ジブラルタルの岩 - Wikipedia
ジブラルタルの岩(ジブラルタルのいわ、英: Rock of Gibraltar、The Rock(ザ・ロック)、羅: Calpe[1]、亜: جبل طارق、Jabal Tariq(ターリクの山)、西: Peñón de Gibraltar)は、ヨーロッパのイベリア半島南端にあたるジブラルタルにある、岬をなす一枚岩の石灰岩[2]。高さ426メートル。
この山はイギリス領であり、スペインと国境を接する。ジブラルタルの主権は、スペイン継承戦争の後、1713年にユトレヒト条約によってスペインからイギリスに移った[3]。2002年時点で、イギリスとスペインは「この山を巡る何世紀にもわたる領有権問題に終止符を打つ」べく協議している[4]。
1701年にスペイン王位継承で候補者の1人カール大公(後の神聖ローマ皇帝カール6世)の即位を後押しするオーストリア、イギリス、オランダがフランス王ルイ14世とスペイン王フェリペ5世に宣戦布告し、スペイン継承戦争が始まると、オーストリア、イギリス、オランダの同盟艦隊はスペイン南岸にある港町の襲撃を繰り返した。
1704年8月4日、ジョージ・ルーク提督率いるイギリスとオランダの艦隊の支援の下、オーストリアの軍人であるゲオルク・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット(ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ6世の息子)指揮下の海兵隊がジブラルタルに上陸した。交渉の末、住民は自主退去を選択し、海兵隊はジブラルタルを占領した(ジブラルタルの占領)。フランス・スペイン連合軍はジブラルタル奪回のため艦隊をトゥーロンから派遣、それを阻止しようとルーク率いるイギリス・オランダ海軍が迎撃に向かい、フランス・スペイン海軍が撤退したことでジブラルタルは確保された(マラガの海戦)。
1713年4月11日にユトレヒト条約の締結によって戦争が終結するものの、その条約でジブラルタルはイギリス領として認められ、スペインは奪回の機を失った。
1713年のユトレヒト条約以降イギリスが統治を続けているジブラルタルだが、スペインは今も返還を求めている。ジブラルタルはヨーロッパに残る最後の「植民地」であり[6]、また係争当事国がいずれもEU加盟国である点、係争が300年もの長きにわたっている点で、世界の領土問題のなかでも異色の存在と言える[6]。
スペインの基本的見解は、ユトレヒト条約第10条はジブラルタルの町、城、それに付随する港、要塞の所有と軍事利用をイギリスに認めたに過ぎず、主権はスペインに残っているというものである[1]。スペインにとってジブラルタルは長らく「スペインの靴の中に入ったペニョン(岩山)」となっている[6]。しかし返還を求めるスペインの主張は、モロッコのセウタなど自らの植民地所有と矛盾するものでもある[9]。一方、現在のイギリス統治が住民から圧倒的支持を受けていることは1967年9月の住民投票から明らかであるが[2][5]、同年12月に国連の非植民地化委員会(英語版)はイギリスのジブラルタル領有を植民地主義的だとして返還を促す決議を採択している[2][9]。
2002年には共同主権の検討がなされた。これに対し、地元の二大政党である保守系のジブラルタル社会民主党(英語版)および革新系のジブラルタル社会主義労働党(英語版)は、共にスペインに対する主権の譲渡に強硬な反対を行い、住民投票においても90%以上が反対の意思を示したため、この構想は実現しなかった。これ以降、帰属に関する交渉はイギリス、スペインにジブラルタル自治政府を加えた三者間会議に移り、2006年9月に初の会議が開かれた[8]。ジブラルタル自治政府はその3ヶ月後、自治権拡大を意図した新憲法草案を住民投票にかけ、可決させた[8]。
2016年に、イギリスにて行われたEU離脱か残留かの国民投票により、EU離脱が決定。これにより、スペイン側は投票翌日には共同主権での統治を経た後のスペイン返還を提案したが、英政府とジブラルタルのピカード主席閣僚は対決姿勢を鮮明にした声明を発表している[10]。
スペインが英領ジブラルタルに揺さぶり、領有めぐる対立再燃か | ロイター 2013年 08月 6日 18:39 JST
スペイン南端の英領ジブラルタル政府は5日、スペイン政府が魚礁建設への報復措置として通行税徴収や航空機の飛行禁止を検討していることについて、あたかも武力をちらつかせて脅迫する北朝鮮のようだ、と非難した。
対立が深まるきっかけとなったのは先月、ジブラルタルが海にコンクリートのブロックを沈めて魚礁の建設を始めたことだった。スペイン政府は、魚礁は自国の漁船を妨害するものだと反発し、報復として国境検問の強化を始めた。
世界の名馬列伝集: デインヒル
馬名は英語で「デンマークの丘」という意味だが、由来は英国サセックス州にある美しい景観の村の名前で、アブドゥッラー殿下のレーシングマネージャーを務めていたプリチャード・ゴードン氏が以前その村の近くに住んでいたことからの命名である。
オフショア (曖昧さ回避) - Wikipedia
オフショア(Offshore)は岸(shore)から離(off)れ海に流れる風、つまり「陸風」のこと。反対語は、「海風」を意味するオンショア(Onshore)(cf.海陸風)。転じて陸から離れた沖合や、本拠の外の海外のことをさす。
・オフショアリング - 法人の部分または全部の事業を海外に移す行為。
・金融用語。オフショア金融センターを参照。
・オフショア建設 - 沖合に石油プラットフォームを建てて石油・天然ガスなどの掘削事業を行うこと。
・オフショア船 - オフショア建設に用いられる曳船や作業船。
・オフショア発電 - 沖合に建設した発電所での発電を指す。
・オフショア開発 - 海外に委託したシステム開発等を指す。
・オフショア (サーフィン用語)
・釣り用語で、沖合での釣りを指す。
オフショア市場とは - コトバンク
ASCII.jpデジタル用語辞典の解説
オフショア市場
国内の金融資本市場の法的制約を受けない自由市場のこと。非居住者間の金融取引を自由にできるよう金融・租税・為替管理などの制約が大幅に緩和されている。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
オフショア市場
別名オフショア・センター。
ジブラルタル(Gibraltar)の主要な銀行&金融業者:秘密の沖-シークレットオフショア
ジブラルタルは、イギリス海外領土の一つ。オフショア金融とオンラインカジノ(ゲーミング)ライセンス発行国として有名。
ブログ内 | ウェブ全体 |
【過去の人気投稿】厳選300投稿からランダム表示
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ |