「オセロ」を考案 長谷川五郎さん死去 | NHKニュース 6月23日 12時41分
白と黒の石を使ったボードゲーム「オセロ」を考案したことで知られる水戸市出身の長谷川五郎さんが今月20日、千葉県柏市の自宅で亡くなりました。83歳でした。
長谷川さんは現在の水戸第一高校に在学していた昭和20年ごろ、64升のボードの上に表と裏を白と黒にした石を置いて競い合うボードゲームを考案しました。
その後、このゲームは「オセロ」として商品化され、国内にとどまらず、世界中でも親しまれるようになり、長谷川さんはその功績が認められて、平成21年に水戸市文化栄誉賞を受賞しました。
オセロ (遊戯) - Wikipedia
1973年に日本の長谷川五郎がオセロを発表し、発売と共に玩具業界としては空前の大ヒット商品となり、一家に一台あるといわれるほどスタンダードゲームとなった。(中略)
オセロ誕生に至る歴史は、日本オセロ連盟のサイトに長谷川のコメントが記載されている。『オセロは第二次世界大戦が終わって間もない頃、茨城県水戸市で生まれたゲームで、「黒板をおいた青空授業が9月から始まりました。オセロの原型はそういう環境の下に生まれました。囲碁(相手の石を囲んだら取る)をよく知らない中1の生徒達のガヤガヤワイワイの中から、相手の石を挟んだら取るというルールが生まれました』[3][1]。(中略)
1963年頃には、長谷川の自宅で数人の仲間とゲーム研究と実験が繰り返され、最初に、8×9の盤で間接挟みでも石を返す複雑なルールのものができた。1970年10月頃、メルク社(西ドイツの製薬会社)からチェスセットが日本の薬品関係者に贈られると、長谷川は今まで実験中であったゲームを8×8のチェス盤を用い、このチェス盤にぴったり合う牛乳瓶の紙蓋を石に選び、複雑な間接挟みをやめて簡明な直接挟みのみのルールに整理し、「オセロ」と命名した。『逆転の発見』(井上博、1977/10) ASIN B000J8Q0C0)
リバーシ・源平碁・白黒ゲーム
1973年にオセロがヒットする以前、オセロと似た白黒の駒を使うボードゲームとして「リバーシ (Reversi、レヴァルシー)」や「源平碁」があった。当時のこれらのゲームについては、1981年に長谷川五郎が著した文献『オセロの打ち方』には「(オセロの)原型」として紹介されている。オセロと比べ「非常に似通っている」または「全く別のゲームに近い」等、様々な意見がある。(中略)
「源平碁」は昔の現物の写真がインターネット上で確認できる[9]。また世界オセロ連盟のホームページに、オセロとリバーシを比較したコメントがある[10]。源平碁の説明書を読むと、パスのルールがはっきりしていないなど、ルールに曖昧な点がある。
「リバーシ」については、『世界遊戯法大全』(松浦政泰 編、1907年、博文館)においてはレヴァルシー(Reversi)という記述があるが、英語表記を見ればわかる通り、「リバーシ」について記述されたものである。初期配置は図を見るとオセロと同様であり(色は異なる)、パスの場合は相手が打てること(パスが連続したら連続して打てること)、隅を取れば有利になるといったことも書かれている。
これらは別のゲームだが、「オセロ」は商標であることと、現在のオセロのルールが世界標準であることから、オセロの販売メーカー以外の他社からオセロとほぼ同ルールのゲームが「リバーシ」や「白黒ゲーム」等の名称で販売されることがあり、この場合は盤や駒もオセロとほぼ同じタイプのものが使われている。このため、現行の「リバーシ」はオセロの別名のような扱いをされることが多い。
名称の由来はシェイクスピアの戯曲「オセロ」で、「黒人の将軍・オセロと白人の妻・デスデモーナを中心に敵味方がめまぐるしく寝返るというストーリーに、黒白の石がひっくり返りながら形勢が次々変わっていくゲーム性をなぞらえた。緑の盤面は、戯曲オセロの戦いの舞台、イギリスの緑の平原をイメージして作った」と日本オセロ連盟のサイトに長谷川のコメントが記載されている[2][1]。
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