2023/06/05:
一部見直し
【クイズ】1902年(明治35年)10月8日から1903年(明治36年)8月22日まで『萬朝報』に連載された、黒岩涙香によるフランスのヴィクトル・ユーゴーが1862年に執筆した小説『レ・ミゼラブル』の翻案のタイトルはどれでしょう?
(1)『噫無情』
(2)『哀史』
(3)『哀れな人々』


●『レ・ミゼラブル』で愛を描いたユーゴーの言葉
フランスのヴィクトル・ユーゴーが1862年に執筆した小説『レ・ミゼラブル』。
Wikipediaでは、『レ・ミゼラブル』について<これは、ひとりの徒刑囚が偉大なる聖人として生涯を終えるまでの物語であり、その底を流れているのは、永遠に変わることのない真実の『愛』である>と解説しています。
ウィキペディアでのあらすじの最初の方は以下のような話で、徒刑囚である主人公を改心させる良い役として、司教が登場していました。そもそもが「偉大なる聖人として生涯を終えるまでの物語」でもありますし、ひょっとしたら『レ・ミゼラブル』はキリスト教の影響も大きいのかもしれません。
<1815年10月のある日、76歳のディーニュのミリエル司教の司教館を、46歳のひとりの男が訪れる。男の名はジャン・ヴァルジャン。貧困に耐え切れず、たった1本のパンを盗んだ罪でトゥーロンの徒刑場で19年も服役していた。行く先々で冷遇された彼を、司教は暖かく迎え入れる。しかし、その夜、大切にしていた銀の食器をヴァルジャンに盗まれてしまう。翌朝、彼を捕らえた憲兵に対して司教は「食器は私が与えたもの」だと告げて彼を放免させたうえに、2本の銀の燭台をも彼に差し出す。それまで人間不信と憎悪の塊であったヴァルジャンの魂は司教の信念に打ち砕かれる。>
フランスでもっともリベラルな歴史学者でも「植民地主義」は批判しても「植民地時代」には肯定的[橘玲の世界投資見聞録]|橘玲の世界投資見聞録 | ザイオンライン(2016年5月12日)を読んでいて、あっ!と驚いたのが、こうした『愛』の物語を作ったヴィクトル・ユーゴーの以下の言葉でした。
<フランス革命直後の1979年、文豪ヴィクトル・ユゴーは次のように述べた。
南に行くのです。
アフリカには人間の住んでいた(中略)歴史がありません。それは見捨てられた野蛮というものであり、未開状態です(後略)。
皆さんのあり余る力をアフリカに注ぎない(引用者注:「注ぎなさい」の誤字?)。そうすれば皆さんの社会問題なるものも解消されるでしょう>
【クイズ】1902年(明治35年)10月8日から1903年(明治36年)8月22日まで『萬朝報』に連載された、黒岩涙香によるフランスのヴィクトル・ユーゴーが1862年に執筆した小説『レ・ミゼラブル』の翻案のタイトルはどれでしょう?
(1)『噫無情』
(2)『哀史』
(3)『哀れな人々』
【答え】(1)『噫無情』
『噫無情』の読み方は「ああむじょう」。「あゝ無情」という表記だと有名なので、わかりやすかったかもしれません。『哀れな人々』は、原題 Les Misérablesの意味。『哀史』は黒岩涙香の前に森田思軒が一部を訳したときのタイトルでした。
●アフリカ人は人間ではないから文明化 フランスの植民地正当化の論理
ユーゴーの言葉の前半「アフリカには人間の住んでいた(中略)歴史がありません」は、ひどさがわかりやすいでしょう。「アフリカには人間の住んでいた(中略)歴史がありません」というのは、フランス人がアフリカ人を「人間」として認めていなかったということ。その後に続く「野蛮というものであり、未開状態」がこれを補足しています。
<ルソー(引用者注:の社会契約論)によれば、個人はそれぞれの利害に基づいた「特殊意志」のほかに、全体の総和としての「一般意志」を持つ。共和政(民主政)は主権者である市民(国民)の一般意志を導出する仕組みで、一般意志に従う「社会契約」をすべての市民が結ぶことで公共の利益が実現する。
だが社会契約の実現を可能にする自然状態は、そもそもアフリカには存在しない。「原住民」は理性的な存在ではないのだから一般意志を持つことはできず、だとすれば植民者は彼らの意志や同意を気にする必要はない。「同意を押しつける者が、同意したとみなす」だけでいいのだ。
こうした啓蒙思想(人類の普遍の原理)の身勝手な改変はフランスだけでなく、当時のヨーロッパでは当たり前の考え方だった。そしてここから、「原住民」を文明化し「救済」するというさらに身勝手な論理が登場する>
橘玲さんおコラムでは、"フランスの植民地支配のキーワードが「文明化」である"とも書いていました。これは日本の保守派による日本の植民地の正当化に通じるものがあるかもしれません。(調べていませんが、そもそも日本の植民地化も欧米の影響がありそうです)
<多くのフランス人が、献身的な義務感や使命感からアフリカに渡って生命を落とした。これは事実だが、そのことが「無償で提供しているのだが、感謝され当然だ」との独善につながっていく>
●キリスト教にとっても重要だった植民地
こういう押しつけ的な愛、どこか選民思想的、優越感のある愛というのは、私のキリスト教の愛のイメージと重なります。ニーチェなんかは、キリスト教の同情について批判的でした。で、記事でもやはりこのキリスト教の話が出てきます。
<アフリカに向かったのは入植者だけでなく、カトリック教会は植民地を福音伝道のための広大な領域とみなし、「フランス人種こそ最良の教育者」との信念のもとに各地で教会と学校を建設した>
●国内の厄介者を追っ払って一石二鳥
一方、わかりづらいのが、ユゴーの後半の言葉でしょう。これは、<
皆さんのあり余る力をアフリカに注ぎない(引用者注:「注ぎなさい」の誤字?)。そうすれば皆さんの社会問題なるものも解消されるでしょう>と書いてあった部分です。こちらははっきりと書いておらず、何を示しているのかわかりません。
こういった物言いについて、N.バンセル、P.ブランシャール、F.ヴェルジェスという3人の歴史家の共著『植民地共和国フランス』(岩波書店)では、"フランスでは、どう言いつくろおうとも、入植者は厄介払いすべきごろつきだと、最後にはみな本音を言ってしまうのである"としていました。
「あり余る力」というのはどうも国内で暴れている無法者たちのことを婉曲的に言ったものみたいですね。で、彼らのような無法者たちがアフリカに行くことで、フランス本土は無法者たちがいなくなって平和に、野蛮な動物しかいないアフリカは文明化し一石二鳥!といった理論のようです。
<植民地(とりわけ北アフリカ)は、「囚人や革命家、社会のはみ出し者など「国民」にとって危険とみなされる存在」を本国から排除するための場所だった。下層階級の白人たちが「南」へと向かうことで本国の失業者は減り、治安が安定し、「社会問題」は解決するのだ。
しかしこれは、フランスにとって植民地が便利な「ゴミ捨て場」だったということではない。植民地神話によれば、社会のはみ出し者はアフリカのきびしい自然に鍛えられ、よき入植者となって「原住民」を文明へと導くことになっているのだ>
なお、"野心あふれる若い官僚たちも、植民地に「理想社会」を実現すべく海を渡った"と言います。そして、この部分において作者は「植民地は共和主義政策の見事な実験場となった」のは、"戦前の満州国と同じだ"として、日本との共通点を見出していました。
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