女相撲・女人禁制の話をまとめ。<大相撲の女人禁制、実は伝統じゃなかった? 捏造の可能性を指摘>、<今でも北九州で伝統女相撲 秋田県では雨乞い・山形県は海外も巡回>などをまとめています。
2023/02/14追記:
●今でも北九州で伝統女相撲 秋田県では雨乞い・山形県は海外も巡回
2023/07/28追記:
●ブラジルで女性力士が増加して相撲人口の半分に…なぜなのか? 【NEW】
【クイズ】明治9年3月17日太政官指令15号の説明として正しいものはどれでしょう?
(1)婚姻後の妻の氏は夫の氏を用いるように定めた。
(2)婚姻後の妻の氏は実家の氏・夫の氏どちらかから選べるように定めた。
(3)婚姻後の妻の氏は実家の氏を用いるように定めた。
●大相撲の女人禁制、実は伝統じゃなかった? 捏造の可能性を指摘
2016/9/25:下書きはだいぶ前に終わっていたものの、小池百合子さんが女性として初の東京都知事になったので、東京でやる大相撲の時期に合わせた方が良いかなと取っておいた記事。もともと書いていたのは、
高校野球の甲子園は女人禁制だった 女子マネ、大会関係者に制止されるの時期。このとき甲子園の女人禁制に関して、二つ気になったツイートがありました。
一つは大相撲ですら「女人禁制は変わったのに高校野球は…」といったコメント。ただ、検索してみると、議論があるというだけで大相撲では女人禁制は廃止されていない感じです。
女人禁制 - Wikipediaでは、<大相撲の土俵(力士) - 現在でも継続されており議論されている>という書き方でした。
そして、もっと気になったツイートというのが、そもそも相撲で女人禁制が伝統だというのは怪しいという話。
(PDF)相撲における「女人禁制の伝統」について(吉崎 祥司・稲野 一彦 北海道教育大学岩見沢枚社会学研究室 北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第59巻 第1号 平成20年8月) という論文をリンクしていたのです。
<相撲は,神道との関わりを理由に,土俵上に女性を上げないという姿勢をとっており,それは「伝統」とされている。しかし相撲の歴史をひも解いてみると,女性と相撲は古来より密接な関係を保ってきたことが明らかになる。宗教・差別・相撲の歴史などの諸側面・諸次元から相撲における「女人禁制の伝統」を批判的に検証することによって,「相撲は神道との関わりがあるから女性を排除する」という論理が,明治期以降に,相撲界による地位向上などの企図にもとづいて虚構されたものであるという帰結が導き出される>
長い論文でポイントとなるところを探すのに苦労。面倒なので適当に読んで一度ポイントをピックアップしてみたものの、これじゃ抜けあるかもと思って、後で暇を見つけて全文読みました。で、改めてピックアップしたポイントは以下。そもそも女相撲というのが歴史あるものみたいですね。むしろ日本の伝統だと誇りそうな書物に記録が残っています。
(1)室町時代である1596年(文禄5年)刊行の「義残後覚」によると、
比丘尼が勧進相撲にたびたび参加していたことがわかる。草相撲でも野相撲でもない、勧進相撲に参加していたという意味は大きい。したがって、室町時代には相撲は女人禁制ではなかったと考えられる。
(2)
日本書紀、雄略天皇の記述部分に女相撲の記事が見られる。雄略天皇に呼ばれて、その場で着替えて相撲を取ったという話。これが女相撲の最古の記録。しかも、
「相撲」という言葉の登場でも、最古のものでもある。したがって、相撲は歴史的に女人禁制ではなく、女相撲の伝統が長いこともわかる。
また、もっと新しい時期である江戸時代においても、女性がとる相撲に関して、日本相撲協会の前身にあたる相撲会所は無関心でした。女人禁制を言い出したのは、かなり最近の話みたいです。
(1)女性と盲人による合併相撲停止の命令は相撲会所ではなく、寺社奉行所による。
