2020/08/09:
●実は2回目があった玉音放送 内容は国民の米・食糧不足について
●国民は飢えているのに!天皇への不満で宮内省に人が押し寄せる
●デモの効果はあったのか?そもそも難しかった食糧不足の解消
●実は2回目があった玉音放送 内容は国民の米・食糧不足について
2020/08/09:昭和天皇の「2度目の玉音放送」となった1946年5月24日の食糧問題についてのラジオ放送は、一般にはほとんど忘れられているそうです。内容は、戦時から続いていた食糧不足が深刻な状況について。天皇陛下は5月23日に国民向けの「お言葉」を録音し、翌日の24日の正午、午後7時、同9時と3回放送されたそうです。
(
昭和天皇 第2の玉音放送 食糧不足に際し録音 :日本経済新聞 2015/8/1付より)
Wikipediaによると、『祖国再建の第一歩は、国民生活とりわけ食生活の安定にある。全国民においても、乏しきをわかち苦しみを共にするの覚悟をあらたにし、同胞たがいに助け合って、この窮状をきりぬけねばならない』といったもの。
食生活の安定が日本の再建に必要だと認めつつも、「乏しきをわかち苦しみを共にするの覚悟」「窮状をきりぬけねばならない」といった感じで、国民に我慢を求めるものです。国民の側に立った慈悲深いお言葉というよりは、我慢しなさいという内容ですね。
●国民は飢えているのに!天皇への不満で宮内省に人が押し寄せる
これに対する国民の反応は書かれておらず不明。ただ、戦争が終わって1年も経っていないのですが、このときにはすでに天皇の神通力は衰えていたのかもしれない…と想像しました。そもそもなぜ天皇陛下が玉音放送を行ったのか?という経緯が、以下のようなものであったためです。
<同年5月12日には東京都世田谷区民の「米よこせ区民大会」参加者の一部が宮内省に押し寄せ、食堂の調理室を見て回る出来事があった。
また、同月19日に開かれた飯米獲得人民大会(食糧メーデー)で、国民は飢えているのに天皇は十分な食事を取っているという意味のプラカードが当時の不敬罪に問われる事件があった。不満が天皇に向けられていた>(日経新聞より)
飯米獲得人民大会のWikipediaによると、デモ隊のひとつは坂下門から宮城内に突入し、昭和天皇への面会を要求したものの、宮内省総務課長が拒否。そこで、「天皇に食糧事情改善のため、人民の総意を汲み取り、適切な指導をするように願う」旨の上奏文を渡して撤収しています。
ただ、2度目の玉音放送の内容は前述の通り、国民に一方的に我慢を求めるもの。「食糧事情改善のため、人民の総意を汲み取り、適切な指導をするように願う」」という上奏文の要望や国民の窮状からすると、要望の拒絶に近い内容だと感じました。
●デモの効果はあったのか?そもそも難しかった食糧不足の解消
プラカードを掲げた人は不敬罪の容疑で逮捕されます。ただ、天皇の特別扱いを嫌うGHQは、日本国政府に圧力をかけ、名誉毀損罪の訴追に変更させていました。
一方で、GHQはデモについても「大衆的暴力と物理的な脅迫手段を認めない」と声明を出しています。デモの中心だった左派はこれに大きなショックを受け、以後の民衆運動を萎縮させる効果をもたらしたとのこと。これは良くない影響だったかもしれませんね。
というのも、デモ自体は良い方向性の影響をもたらしていたため。事件の翌日、マッカーサーは吉田首相に対して、アメリカが日本に食糧支援をすることを約束しています。日本では抗議する人の方を叩く傾向が強いものの、本当は黙って虐げられているのではなく抗議しないとダメなんですよね。
なお、そもそも国内の食糧総生産量が人口に見合わず、戦前は台湾や朝鮮半島から輸入していたため、また外地からの復員の分、人口が増えるわけであり、日本単独での満足な供給には無理があったとのこと。じゃあ要望する国民が悪い!と思うかもしれません。
ただ、すでに上記あったように、他国から食糧を得るという道もありました。また、日本をこのような状況にしたのは日本政府が戦争を起こしたためであり、すべての元凶は政府にあることも無視してはいけません。政府の失策により国内だけで食糧を調達できないから文句を言うな!というのは、現在の北朝鮮のようなものでしょう。
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