Appendix

広告

Entries

元寇の真実、神風なんてなかった 呼び方も「蒙古襲来」が正しい?


 元寇(蒙古襲来、モンゴル襲来)の勝因が、「神風」と呼ばれたという暴風雨という記録は実は全然ないそうです。

 また、この説は昔から有名だったと批判している人たちも多かったものの、教科書の記述はかなり最近まで暴風雨を記載していた、といった話もあわせて確かめます。


●元寇の真実、神風なんてなかった

 まずは「神風なんてなかった」の話。古い定説については、まず以下のように説明されていました。
勝因は「神風」ではなかった? 「元寇」に新たな見方:朝日新聞デジタル 編集委員・宮代栄一 2017年1月8日11時35分

 1274(文永11)年、900隻、4万人の元軍が対馬と壱岐を攻略。鷹(たか)島(長崎県)上陸後、博多湾まで進出したが、暴風雨に遭い退却(文永の役)。

 続く1281(弘安4)年、朝鮮発の東路軍と中国発の江南軍の4400隻、14万人が攻め寄せたが、日本側の防戦で一時撤退。さらに鷹島に停泊中の船団を暴風雨が襲ったため、退却(弘安の役)。その後、皇帝フビライは3度目の日本遠征を計画したが、亡くなったため、沙汰やみとなった。

 危機に大風が吹き、異国の敵が追い払われたことから、2回にわたる暴風雨は「神風」といわれ、第2次世界大戦中には、神国日本を裏付ける材料として使われた。

 一方、くまもと文学・歴史館の服部英雄館長(日本中世史)は、文永の役について「モンゴル軍が日本に攻め寄せた夜に嵐が来て翌朝撤退したと書く本が多いが、そんな史料は存在しない」としています。

 元になったと思われるのは『八幡愚童訓』という鎌倉時代の史料も実は、暴風雨については触れていません。これ自体も荒唐無稽なのですが、「夜中に神が出現し矢を射かけたため、蒙古はわれさきに逃げ出した」といった内容でした。

 西暦換算すると、モンゴル軍の襲来時期は11月で台風のシーズンではく、「寒冷前線通過に伴う嵐が来た可能性はある。でも、それで大量の軍船に被害が出たという記録はない」そうです。

 弘安の役についても、台風でモンゴルの軍船が一部被害を受けたと思われるが、「沈んだのは鷹島沖の老朽船だけ」であり、撤退は別の理由と考えられています。

 服部英雄館長は、「鎌倉武士は戦の勝因を神風とは考えていなかった」「武士はむしろ自らの戦績を誇った」とも指摘。「主張したのは敵国調伏の祈禱(きとう)をした社寺」ともしています。また、宗教が悪さをしていたようです。


●教科書ではかなり最近まで暴風雨が原因とされていた

 これに関して、とっくの昔から知られていた、古すぎる、数十年前の定説といった批判が多かったです。ところが、調べてみると、教科書などの記述は数十年前どころかかなり最近まで暴風雨について書いていました。

 例えば、中学校歴史教科書における「元寇」記述についての比較研究 包 黎 明(2010年10月7日受理)という論文で比較されている2005年の検定済み教科書。

 とりあえず、当時の新しい歴史教科書をつくる会を出していた扶桑社(今は自由社)の教科書は、当然のごとく「神風」に触れています。保守派ですからね。"2回とも「神風」と呼ばれる暴風雨に襲われ敗退した"などと書いています。

 問題は他の教科書ですが、東京書籍は「神風」なんて馬鹿なことは書いていないものの、弘安の役について「暴風雨で大損害」としていました。

 その他、帝国書院が二回とも暴風雨のせいで引き上げとするなど、8社の教科書すべてで暴風雨について触れていました。

 これより新しい教科書はどうか?と言うと、2014年に書かれた教科書から消えたもの 元寇|こはにわ歴史堂のブログ(2014-05-11 20:25:35)である程度様子がわかります。
「元寇」の内容に関しても大きな変化がみられるようになりました。
現在の教科書では、「暴風雨で」元軍が引き上げた、というような説明が少なくなりました。
元側の記録では、「撤退」開始が先で、「暴風雨」が後だからです。
暴風雨で撤退を余儀なくされたのではなく、日本の武士たちの巧みな作戦で苦戦し、撤退を決定した、というのが実際でした。

 ただ、「少なくなりました」って書き方ですから、未だに書かれているってことかもしれません。神風説はまだまだ現役って可能性もありそうでした。


●呼び方も「蒙古襲来」が正しい?