(2)女性と盲人による合併相撲は禁止されているものの、女相撲は禁止されていない。
(3)女相撲が、男性の勧進相撲の中心地である、回向院で行われたことがある。
勧進相撲というのが大相撲の起源であり、それが行われた回向院は東京都墨田区両国二丁目にあります。そして、回向院ができるより前のことみたいですが、合併相撲も女相撲もそもそも両国が起源なのだそうです。(女相撲は厳密に言うと、前述のものが最初? 永享2年は1431年あたりで、回向院の創建は1657年)
・
座頭相撲 - Wikipedia<座頭相撲(ざとうずもう)とは、盲人同士、また盲目の男性と晴眼の女性との取り組みによる相撲興行である。
上記のいずれもが永享2年、江戸両国で興行されたのが最初である>
論文の執筆者は、明治に入って人権意識が向上する中、上記のような醜悪極まりない女性と盲人による合併相撲の存在があったことを知られるのはまずいと考えて、女性そのものを排除して醜悪な相撲の記憶を拭い去り、地位向上を図ったのではないかとしていました。
なお、論文では、"「性別役割分業」がすぐれて近代的所産(ないし近代における再編強化)であるという社会学あるいは女性(史)学の基本仮説を,文化(スポーツ)領域においても実証するものであろう"としていました。相撲に限らず、保守が伝統だと言う「性別役割分業」は、全然伝統じゃないって主張ですね。
さらに言えば、「性別役割分業」以外でも保守が言う伝統が伝統ではないというのはよくある話で、うちでもやっています。例えば、
夫婦同姓は日本の伝統文化ではない 明治前半までは夫婦別姓が原則や
多くの神社を廃止、明治政府の伝統文化破壊と国家神道の捏造 あの南方熊楠も「神社合祀」に猛反対がそういう話でした。クイズはここからの出題です。
【クイズ】明治9年3月17日太政官指令15号の説明として正しいものはどれでしょう?
(1)婚姻後の妻の氏は夫の氏を用いるように定めた。
(2)婚姻後の妻の氏は実家の氏・夫の氏どちらかから選べるように定めた。
(3)婚姻後の妻の氏は実家の氏を用いるように定めた。
【答え】(3)婚姻後の妻の氏は実家の氏を用いるように定めた。 (明治になってもしばらくは夫の氏ではなく、実家の氏を用いるように指定されていました)
伝統だと言われていることを本当か?と、疑って調べてみるのは大事だと考えさせられる論文でしたね。
●今でも北九州で伝統女相撲 秋田県では雨乞い・山形県は海外も巡回
2023/02/14追記:
北九州地方における女相撲について : 長崎県・佐賀県の場合(金田 英子(日本体育大学) 日本体育学会大会号)という論文もあると知りました。現在でも北九州地方で行なわれているんだそうです。ただし、女相撲といってもいろいろだと指摘されていました。最初のときの女相撲とはかなり違う内容ですね。
<一言に女相撲と言っても、その形態や機能的役割は、時代や地域により異なっている』。例えば、昭和30年代まで秋田県北秋田郡では雨乞いに女だけが集まって、相撲をとる風習があったという報告がされているし、山形県の高擶(引用者注:たかたま。おそらく山形県天童市の高擶地区のこと)では明治から組織化されていた高擶興行団が昭和20年代まで日本各地、さらには海外まで巡回していたという史実も確認されている>
全部やってられない…ということで、この論文では長崎県・佐賀県に特化。以下のように現在でも多数行われているようです。そのまま引用すると長くなるので、以下一部省略しながら紹介。「伝統」と言いたくなる長さがあるものが多く、一部はマジで何百年レベルのめちゃくちゃ長い伝統があります。
〈長崎県〉
・長崎市式見町 明治28年、日清講和条約締結のとき、村を挙げての「凱旋祝賀式」に登場。その後は、下郷(下
浜、下向)地区が式見くんちの奉納踊りとして受け継いでいる。実際の取り組みまで行う。
・長崎市三重町 式見から伝わったといわれるもので、円陣を組み相撲甚旬を歌って踊る。取り組みは行わない。
〈佐賀県〉
