2020/09/21追記:
●せっかく作ったHIV治療薬の代わりに満屋裕明氏が別の薬を開発した理由
2021/10/03追記:
●何度も繰り返された画期的なエイズ治療開発!のニュース、裏を返すと… 【NEW】
【クイズ】満屋裕明さんの「満屋」の読み方は?
(1)まんや
(2)みちや
(3)みつや
●ノーベル医学生理学賞、満屋裕明氏・本庶佑氏・遠藤章氏らが候補者
2016/10/1:
日本人ノーベル生理学医学賞候補 森和俊,坂口志文,大隅良典,水島昇の続き、
今年のノーベル賞、日本人の有力候補は? :日本経済新聞(2016/9/23 9:11)の話を。ノーベル生理学・医学賞はこれで最後です。
ノーベル医学・生理学賞候補、本庶佑の学歴・経歴 オプジーボ(小野薬品)に貢献で書いたように、オプジーボは新たな治験で失敗しています。言うほどすごくない薬かもしれません。ただ、日経新聞は「免疫分野で最有力」として、引き続きノーベル賞候補に入れていました。(2020/09/21追記:その後、本庶佑さんは実際にノーベル賞を受賞しています)
また、本庶佑さんと同じく新薬開発で受賞が期待されるというのが、熊本大学の満屋裕明教授と東京農工大学の遠藤章特別栄誉教授。このうち、遠藤章特別栄誉教授は何度も紹介しています。探してみると、うちでは3回も書いていました。代表して、
日本人ノーベル生理学・医学賞候補、遠藤章氏の経歴 ラスカー賞受賞のため有力だけリンクします。
●熊本大卒業…ノーベル医学生理学賞有力日本人、満屋裕明氏の経歴
今回は初登場の熊本大学の満屋裕明教授をピックアップ。多剤併用によるエイズ治療薬を開発した方だそうです。
満屋裕明 - Wikipediaでの経歴は、以下のようになっていました。
学歴
・1975年 熊本大学医学部卒業
・1982年 医学博士(熊本大学、(中略))
職歴
・1975年 熊本大学医学部付属病院第二内科入局
・1980年 熊本大学医学部第二内科学講座助手
・1983年 渡米、国立衛生研究所 配属。
1983年 アメリカ国立癌研究所客員研究員
1985年 アメリカ国立癌研究所臨床癌プログラムCancer Expert(上級研究員)
1989年 同プログラムSenior Investigator(主任研究員)
1991年 同研究所内科療法部門レトロウイルス感染症部部長
・1997年 熊本大学医学部内科学第二講座(現血液膠原病内科)主任教授
1999年 熊本大学医学部付属病院治験支援センター長(兼任)
2000年 同付属病院感染免疫診療部長(兼任)
2000年 同付属病院病院長補佐
2001年 同付属病院副病院長
2003年 京都大学ウイルス研究所客員教授
●受賞歴を見ると苦しい?まだあまり大きな賞を受賞していない
Wikipediaを見ると、受賞歴の欄がかなり寂しくなっています。ノーベル賞受賞者でお馴染みの賞もほとんどないので、まだ受賞には早いかもしれないと感じました。
受賞・叙勲
2007年 - 紫綬褒章
2007年 - 慶應医学賞
2015年 - 朝日賞
2015年 - 日本学士院賞
私は実用化されているかどうかもノーベル賞受賞でポイントだと見ています。以下の説明にあるように、この観点ならめちゃくちゃ有望そうなんですけどね。人類への貢献という点だと、満屋裕明教授の功績は文句なしに見えます。こういう研究が受賞されるべきだ…とは思える内容でした。
<1985年、アメリカ国立衛生研究所で世界初のHIV治療薬「AZT」を開発した。同年にAZT開発について論文発表をしたが、アメリカでの特許は、実験に協力していたバローズ・ウェルカム社が、満屋に無断で取得してしまった。満屋は同社が高価格でAZTを売り出したことに怒り、さらに新しいHIV治療薬の研究に励んだ。その結果、世界で2番目と3番目のHIV治療薬(「ddⅠ(en:Didanosine)」と「ddC(en:Zalcitabine)」)も満屋が開発した。なお、満屋がライセンスを企業に与える際には、適切な価格での販売を条件にしている。
2006年には、アメリカの研究者との共同研究で開発したHIV治療薬「ダルナビル(en:Darunavir)」が、途上国が特許料を払わずに使える医薬品として世界で初めて国連の機関に登録された>
【クイズ】満屋裕明さんの「満屋」の読み方は?
(1)まんや
(2)みちや
(3)みつや
【答え】(3)みつや
クイズは私自身読み方に迷った「満屋」の読み方についてでした。私は「みちや」か「みつや」で迷ったのですが、「みちや」と読む苗字の人はいないみたいですね。一方、「まんや」は実在するそうです。ちなみにお名前の方の「裕明」は「ひろあき」でした。
●せっかく作ったHIV治療薬の代わりに満屋裕明氏が別の薬を開発した理由
2020/09/21:国立国際医療研究センター研究所長の満屋裕明さんについて書かれた
「医者だからやるしかない」エイズ治療薬開発の先陣切る:朝日新聞デジタル(2019年10月4日)という記事が出ていました。エイズ治療薬開発の先陣を切ったのが、満屋裕明さんだったといいます。
アメリカで初めてエイズの患者が報告されたのは1981年。満屋さんは米国の国立衛生研究所(NIH)がん研究所に所属しており、84年ごろ、上司の勧めでHIVの研究を始めています。HIVは当時、医療機関でさえ、感染を恐れて治療や遺体の解剖を断るところがあるほど恐れられ、強く反対する同僚もいました。
このため、所属の研究室ではなく、すでにNIHでHIVの研究をしていた博士の部屋で研究することに。ただ、この博士も研究で部屋を使うわけですから、博士が使っていない夜と早朝を使って取り組むというたいへんなことに。それでも、満屋さんは「誰かがやらなければならない。医者として当然のことだ」と実験を重ねたとされていました。
こうして実験を繰り返し、ついにHIVの増殖を抑える化合物を発見します。ただ、おもしろいのは、この化合物はもともとは出来損ないであったということ。元々は抗がん剤として60年代に開発されていたが効果がなく、そのままになっていた化合物を使用したところ、成功したといいます。研究ではこういうことがときどき起きますね。
ところが、この化合物を製薬企業は、治療薬を高額で設定し、米国で最も高価な薬となってしまいました。本庶佑さんの研究を使った小野薬品のオプジーボの販売価格(日本は海外より高かった)ほど極端ではなかったようですが、高すぎて問題でした。そこで新たな薬の開発に取りかかって成功して、今度は適切な価格を条件にしてライセンスしたとのこと。こういう人こそノーベル賞を受賞してほしいですね。
●何度も繰り返された画期的なエイズ治療開発!のニュース、裏を返すと…
2021/10/03追記:時系列的には前回の追記で紹介した朝日新聞記事より前になるのですが、朝日新聞では2018年2月10日にも満屋裕明さんの名前が出てくる
エイズ治療の劇的変化 90年代の「希望の灯」が現実に(鍛治信太郎)という記事も出ていました。ただ、読んでみると、満屋裕明さんがメインではありませんでした。
記者が初任地の福島支局で、福島県立医科大でエイズ治療薬の研究をしていた馬場昌範さんに最新の話題を取材させてもらった当時、すでに米国立保健研究所(NIH)の満屋裕明さんが画期的と注目された「AZT」などの治療薬を見つけていた…というところで満屋裕明さんが登場。ただ、当時はまだ課題があったという話です。
この当時あった薬はどれも、エイズを発病する時期や症状の進行を遅らせることはできましたものの、患者の体内で次第に薬が効かないウイルスが増えてしまい、効果が長続きしないことが課題になっていたといいます。その後、画期的とされる治療法が何度も登場。これにより、劇的に良くなった…という話かというと、そうでもありません。
もし本当に画期的な治療法であれば、画期的とされる治療法の報道は1回で終わりです。報道が繰り返されるというのは、裏を返すと、そこまで画期的な治療法ではなかったということ。マスコミや研究者などが持ち上げすぎなものが多く、過剰評価であったとのことでした。記者自身のエイズ特集報道も、先輩記者に注意されたことがあったそうです。
ところが、最近の感染者では、毎日1錠薬をのむだけで、重い副作用もなしに、血液検査でHIVが検出されない状態が続き、ほぼ普通に生活できる状態に。30年経って、本当に画期的な治療法が出てきた…という記事でした。こういう内容ですと、満屋裕明さんの業績が否定されるかのように感じるかもしれませんが、初めの一歩というのはすごく大事。満屋裕明さんの業績が色褪せることはないと思われます。
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