以前も
直接民主制の長所と短所を書いたのですが、もう少し調べているとおもしろい話を見つけました。
直接民主制は「民主主義」? 2002年10月22日 辻雅之は、
民主主義をトレーニングするシリーズ第2弾。直接民主主義こそ本来の民主主義だ、という主張がありますが、どうなんでしょうか。先人たちの言葉を借りながら、解説していきます。 |
という趣旨らしいです。
「シリーズ」と書かれていながら第3弾以降は見つからなかったのですけど、この「第2弾」はおもしろかったです。
で書いたように現代における直接民主制の一つの形である国民投票(住民投票、レファレンダム)ですが、これにも「いろんな問題点があります」とのこと。
その例としては、まずスウェーデンで1980年に行われた原発についての国民投票。(この投稿の下書きを書いたのは2月26日のことであり、原発が出てきますが他意はありません)
選択肢は「原発容認」「12の稼働中原発のみ容認」「原発反対」の3項目で、
●原発容認 904,968票 18.9%
●稼働中原発のみ容認 1,869,344票 39.1%
●原発反対 1,846,911票 38.7%
といった結果に。スパッとした結果になりません。
そのせいかなかなか決まらず、1988年になってようやく「2010年メドに原発を廃棄」を決定。これは国民投票の結果を汲んでいるのか、汲んでいないのか難しいところです。
しかも、スウェーデンはその後1997年に閉鎖期限を撤廃して、政策転換へと徐々にかじを切っていき、既存の原発の原子炉建て替えを認める法案を賛成174、反対172の小差で可決したそうです。(
スウェーデン、脱原発政策を転換 30年ぶり、小差で可決 共同通信より。日付未記載ですが、おそらく法案可決は2010/6/17)
ちなみに「スウェーデンの電力の原発依存度は約48%」とのことで、転換するにしても相当時間がかかりそうです。
このまま原発の話を書くと話が逸れるので切り上げますが、国民投票では選択肢作り、あるいは投票結果の評価などを考えると、複雑な意思決定には向かないということなのかもしれません。
じゃあ、イエスか、ノーか?という単純な投票なら、直接民主制は理想的なのでしょうか?
1995年にカナダの一州、ケベックの独立を問う住民投票では、
●独立賛成 49.4%
●独立反対 50.6%
という極めて小差で独立が否決されたそうです。
これについて、記事では、
これなんかのはずみで、ケベックが独立していたかもしれない感じですよね。そのとき、ほぼ半数の人々は、わずか数人かもしれない差のために、カナダという国から無理矢理お別れしなくてはならないわけです。 |
とありましたが、この時点で既に独立賛成派の人々は苦い思いをしています。ほぼ半数の賛成派の人にしてみれば、「わずか」な差のために独立することができず、「無理矢理」カナダに留まらねばいけなかったのです。
まあ、これもその前のものも直接民主制に限らず、民主主義自体の問題ではあります。少なくともこの点に関しては、直接民主制であるからといって、解決することではないということでしょう。
また、ルソーは『社会契約論』のなかで「一般意志は誤ることができるか」という章を立て、「誤ることはないが、徒党を組んで人を欺き、かれらのための意志(特殊意志)を一般意志だとみんな勘違いしないようにしよう」と書いたそうです。
これは「一般意志とちがうものを一般意志だと間違えることはあるから注意しよう」という意味で、マスメディアによる世論操作や、一部政治家のデマゴーグ的言動など、現代民主政治にもあてはまる重要な教訓だと言います。
結局、これも間接民主制でもいっしょの問題ではありますが、直接民主制の方がより危険だと考えます。だって、今まで何度も「政治家に騙された」「マスコミに騙された」と嘆くことを人々は繰り返してきたわけです。
そもそも自分たちで選んでおいて、政治に不満があるというのは、選択が失敗しているということに他なりません。政治家と国民のどちらが騙されやすいかと言うと、やはりそれは国民でしょう。
さらに記事では、”ルソーは「一般意志=みんなのための意志」と思ってますからこれは1つしかない、全員一致になるはずだ、という前提ですが、どうでしょうか”と疑問を投げかけています。
実はその例が先のケベックの独立を問う住民投票で、私が順番を入れ替えたのですけど、意見が分かれることが往々にしてあるよということです。と言うか、分かれないのが明確でしたら、投票なんかしなくても済みそうです。
その他、プラトンの書いた『クリトン』でのソクラテスの、
「多数の意見は、必ず正しいのかね」
という言葉が引用されており、実際ソクラテスは多数の意見によって死刑を命じられました。(後に人々は後悔したようですが、後の祭りです。一般意志が間違っていた例と言えそうです)
結局、間接民主制だろうと直接民主制だろうと、民衆みんなが賢くなる以外に、良い政治が行われる方法はないと思います。
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