・伊方里市波多津町 起源は豊臣秀吉朝鮮の役の戦勝祝賀の時からと伝えられている。(中略)一時期途絶えていたが、大正11年10月高尾山公園内天野翁頌徳碑の除幕式を機に復活したとされている。取り組みを基本として、相撲甚句、相撲踊りなどを行う。
・藤津郡塩田町 冬野、美野辺田等に伝えられている。今から3OO年前、冬野部落が白石南郷西冬野とタばれていた頃から代々引き継がれているもので、祝いごとや落成式などに披露される。
・武雄市 起源は江戸末期。力士が地方巡業に出かけるようになったころ相撲甚句がはやり、始められたものとされている。甘久の踊りは、大町方面から師匠を呼んでけいこをしたという話も残っており、明治以後の伝承ではないかとする説もある。実際の取り組みまでおこなう。
・杵島郡大町町 十数人の女力士が輪になって、歌い手と旗もちが輻の外に出て、甚句に続き合わせて踊った。
・杵島郡江北町(八町北区) 大正中期ごろに始まった。地鎮祭やお祝いのために踊ったのが始まりとされている。
2箇所だけ、なぜか服装について言及がありました。伊方里市波多津町の場合は、「真っ白な丸首ジャツと半ももひきをつけて黒しゅすのまわし」などの説明。また、武雄市の場合は、「メリヤスのももひきと丸首シャツ」などの説明。丸首シャツとももひきはどちらの町でも見られる共通点で、裸ではないようです。
●ブラジルで女性力士が増加して相撲人口の半分に…なぜなのか?
2023/07/28追記:相撲と女性という話題で検索していて、おもしろそうな記事が目に入りました。
相撲人口の半分は女性、ブラジルで女性力士が増加している理由とは? | カルチャー | for WOMAN|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト(2023年04月26日(水)13時12分 鈴木俊平(本誌記者))という記事です。
<サンバやサッカーのイメージが強いブラジルで、日本の国技である相撲の人気が高まっている。ただし女性の間で。
相撲は20世紀初頭、労働力不足を補うためにブラジルへ渡った日本の移民が持ち込んだ。男女両方の参加が必要なオリンピックの正式種目化を目指し、ブラジルでは日本と連携して1990年代後半に女子相撲が本格的に広がっていった。
現在、国内には約600人の力士がいるとされ、その約半数が女性だという。競技人口は今も拡大している>
ブラジルは治安の悪さが特にひどい国として有名で、サッカーのワールドカップ開催が危ぶまれたほど。でも、女性に対する偏見がないなど、先進的な価値観が根付いている…みたいな話かと思ったらむしろ逆。保守的で古い価値観があるからこそ女性力士の人気が出る…という予想外の話でした。
<女性は小柄でか弱く、相撲に向いていないという偏見はブラジルでもいまだに根強い。
だが土俵では体の強さだけでなく、俊敏さや戦術も求められ、戦い方次第で体格差は克服できる。ルッキズム(外見重視主義)が強いブラジルで、体形や見た目に自信が持てない女性も、土俵の上では自身の悩みを強みとして肯定できる。
もともとブラジルでは柔道などの武術が盛んで、女子相撲への転向者も少なくない。必要品はまわしぐらいで経済的な負担が少なく、民族や階層を問わず始めやすいようだ>
(2018/04/06追記:関連して、
大相撲が捏造伝統の女人禁制で殺人未遂 救命中の女性に土俵から降りるように指示、
歴史に残る最古の相撲は女相撲 野見宿禰・タケミカヅチ起源説は嘘?といった話も書いています)
【本文中でリンクした投稿】
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大相撲が捏造伝統の女人禁制で殺人未遂 救命中の女性に土俵から降りるように指示 ■
歴史に残る最古の相撲は女相撲 野見宿禰・タケミカヅチ起源説は嘘? ■
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