【クイズ】大阪麦酒(当時)が名付けた「朝日(アサヒ)」というブランド名に関する説明で正しいものは?
(1)旭化成が筆頭株主になったときに名前を変更した。
(2)設立当初は「朝日麦酒」ではなく「旭麦酒」と表記されていた。
(3)本社が大阪府大阪市此花区朝日にあったことにちなむ。
●批判をしたら圧力をかけずに直接抗議の電話
勲章を拒否した樋口廣太郎アサヒビール元社長 叙勲の廃止も提言で勲章辞退の話を書いた樋口広太郎さん(アサヒビール元社長・元会長)ですが、他の話もおもしろいです。
佐高信さんは「最近の経営者で印象に残っている方」として、樋口さんと小林陽太郎(元富士ゼロックス会長)さんなどを挙げていました。
この2人に関しては以下のような理由です。
「小林さんと樋口さんは、書かれたことに対して直接抗議してきました。大半は秘書や経済記者を通じてのものだけに、まっすぐ来たこの2人はすごい」
(
日刊ゲンダイDIGITAL|ゲスト 佐高信さん<上>勉強会で勲章拒否の話をしたら樋口広太郎さんが「勲章をもらうのを辞める」と言い出した 2015年9月29日)
「(そういう行動を取れるのは)ある種の自信なのでしょうね」とも言っています。
別記事では以下のような書き方をしていました。
気さくな名物経営者 樋口廣太郎の勲章拒否宣言|佐高 信の「一人一話」|ダイヤモンド・オンライン 佐高 信 [評論家] 2015年11月23日
樋口をまだあまり知らなかった時、ある雑誌で批判したら、樋口は私に直接電話をかけてきた。私の経験では、自分でストレートに釈明の電話をかけてきたのは、樋口と富士ゼロックスの会長だった小林陽太郎だけである。知り合いの新聞記者に頼んだり、媒体に圧力をかけて私の連載をつぶそうとしたりする経営者が多い中で、この2人の印象は強く、すがすがしい。
●消費者団体からクレームが来るとすぐ出かけていく
樋口広太郎さんはこのときが特別だったわけではなく、"主婦連など、消費者団体から何か言ってくると、待ってましたとばかりに自分から出かけた"と言います。
「そうすると、不思議そうな顔をして、会長、副会長が出て来られる。弁護士も出てくるわけですよ。それで、ここへ来る人なんていないんだけど、あんたみたいに、言うたらすぐに来る人は初めてだ、と。
僕はここへ来るのが楽しい、おもしろいと言った。そうすると、弁護士さんがいろいろと言うから、あなた方から呼ばれてないから黙っていてください、と。それで僕は会長さん、副会長さん、みんな仲良しになっちゃう、すぐ」
●クレームが大好きだった樋口広太郎アサヒビール元社長、自ら電話
次の話では「ビールについてもそうだった」とありますので、上記はアサヒビールに行く前、住友銀行時代の話かもしれません。アサヒビール時代の話というのは以下。
社長時代、樋口は「苦情大好き」と言って、かかってきた電話をすべて記録させ、こちらから「こんにちは」と電話をかけた。まさか、社長自ら電話をかけてくるとは思わないので、「ホンマに、あんた社長なの?」と疑われたこともあった。
私との対談で樋口は、「苦情というのは成長のもとですよ。やっぱり刺激受けるから、非常にありがたい」と言い、「わざわざ電話をよこすというのは、かなりしつこい人でしょう」と尋ねると「そういうの大好きなの」と笑っていた。
それで私は脱帽したが、苦情をある種の宝として大切にしたことが、アサヒビールの奇跡の急成長の秘密だったことは容易に想像がつく。
経営者もクレームを受けるという話は、
アマゾンの「全品無料配送」の理由でも出てきたことがあります。
アマゾンの場合は、「顧客中心の視点で、あらゆる戦略を考えて実行する」という経営哲学を実行するためという理由。ですので、ジェフ・ベゾスCEO(最高経営責任者)だけというわけでなく、アマゾンの全社員がカスタマーサービスを提供するコールセンターで定期的に研修を受けるとのこと。
だいぶ理由が異なりますね。あと、当時はてっきりカスタマーサービスの電話に出るんだと思って紹介していたんですが、ひょっとしたら研修だけなのかもしれません。
樋口さんのようなケースが極めて珍しい事例であることは、間違いなさそうです。
●「アサヒ」が好きすぎる日本人
アサヒ何とかって企業は日本にたいへん多いのですが、本当に旭化成がアサヒビールの筆頭株主だった時期があり驚きました。ただし、比較的最近の話であり、ブランド名とは無関係です。
アサヒビール - Wikipedia
1981年 - 医療法人十全会[注釈 1]が株式を買い占める。直後に株を放出し、その株を旭化成が買い取って同社が筆頭株主となり、業務提携も行う。
旭化成は今でもアサヒグループホールディングスの株を 3.88%持つ大株主ですが、筆頭株主ではなく3番目みたいですね。
【クイズ】大阪麦酒(当時)が名付けた「朝日(アサヒ)」というブランド名に関する説明で正しいものは?
