安倍首相の成蹊大学の恩師が涙ながらに批判!「安倍くんは間違っている」「勉強していない」「もっとまともな保守に」|LITERA/リテラ 2016.06.05(野尻民夫)
「(安保法制は)間違っている、と思います。正直いいますと、忠告したい気持ちもあった。よっぽど、手紙を書こうかと思ったんです」
こう証言するのは、元外交官で中国政治史を軸とする国際政治学者、そして成蹊学園専務理事まで務めた学園の最高碩学といえる宇野重昭名誉教授だ。宇野氏は、「AERA」連載ルポの最終回(5月2・9日合併号)で青木氏の取材に答え、教え子である安倍首相との関係についてこう語っている。
「彼(晋三)が入学した当時、私は国際政治学とアジア研究を担当していました。たくさんの学生の一人として彼を見て、成績をつけたのは覚えています。政界入り後も食事をしたり、ゆっくり話をしたこともあるので、ある程度の人柄も知っているつもりです」
宇野重昭 - Wikipedia
宇野 重昭(うの しげあき/Shigeaki Uno、1930年(昭和5年)10月28日 - )は、日本の政治学者。専攻は、政治学(中国現代政治史、北東アジア地域政策)。(中略)
経歴
(中略)
1968年 成蹊大学法学部教授
1986年 日本国際政治学会理事長(-1988年)
1988年 成蹊大学法学部長(-1990年)
1994年 日本学術会議第16・17期会員(-2000年)
1995年 成蹊大学学長(-1998年)
1998年 成蹊学園専務理事(-2000年)
1999年 成蹊大学名誉教授
2000年 島根県立大学学長(-2007年)
2007年 公立大学法人 島根県立大学理事長・学長(-2009年)
2009年 島根県立大学名誉学長・名誉教授
「大学の4年間などを通して、安倍君は自分自身を知的に鍛えることがなかったんでしょう。いまの政権の最大の問題点は、二つの意味の『ムチ』に集約されていると私は思っています」
そのうえで、加藤名誉教授は2つの“ムチ”とはignorant(無知)とshameless(無恥)のことだと説明する。(中略)安倍首相が2013年3月の参院予算委員会で憲法の最高権威である故・芦部信喜氏を「知らない」と言い放ったことを挙げて、さらにこう指摘している。
「(晋三氏は)政治学科ですし、憲法もしっかり勉強しなかったんでしょうね。しかし、改革を訴えているのに、(芦部を)『知らない』なんて言うべきではない。まさに無知であることをまったく恥じていない」
このインタビューは、昨年から「AERA」(朝日新聞出版)誌上で断続的に連載されているジャーナリスト・青木理のルポ「安倍家三代 世襲の果てに」に掲載されたもの。
加藤節 - Wikipedia
加藤 節(かとう たかし、1944年〈昭和19年〉5月24日 - )は、日本の政治学者。成蹊大学名誉教授・法学部特任教授。専門は、政治哲学、西欧政治思想史。ジョン・ロック研究者として知られるのみならず、近年では南原繁や丸山眞男に代表される戦後日本における批判的知識人の思想史的系譜に関する研究でも知られる。
経歴・人物
長野県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学大学院法学政治学研究科を修了。福田歓一の下で政治哲学を学ぶ。1976年、東京大学法学博士号を取得。論文の題は『17世紀政治理論における「宗教批判」の展開:社会契約説と宗教理論』であった[1]。
1982年、成蹊大学法学部教授に就任。1990年、成蹊大学アジア太平洋研究センター所長に就任。2002年には日本政治思想学会代表理事に就任した。2013年4月、成蹊大学名誉教授の称号を受けた。「九条科学者の会」で呼びかけ人を務めている[2]。
この「AERA」で証言している成蹊大学関係者の口からは、安倍首相の本質につながるような指摘も出てきている。
安倍首相の所属ゼミの指導教授は、成蹊大学の看板教授で日本行政学会の会長などを歴任した佐藤竺氏だが、佐藤氏からその様子を聞かされた元教員が安倍首相の学生時代について、こう語っている。
「ゼミの場で彼(晋三)が発言しているのを聞いたことがない。(略)ゼミで彼が熱心に自分の主張を口にしたとか、リーダーシップを発揮して議論をリードしたっていう記憶は皆無です。彼が卒業論文に何を書いたのかも『覚えていない』って佐藤先生がおっしゃっていました。『立派な卒論はいまも大切に保存してあるが、薄っぺらな卒論は成蹊を辞める時にすべて処分した。彼の卒論は、保存してある中に含まれていない』って」
佐藤竺 - Wikipedia
佐藤 竺(さとう あつし、1928年 - )は、日本の政治学者。成蹊大学名誉教授。専攻は行政学、地方自治。
略歴
1928年に東京都で生まれる。1951年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同大学院へ進学する。1952年に高崎市立短期大学助手、1954年に同大学専任講師となり、1958年に成蹊大学専任講師となる。1960年に成蹊大学助教授、1966年に同大学教授に就任した。成蹊大学退職後は、1993年に山梨学院大学教授、1996年に駿河台大学教授(後に大学院客員教授)、1998年-2002年に地方自治総合研究所所長、また財団法人日本地域開発センター理事長などを務めた。
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