おそらくそうじゃなくても創作だろうという話なのですが、おもしろすぎるエピソードが見つかりました。
まだ千代松という幼名であった頃、光圀は町を歩いていて、興行相撲に出くわしました。ここで庶民に混じって見た…でも十分それっぽい話になるのに、何とこれに飛び入り参加してしまいます。
しかし、相手は大人の力士であり、息が出来ないくらい土俵に叩きつけられてしまいました。ところが、これで終わらない千代松。カッとなって、刀を抜いて相手の力士を、『よくも、やりおったな。斬ってやる』と激怒。どうにか周囲の者がとめて、ことなきを得たそうですが、負けたからって切ろうとするとはひどすぎます。
(
水戸黄門こと徳川光圀についての質問です。 - 彼は若いころは所謂... - Yahoo!知恵袋より)
ただ、これよく考えると、好奇心エピソードというよりは、不良エピソードですね。しかも、調子こいて失敗した上に、武士の特権を行使するというカッコ悪い不良のエピソードです。同じところでは、前述の遊郭に絡むエピソードもまことしやかに書いていました。
元服もまだのくせに、遊女屋に泊まり朝帰り。塀でも乗り越えてこっそり屋敷に入ろうとしたもののすでに門が開いており、門番などがうろうろ。千代松はとっさの機転を働かせ、鰹売りに変装し『御用をいいつかりまして』と、しらばくれて屋敷に入ったという話。こちらは普通に光圀を持ち上げるエピソードでした。
●徳川光圀はむしろ女嫌い?遊郭に行ったのは別の理由だという説
2020/05/20:遊郭通いについても「好奇心ゆえ」という擁護があった…などに関連した話の追記。実際に
殿様の通信簿 (新潮文庫)
を読んでみたところ、作者の磯田 道史さんは、むしろ女嫌いのエピソードがあったことを紹介し、遊郭に行ったが売春はしておらず、別のことをしていた可能性に触れていました。
悪所とされた当時の遊郭は、様々な文化人が集う文化サロンでもあったといいます。当時の日本は上下関係に厳しく、身分が違うものはまともに話せません。なので、遊郭に行って様々な人物に会っていたのでは?という推測。飽くまで磯田 道史さんの「予想」ですけどね。通説でもなさそうです。
通説ではなさそうだというのは、磯田 道史さんと違って、『土芥寇讎記』の作者は素直に「女好き」と解釈していたため。その上で「女好きでも政治が良いなら構わない」といったことを書いています。磯田 道史さんはこれを「頭がやわらかい」としていました。実際、当時の人としては驚くべき柔軟性だと思われます。
ただし、『土芥寇讎記』の作者は別の点を問題視。学者などを招き広く学ぶのは良いのですけど、徳川光圀は彼らの知識を意地悪く試していたとのこと。『土芥寇讎記』では、故事などを引いて、本当に学識のある者であれば、他人に恥をかかせて喜ぶようなことはしないと指摘していました。
この『土芥寇讎記』の作者の指摘は正論でしょう。徳川光圀さんはかなり頭の良い部類の人間ではあったようですが、性格はあまり良い方ではなく、知識をひけらかし他人をいじめて喜ぶタイプだったようです。残念ながら現在の日本でもこういうタイプの頭の良い人っていますよね。
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