武士道 - Wikipedia
新渡戸はキリスト教徒の多いアメリカの現実(人種差別など)に衝撃を受け、同時にキリスト者の倫理観の高さに感銘を受けた。新渡戸は近代において人間が陥りやすい根っこにある個人主義に対して、封建時代の武士は(封建)社会全体への義務を負う存在として己を認識していたことを指摘している。無論これは新渡戸の考えである。同時に新渡戸にとって武士は国際社会において国民一人一人が社会全体への義務を負うように教育されていると説明するのに最適のモデルであったとするのが今日の一般的な見方である。そのため彼の考えを正当とされるよりも、批判がなされることもあった。(中略)
新渡戸稲造の『武士道』
新渡戸稲造は現地の教育関係者との会話において日本における宗教的教育の欠落に突き当たった結果、1900年にアメリカ合衆国でBushido: The Soul of Japan[5][6]を刊行した。(中略)
『武士道』においては、外国人の妻にもわかるように文化における花の違いに触れたり19世紀末の哲学や科学的思考を用いたりしながら、日本人は日本社会という枠の中でどのように生きたのかを説明している。島国の自然がどのようなもので日本独特の四季の移り変わりなどから影響を及ぼされた結果、日本人の精神的な土壌が武士の生活態度や信条というモデルケースから醸成された過程を分かりやすい構成と言葉で読者に伝えている。例えば、武士や多くの日本人は、自慢や傲慢を嫌い忠義を信条としたことに触れ、家族や身内のことでさえも愚妻や愚弟と呼ぶが、これらは自分自身と同一の存在として相手に対する謙譲の心の現れであって、この機微は外国人には理解できないものであろう、といったことを述べている。しかしこれは新渡戸独特の考えであり、彼の思想を批判する書も出されている。
新渡戸稲造って何をやった人なの?
31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/06(水) 01:56:04 ID:cWmR0+nf0
今日「武士道」という用語は、肝心の日本人の間で、極めて曖昧かつ混乱した使い方をされている。
何をもって武士道と呼ぶかという核心の部分がはっきりしないまま、言葉だけが語る者の気分次第で一人歩きしているのである。
「武士道」という言葉を聞いて、今日多くの人が思い浮かべるのは、新渡戸稲造の著書『武士道』(原題は“Bushido,the soul of Japan”)であろう。
学問的な研究者を除く一般の人々・・・とりわけ「武士道精神」を好んで口にする評論家、政治家といった人たち・・・の持つ武士道イメージは、
その大きな部分を新渡戸稲造の著書に依っているように思われる。そして実はそのことこそが、今日における武士道概念の混乱を招いている、
最も大きな原因の一つなのである。
新渡戸『武士道』が、武士道概念を混乱させているとは、どういうことか。それは一言でいえば、新渡戸の語る武士道精神なるものが、
武士道の思想とは本質的に何の関係もないということなのである。
新渡戸武士道が、当事者としての武士を全く無視した、武士とは無関係な思想であるという批判は、『武士道』の日本版が刊行された直後に、
すでに歴史学者津田左右吉によってなされている。新渡戸の論が、文献的にも歴史的にも武士の実態に根ざしていないというのは、
専門に研究する人たちの間では当たり前のことなのである。だから、「武士道」という用語の歴史的変遷を研究する人の中には、
「今どき、新渡戸『武士道』によって武士のイメージを形作るという日本人もそう多くはあるまいし」(佐伯真一『戦場の精神史』NHKブックス)と述べる者もいるくらいなのだ。
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「武士道の逆襲」菅野覚明
17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/02(土) 11:31:04 ID:0hUCR5eAO
新渡戸の話題になっても武士道の負の面ばかり取り上げられて
貧民や女性教育に熱心だったり、台湾では国父として尊敬されてたり、
国連でユニセフの前身となる組織作ったりとかは、
あまり話題にならないよね。
武士道にしても外国向けに書いただけで
日本向けの翻訳とかには係わっておらず、新渡戸自身が
武士道はもう古いと言ってるのに・・・
国内では「国を滅ぼすのは軍部と共産党」と言って
右翼に批判され、天皇陛下から関係改善を依頼され
向かった先のアメリカでは、軍部の弁解にきたと
冷たくあしらわれ・・・
結構可哀相な人だと思う
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