(1)旭化成が筆頭株主になったときに名前を変更した。
(2)設立当初は「朝日麦酒」ではなく「旭麦酒」と表記されていた。
(3)本社が大阪府大阪市此花区朝日にあったことにちなむ。
【答え】(2)設立当初は「朝日麦酒」ではなく「旭麦酒」と表記されていた。
で、「旭麦酒」の名前はどこから来たのか?と言うと、諸説あって正解はわからないみたいですね。
ブランドの由来
大阪麦酒が名付けた「朝日(アサヒ)」というブランドの由来については諸説あるが、創業者・鳥井駒吉の出身地である堺市に縁のある以下の説がよく知られる。なお、設立当初は「朝日麦酒」ではなく「旭麦酒」と表記されていた。
「旭館」説
寛政から天保年間にかけて堺港の修築工事が行われ、これと並行して竪川の南側一帯に新地が形成された。栄橋や龍神といった遊里の西を流れる旭川(内川の分流のひとつ。1956年埋立)より西側は旭町と名付けられ、堺港に南面する風光明媚な場所として賑わい、中でも「朝日ノ家」は堺屈指の茶屋として知られた。その「朝日ノ家」が閉鎖された後、堺の酒造組合の代表であった鳥井が1888年(明治21年)、堺の酒造業者と政府の高官や財界人との交遊をはかる目的で、同地に社交倶楽部「旭館」を開設した。「旭館」は「朝日ノ家」から名付けたものだが、新たにビール事業に参入する際にも、この「朝日・旭」ブランドを重用し「旭麦酒」と命名した。
「旭橋」説
鳥井の生家(現・堺市堺区甲斐町西2丁)から目口筋を西進すると旭川に架かる「旭橋」に至り、自らの酒造業者としての原点を忘れないという思いを込めて「旭麦酒」とした。その後、旭川は埋め立てられて「旭橋」も撤去されたが、「旭橋」は天誅組の上陸地であり、もとの架橋地点に「堺事件」の碑と「天誅組上陸地」の碑に並んで「旭橋」の橋柱一対が保存されている。また、鳥井の生家跡から北東に進んだ場所にある「ザビエル公園」内に「旭橋」のもう一対の橋柱が保存されている。
小西儀助からの譲渡説
明治17年からビールを製造していた、小西儀助商店からブランド名を譲ってもらったとの説もある。
大阪麦酒のブランド名「旭」は、1884年(明治17年)から大阪で朝日ビールを発売していた薬種問屋の小西儀助が、1888年(明治21年)に鳥井駒吉らの計画を知ると、自らビール事業から手を引くことを決め、そのブランド「朝日」を設立予定の大阪麦酒に譲り、同社はこれを「旭」として引き継いだ、ともいわれている。[13]
また、小西儀助が大阪麦酒の役人に「もし御入用やったらうちの商標を使うておくれやす」と言ったという、大日本麦酒大阪支店の大森寅之進の聞書による記録もある。[14]
最後の話からは、それ以前にも朝日ビールがあったことがわかります。本当、日本人はアサヒが大好きですね。
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