 なお、こちらによると、皆さんが突っ込んでいなかった「元寇」という言い方すらも不適切なのかもしれません。
さてさて、「元寇」なのですが…

現在、「元寇」という表現は、高校の教科書から消えつつあります。
どう変化しているかというと

「蒙古襲来」

という表記になりつつあります。

実は、「元寇」当時、そして後の室町時代も、そして江戸時代の初期まで、蒙古襲来のことを「元寇」と表現することはありませんでした。

一級史料(当時の記録)でもっとも多いのが「蒙古襲来」で、「異賊襲来」「蒙古合戦」という表記もあります。

●まだまだ多そうな神風の誤解

 ちゃんとした教科書じゃないのですが、"自由にご利用頂けるオープンコンテントの参考書・教科書を作成"しているというウィキブックスでも、暴風雨が未だに健在でした。
中学校社会 歴史/鎌倉時代/元寇 - Wikibooks

最終的には暴風雨の影響により元軍が引き上げたので日本が勝ちますが、元との戦いでは元軍の火薬を用いた新兵器(日本では「てつはう」と呼ばれた)や、毒矢(どくや)、元軍の集団戦に苦戦しました。(中略)

1281年に、元(げん)の軍勢(ぐんぜい)は、再び日本に襲来(しゅうらい)してきます。今度の元(げん)軍は14万人もの大軍(たいぐん)です。 日本は、勝ちます。この1281年の戦争を 弘安の役(こうあんのえき) といいます。この弘安の役でも暴風雨により元軍は被害を受けました。

 ここは、神風にまで力を割いています。
さて、このときの暴風雨は、のちに「神風」(かみかぜ)と言われるようになった。1276年の公文書である『官宣旨』(かんせんじ)の中に「神風」という字が出てくる。のちに、江戸時代の国学でも「神風」(かみかぜ)と言われ始めた。 「神風」という言葉は、後に昭和の戦争での「神風特攻隊」(かみかぜ とっこうたい)などの語源にもなった。

古くは日本書紀にも「神風」という語句は出てくるが、江戸以降で「神風」といったら、元寇のときの暴風雨のことである。

 この様子ですと、暴風雨=神風でモンゴル軍が撤退という理解をしている人はまだまだ多いのだと思われます。

 なので、「新たな見方」という言い方は良くはなかったものの、新聞で紹介する意義は十分にあったと言えそうです。


【その他関連投稿】
  ■鎌倉幕府成立は1192年じゃなくて1185年
  ■神風特攻隊と自爆テロどっちが悪い? 特攻は自殺攻撃・自爆の一種
  ■鎌倉幕府成立の年号 1192年、1185年など6説併記の教科書が登場
  ■鎌倉幕府成立の年号が1192年じゃなくなったのは左翼のせい?
  ■寛喜の飢饉の異常気象対策、朝廷と鎌倉幕府・北条泰時で大違い
  ■雑学・歴史についての投稿まとめ

Appendix

広告

ブログ内 ウェブ全体
【過去の人気投稿】厳選300投稿からランダム表示









Appendix

広告

最新投稿

定番記事

宝くじ高額当選者3000人のその後……10年後の彼らの生活は?
歴代首相の身長ランキング 背の高い、低い意外な総理大臣 野田佳彦・麻生太郎・鳩山由紀夫・小泉純一郎・安倍晋三など
日本で馴染みのある韓国系企業一覧
国別ノーベル賞受賞者数ランキング 日本は8位、上位はどこの国?
橋下徹大阪市長の出自 同和地区(被差別部落)と父・叔父と暴力団
意外に有名企業があるファブレス企業・メーカー 任天堂・ダイドードリンコ・やおきんなど
飛び降り自殺は意識を失うから痛みはない…は嘘 失敗した人の話
白元・鎌田真の経歴と派手な交友関係 神田うの,松本志のぶ,妻も美魔女など
楽天Edyはコンビニの公共料金の支払い(収納代行)に使える?
楽天Edyの使えるコンビニ・使えないコンビニ
主な緑黄色野菜一覧 と 実は緑黄色野菜じゃない淡色野菜の種類
のれん代とのれん代の償却のわかりやすい説明
消滅可能性都市ランキングと一覧 1800市区町村中896自治体が危機
カルシウムの多い食材ランキングベスト20 牛乳以外に取れる食品
堀越二郎の妻は死んでないし菜穂子でもない モデルは堀辰雄の婚約者矢野綾子
創価学会、会長候補の正木正明氏左遷で谷川佳樹氏重用の理由は?
インチキで効果なし、活性水素水詐欺 誇大広告であるとして排除命令が出た商品も
高カロリー食品ランキングベスト20(100グラムあたり)
EPA、DHA(オメガ3脂肪酸)の魚油サプリ 効果なしどころか危険という説
リチウムイオン電池の寿命を長持ちさせるのは、使い切って満充電?継ぎ足し充電?

ランダムリンク
厳選200記事からランダムで









アーカイブ

説明

書いた人:千柿キロ(管理人)
目標1000日更新 不定期複数投稿
サイト説明
ハンドルネームの由来
カテゴリの説明

FC2カウンター

2010年3月から
それ以前が不明の理由