こどもの日に関する話をまとめ。<そもそも日本のこどもの日の由来は?実は中国の節句に由来してた…>、<人気ある政治家が川で死亡…そこで庶民がとった驚きの行動とは?>、<日本の「五月忌み」と合体…もともとは男の子の節句ではなかった!>、<韓国のこどもの日オリニナルは日本統治時代に伝わったもの?>などをまとめています。
2023/04/27:
もう少し見直ししたかったので、再び見直して再投稿。
30号 徳川家康公 子供着用鎧のみ 五月人形 

●そもそも日本のこどもの日の由来は?実は中国の節句に由来してた…
2011/5/17:韓国もこどもの日は5月5日だと聞いて興味を持ちました。日本と同じなんだ!という驚きです。ただ、韓国のこどもの日の前に、日本のこどもの日について調べてみましょう。日本のこどもの日の成り立ちを知っておかないと、韓国との共通点や違いを理解することができないと予想されるためです。
こどもの日は端午の節句とも呼ばれますが、由来は中国の節句。つまり、そもそも日本が完全に独自に編み出したものではないんですね。
Wikipediaによると、「この日を端午とする風習は、紀元前3世紀の中国、楚で始まったとされる」とあります。
Wikipediaであった「この日」というのは5月5日だと思うのですが、Wikipediaでは「旧暦では午の月は5月にあたり、この午の月の最初の午の日を節句として祝っていたものが、のちに5が重なるこの月の5日が端午の節句の日になった」という説明も見られ、定かではありません。どちらかと言うと、もともと5月5日ではなかった…と解釈した方が良い感じの記述でした。
●人気ある政治家が川で死亡…そこで庶民がとった驚きの行動とは?
とりあえず、紀元前3世紀の中国・楚の話を。楚の国王の側近であった屈原は、人望を集めた政治家でした。しかし、彼は失脚し、失意のうちに汨羅江に身を投げることとなります。すると、それを知った楚の国民たちはちまきを川に投げ込み魚達が屈原の遺体を食べるのを制した…というのが始まりと言われているそうです。魚にちまきを食べさせようとした…というちょっと変な逸話。魚はちまきを食べるんでしょうか?
ただし、この屈原の故事は、端午とは元来無関係であったと考えられるとのこと。ズッコケてしまう話ですが、楚でのちまきの風習なら記録にあります。後漢末の『風俗通義』では端午と夏至にちまきを食べる習慣がある、南朝梁の『荊楚歳時記』に荊楚地方では夏至にちまきを食べる、と記されています。
さらに『荊楚歳時記』には、端午当日は野に出て薬草を摘み、色鮮やかな絹糸を肩に巻き病を避け、邪気を払う作用があると考えられた蓬で作った人形を飾り、また菖蒲を門に書け邪気を追い払うと同時に竜船の競争などが行われていたと書かれているようです。
●日本の「五月忌み」と合体…もともとは男の子の節句ではなかった!
さて、ここから日本の話になります。日本には、五月忌み(さつきいみ)という風習がもともとあったんだそうです。これが中国から伝わった端午と結び付けられました。「五月忌み」の「忌み」というのは、「心身を清浄に保ち、けがれを避けて慎むこと」などをいいます。
いわゆる喪中なんかも「忌み」の一種であり、けがれを避けて慎む風習が日本にはあったようです。ただ、これはおもしろいことに、「男性が戸外に出払い、女性だけが家の中に閉じこもって、田植えの前に穢れを祓い身を清める儀式を行う」という「女性の節句だった」ようです。今とは全く逆だったんですね。
このまましばらくは「女性の節句」として行われていたようなのですが、これが変化するのが鎌倉時代ごろ。「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであること、また菖蒲の葉が剣を形を連想させることなどから、端午は男の子の節句とされてしまいました。単なるダジャレ。結構、いい加減ですね。
●韓国のこどもの日オリニナルは日本統治時代に伝わったもの?
中国の話、日本の話…と来て、ここでやっと韓国の話になります。
ワールド・ニューズ・メール 2001/5/11---No.168の海外便りでは、「私は渡韓当初、日本と同じように韓国でもこどもの日を祝うので、日本統治時代に日本から伝わったものだと思っていたが、その出発点は明らかに違うことを、その後知った」と書かれていました。
こちらでは、日本で男の子のお祝いの日になったのは江戸時代からとしており、鎌倉時代ではなかったのですが、とにかく、日本では途中から男の子のお祝いの日となったことを触れています。そのうえで、<韓国でも端午節として、中国から伝わった風習が残ってはいるが、そこには男の子を祝おうという概念はない>として、以下のような話をしていました。
<一方、韓国では童話作家の方定煥(パン・ジョンファン)氏が中心となった韓国初の児童運動団体である色童会で、1922年5月1日にオリニナル(こどもの日)を制定した。方氏は、児童運動の先駆者でもあり、“オリニ(子供)”という独自の韓国語を創作したことでも有名。最初は5月1日に祝っていたが、戦争中に一時期中止になり、1946年5月5日に再び制定された>
●陰暦の方の5月5日の記念日では起源の問題でトラブルになる
「オリニナル」っててっきり「オリジナル(起源)」をもじったものかと思いましたが、韓国の5月5日の行事の「起源」に関して問題になったことがあるみたいです。ただ、韓国での祝日であるこの5月5日とは別の話で、陰暦の5月5日の方でした。
これは先に「男の子を祝おうという概念はない」などの説明とともに出てきた、端午節のことだと思いますが、陰暦の5月5日を韓国では「端午(タノ)」と呼び、「端午祝祭(タノチュッチェ)」または「端午祭(タノジェ)」という名でお祭りが行われるそうです。
先のWikipediaによれば、2005年11月、大韓民国の「江陵端午祭」がユネスコによる「人類の口承及び無形遺産の傑作」への認定を宣言されました(第3回傑作宣言)。この事を受けて、端午祭の本家である中国のマスコミをはじめとする諸団体は「韓国起源の節句として無形文化遺産登録された」などと猛反発したということがあったそうです。
韓国の報道では、実際には「端午の起源が韓国である」との主張は傑作宣言にも一覧表にも存在せず、また『韓国は「江陵端午祭」を申請した際、「もともとは中国の行事。韓国に伝わって1500年以上が経過した」などと説明した』としているようです。韓国起源説を唱えたわけではないんですね。
しかし、傑作宣言の5ヶ月前に、中国国内から「湖北省で行われている自国の江陵端午祭を、韓国の江陵端午祭との共同で世界文化遺産に登録しよう」という声が上がっていたときには、韓国の学界から「中国の江陵端午祭は、韓国の江陵端午祭と名前だけは同じだが、完全に違うもの」と反発されていた経緯があるとのこと。ここらへんは矛盾がありそうでした。
なお、韓国の祝日は、こどもの日以外もおもしろいものが多く、日本との違いも見えて楽しかったので、別に
韓国の祝日がおもしろい お釈迦様の誕生日が祝日になっている!というものも同日投稿。韓国に限らず祝日というのはお国柄が出ており、その後、
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