天国と極楽―キリスト教と仏教の死生観 岡山 英雄 (著)


●天国は誰のもの?神様が人に与えたのは地上 天国は人にやらない
2011/6/4:
キリスト教徒は天国に行かないの続き。ただ、今回のでどころは
阿修羅という掲示板サイトのもので、一般的には回答の信頼性は低いところ。ただ、基本は引用という形ですので、聖書が手元にある方は確認ができなものでした。うちの話題に関係あるところだけ抜き出します。
Q:キリスト教を知らなかった昔の人は、天国に行けていないのでしょうか?
A:天には行っていないでしょう。
例えば、ダビデは神に愛された人でしたが「ダビデは天に昇りませんでした・・・」(使徒 2章34節)と述べられています。また、イエスにバプテスマを施したバプテストのヨハネでさえも 「はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」 (マタイ 11章
11節 )とありヨハネも天には行かなかったことを示しています
この他、私が調べていて出てきた言葉で、「天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない」という新約聖書の一節がありました。天から降って来た者=人の子ということですが、これはイエスさんのことであり、やっぱり他の人は天国には行かなそうな雰囲気です。
また、これは前回の
キリスト教徒は天国に行かないで出てきたイギリス国教会の順ちんだという主教さんの「イエスは確かに天国に行ったが、ほかには誰も行かない」の発言と同じ根拠かもしれません。
ただ、私の持ってきたものは、当然聖書ができた当時の言葉です。質問でも「キリスト教を知らなかった昔の人」としているとおり、その後はじゃんじゃん行っているんじゃないの?と思われるかもしれません。しかし、の回答者も前回引用の主教さんと同様、天国に行かないのは「キリスト教徒でないから」という問題ではないという見解で、それは次の部分で出てきます。
Q:キリスト教以外の信仰を持っている人は、天国には行けないのでしょうか?
A:聖書によれば死は無意識、無存在の状態ですから天に行くことはないでしょう。
「生きているものは、少なくとも知っている。自分はやがて死ぬ、ということを。しかし、死者はもう何ひとつ知らない。彼らはもう報いを受けることもなく彼らの名は忘れられる。」(コヘレトの言葉 9章5節)
「いつかは行かなければならないあの陰府には仕事も企ても、知恵も知識も、もうないのだ。」(コヘレトの言葉 9章10節 )
Q:天国は、クリスチャンのためにあるのでしょうか。それとも人は誰でも死んだら天国に行けるのでしょうか?
A:キリスト教の説教師の中には人間は地上で短期間過ごしたあと天国に住むことになっている、と言う人がいます。ですがそうであれば多くの人が死ぬ時を楽しみにしてもよさそうでが、そのために死にたいと思う人はあまりいませんね。
人間は地上で住むことが自然の欲求のように思われますが、聖書も人の居住域について次のように述べています。
「天は主のもの、地は人への賜物。天は主の天である。しかし地は人の子らに与えられた。」(詩編 115編16節)
「主に従う人は地を継ぎ いつまでも、そこに住み続ける。」 (詩編 37編29節 )
確かにアダムとエバは罪を犯さなければ、地上の楽園で永遠に生きられるはずでした。(創世記 2章17節)
天国が存在しないわけではないようですが、死は無意識、無存在で誰も天に行かないと説明しています。また、その他に「「天は主のもの、地は人への賜物」といった話も出てきていますよね。実を言うと、前回素知らぬふりして触れなかったのですが、Wikipediaでも「(天は)神の支配領域および天使たちの住処」と書いていました。天国はやはり人間の行くところではないようです。
天国と極楽―キリスト教と仏教の死生観 岡山 英雄 (著)


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