東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 - Wikipedia
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(とうきょう・さいたま れんぞくようじょゆうかいさつじんじけん)とは、1988年から1989年にかけて東京都北西部および埼玉県南西部で発生した、幼女を対象とした一連の事件である。(中略)
この事件は、4歳から7歳という低い年齢の女児が被害者となり、犯行声明を新聞社に送り付ける・野焼きされた被害者の遺骨を遺族に送りつけるなどの、極めて異常な行動を犯人が取ったことから、欧米を中心に多発する児童への性的暴行を目的とした誘拐・殺害事件などとの比較も行われ、戦後日本犯罪史上にて初めてプロファイリングの導入が検討された。(中略)
この事件は、メディアにかつてない影響を与えた。宮崎がいわゆるおたく・ロリコン・ホラーマニアとして報道されたことから、同様の趣味を持つ者に対して強い偏見が生じた。[独自研究?]特に、宮崎が殺害後の幼女をビデオカメラで撮影、これらを膨大な数に及んだコレクション・ビデオテープの中に隠し持っていたという点で、現実と空想・妄想と犯罪行為の境界が曖昧で、明確な規範意識の無さが犯罪に及ばさせたとみなされた。
これには少なからず、前出の報道合戦の影響が見られ、特に各メディアとも宮崎の異常性の見られる性格を強調、一時は同傾向の見られる独身男性に対する、あからさまな社会的嫌悪感まで形成されるという、モラル・パニック的な風潮も見られた。特に、当時のおたく文化には提供側の趣味もあって、極端に幼女を対象に据えて性的興奮を煽る内容が散見されたことから、1990年代前半の電脳学園・宮崎県有害図書指定訴訟、沙織事件、有害コミック騒動などの規制強化に向けた騒動の引き金となった。
そんなワケで、個別の返信は、また後日。すみません。ただ!RT&お気に入りしてくれたみんなに申し訳が立たない!つーワケで、当時のオタクバッシング記事を連続で貼るッスよ!思う存分拡散してくれい!これがマスコミによる当時のオタクバッシングだ!まずはコレ。 pic.twitter.com/ClvR0B0mjR
— みぐぞう@既刊電子書籍販売中 (@migzou) 2016年12月12日
続き。これは相当に悪質で、登山中に遭難してSOSを出した被害者の遺品にミンキーモモのカセットケースが入っていたというだけで「気持ち悪いアニメオタク」として晒し者にされたという悪質極まりない記事。 pic.twitter.com/SiZlH6KeLf
— みぐぞう@既刊電子書籍販売中 (@migzou) 2016年12月12日
これは小学館の「女性セブン」誌による悪質なヤラセ記事。「宮崎勤の自室に霊がいた!」とセンセーショナルに報道するも、実は編集部によって「写真に霊っぽいものを書き加えた」という、当時の報道が、どれだけ狂乱によって悪質にエスカレートしていったかを知る貴重な資料。 pic.twitter.com/PyYVAV9E78
— みぐぞう@既刊電子書籍販売中 (@migzou) 2016年12月12日
こちらは「週刊女性」誌によるオタクバッシング。わざわざ気持ち悪いステレオタイプなオタク像のイラストを添えてオモチャにしている。これ書いた記者さんと編集部さんよ。「人を外見で判断してはいけない」って、子供の頃に親に教わらなかったのかね? pic.twitter.com/2Dd4n8CVEf
— みぐぞう@既刊電子書籍販売中 (@migzou) 2016年12月12日
宮崎勤事件に端を発した「オタクバッシング」だったが、資料として頂いた昭和57年10月号の「週刊新潮」の故・石堂淑朗氏と長谷邦夫氏のコラムが痛快で、読んでいて非常に面白い。特に石堂氏の「戦後民主主義が宮崎勤を作ったのだ」とバッサリ斬り込んでて膝を叩いた。痛快だなあ、このコラム。
— みぐぞう@既刊電子書籍販売中 (@migzou) 2016年12月11日
あ、先ほどのツイート間違ってた。「週刊新潮」じゃなくて「新潮45」だった
— みぐぞう@既刊電子書籍販売中 (@migzou) 2016年12月11日
石堂 淑朗(いしどう としろう、1932年7月17日 - 2011年11月1日)は、日本の脚本家、評論家。(中略)
脚本家としては左派色の強い監督達とのコンビで多くの作品を残したが、晩年の評論・エッセーなどでは保守派の論客とされた。
戦後民主主義 - Wikipedia
特に戦後民主主義の批判者は、現憲法を「押し付け憲法」と批判するのは常である。しかし、この保守派からの批判に対して、論者によっては、軍国主義の一時期の日本が異常だったのであって、戦後は確かにアメリカの力を借りたものの、大正デモクラシー期に芽が出かけて、その後、軍国主義によって芽の摘まれた日本型民主主義が図らずも新憲法で実現されたとの見方もある。実際、戦前の国家主義者であり社会主義者(国家社会主義者)であった北一輝が提起した問題が、日本国憲法下で実現している側面などに着目するとこの主張もあながち荒唐無稽なものではないともいえる。
戦後民主主義に対する批判的見解
「戦後民主主義や近代立憲主義によって、日本人は共同体意識に根ざした良心を失い利己主義に走り、家父長制や純潔主義などの伝統文化も破壊された」との主張が保守的な論者から唱えられている。このような批判は、1955年11月に自由民主党が結党した際、綱領類で唱えたのを始め、1960年代には福田恆存ら保守系の人々の間で盛んに論じられた。
こうした論者は、戦後民主主義をしばしば「左翼」として批判する。確かに戦後民主主義は「左翼」と呼ばれる社会民主主義者や共産主義者の支持を受けている。しかし、戦後民主主義の支持者は、必ずしも社民主義や共産主義に賛同している訳ではなく、自由主義を支持している者もいる。
代表的人物
いわゆる進歩的文化人とかなりの部分で重なり、戦後民主主義のオピニオン・リーダーと目される人物には、丸山眞男、川島武宜、大塚久雄、鶴見俊輔、加藤周一などの学者や作家、評論家がいる。大江健三郎や大塚英志は戦後民主主義者を自認・自称し、特に大江はその代表のように見なされることもある。イメージ的にいえば、いわゆる岩波文化人、岩波知識人とも親和性がある。
第2回 宮崎事件とR16 : R16的(渋井哲也/ルポライター)
「おたく」は、ある種の趣味に詳しい人たちをさすが、もともと「ビョーキ」という言葉があった。しかし、コラムニストの中森明夫氏が1983年、日本で二番目のロリコンコミック誌『漫画ぶりっこ』の連載『「おたく」の研究』の中で、アニメや漫画の愛好家が、「あなた」等の意味の二人称として「おたく」を使っていることから、そうした人たちを「おたく」と呼ぶことを提案していた。(中略)
<この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達を『おたく』と名づけるってとこまで話したんだよね。『おたく』の由来については、まぁみんなもさっしがつくと思うけど、たとえば中学生ぐらいのガキがコミケとかアニメ大会とかで友達に「おたくらさぁ」なんて呼びかけてるのってキモイと思わない>(83年7月号)
のちに、同誌編集長の大塚英志氏が雑誌リニューアルの際、中森氏の連載を打ち切るが、
「正直に告白すれば彼の『差異』の実証に傾ける情熱がうまく理解できなかった。ぼくは『おたく』を『差別用語』として批判し(この頃からぼくは『戦後民主主義者』としてふるまっていたというわけだ)彼の連載を打ち切ったが、・・・」(『おたくの精神史 一九八〇年代論』 p40-41)
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