元寇(蒙古襲来、モンゴル襲来)の勝因が、「神風」と呼ばれたという暴風雨という記録は実は全然ないそうです。また、「暴風雨がなかったという説は昔から有名だった」と批判している人たちも多かったものの、教科書の記述はかなり最近まで暴風雨を記載していた、といった話もあわせて確かめていきます。(2017/1/10)
2017/1/10:
●過去の定説 「神風」といわれた2回にわたる暴風雨で勝利!
●元寇の真実、神風は宗教による宣伝目的の嘘 八幡愚童訓にも記載ない
●教科書ではかなり最近まで暴風雨が原因とされていた
●呼び方も「元寇」ではなく「蒙古襲来」が今は正しい?
●自称ネットの教科書では現役、まだまだ多そうな神風の誤解
2020/05/24:
●新型コロナウイルスの感染拡大でも宗教が宣伝に悪用していた
●過去の定説 「神風」といわれた2回にわたる暴風雨で勝利!
2017/1/10:まずは「神風なんてなかった」の話。古い定説については、まず以下のように説明されていました。
勝因は「神風」ではなかった? 「元寇」に新たな見方:朝日新聞デジタル 編集委員・宮代栄一 2017年1月8日11時35分
1274(文永11)年、900隻、4万人の元軍が対馬と壱岐を攻略。鷹(たか)島(長崎県)上陸後、博多湾まで進出したが、暴風雨に遭い退却(文永の役)。
続く1281(弘安4)年、朝鮮発の東路軍と中国発の江南軍の4400隻、14万人が攻め寄せたが、日本側の防戦で一時撤退。さらに鷹島に停泊中の船団を暴風雨が襲ったため、退却(弘安の役)。その後、皇帝フビライは3度目の日本遠征を計画したが、亡くなったため、沙汰やみとなった。
危機に大風が吹き、異国の敵が追い払われたことから、2回にわたる暴風雨は「神風」といわれ、第2次世界大戦中には、神国日本を裏付ける材料として使われた。
●元寇の真実、神風は宗教による宣伝目的の嘘 八幡愚童訓にも記載ない
一方、くまもと文学・歴史館の服部英雄館長(日本中世史)は、文永の役について「モンゴル軍が日本に攻め寄せた夜に嵐が来て翌朝撤退したと書く本が多いが、そんな史料は存在しない」としています。元になったと思われる『八幡愚童訓』という鎌倉時代の史料も、実を言うと暴風雨については触れていません。この記述自体も荒唐無稽なのですが、「夜中に神が出現し矢を射かけたため、蒙古はわれさきに逃げ出した」といった内容でした。
西暦換算すると、モンゴル軍の襲来時期は11月で台風のシーズンでありません。「寒冷前線通過に伴う嵐が来た可能性はある。でも、それで大量の軍船に被害が出たという記録はない」と説明されていました。
2度目の襲来である弘安の役についても、台風でモンゴルの軍船が一部被害を受けたと思われるものの、「沈んだのは鷹島沖の老朽船だけ」であり、撤退は別の理由と考えられています。
服部英雄館長は、「鎌倉武士は戦の勝因を神風とは考えていなかった」「武士はむしろ自らの戦績を誇った」とも指摘。「主張したのは敵国調伏の祈禱(きとう)をした社寺」ともしています。また、宗教が悪さをしていたようです。
●教科書ではかなり最近まで暴風雨が原因とされていた
この記事に関して、とっくの昔から知られていた、古すぎる、数十年前の定説といった批判が多かったです。ところが、調べてみると、教科書などの記述は数十年前どころかかなり最近まで暴風雨について書いていました。
例えば、
中学校歴史教科書における「元寇」記述についての比較研究 包 黎 明(2010年10月7日受理)という論文で比較されている2005年の検定済み教科書。
とりあえず、当時の新しい歴史教科書をつくる会が出していた扶桑社の教科書(今は自由社)は、当然のごとく「神風」に触れています。保守派ですからね。"2回とも「神風」と呼ばれる暴風雨に襲われ敗退した"などと書いています。
問題は他の教科書ですが、東京書籍は「神風」なんて馬鹿なことは書いていないものの、弘安の役について「暴風雨で大損害」としていました。その他、帝国書院が二回とも暴風雨のせいで引き上げ…とするなど、8社の教科書すべてで暴風雨について触れていました。
これより新しい教科書はどうか?と言うと、2014年に書かれた
教科書から消えたもの 元寇|こはにわ歴史堂のブログ(2014-05-11 20:25:35)である程度様子がわかります。
「元寇」の内容に関しても大きな変化がみられるようになりました。
現在の教科書では、「暴風雨で」元軍が引き上げた、というような説明が少なくなりました。
元側の記録では、「撤退」開始が先で、「暴風雨」が後だからです。
暴風雨で撤退を余儀なくされたのではなく、日本の武士たちの巧みな作戦で苦戦し、撤退を決定した、というのが実際でした。
ただ、「少なくなりました」って書き方ですから、未だに書かれているってことかもしれません。神風説はまだまだ現役って可能性もありそうでした。
●呼び方も「元寇」ではなく「蒙古襲来」が今は正しい?
なお、こちらによると、皆さんが突っ込んでいなかった「元寇」という言い方すらも不適切なのかもしれません。
さてさて、「元寇」なのですが…
現在、「元寇」という表現は、高校の教科書から消えつつあります。
どう変化しているかというと
「蒙古襲来」
という表記になりつつあります。
実は、「元寇」当時、そして後の室町時代も、そして江戸時代の初期まで、蒙古襲来のことを「元寇」と表現することはありませんでした。
一級史料(当時の記録)でもっとも多いのが「蒙古襲来」で、「異賊襲来」「蒙古合戦」という表記もあります。
●自称ネットの教科書では現役、まだまだ多そうな神風の誤解
ちゃんとした教科書じゃないのですが、"自由にご利用頂けるオープンコンテントの参考書・教科書を作成"しているというウィキブックスでも、暴風雨が未だに健在でした。
中学校社会 歴史/鎌倉時代/元寇 - Wikibooks
最終的には暴風雨の影響により元軍が引き上げたので日本が勝ちますが、元との戦いでは元軍の火薬を用いた新兵器(日本では「てつはう」と呼ばれた)や、毒矢(どくや)、元軍の集団戦に苦戦しました。(中略)
1281年に、元(げん)の軍勢(ぐんぜい)は、再び日本に襲来(しゅうらい)してきます。今度の元(げん)軍は14万人もの大軍(たいぐん)です。 日本は、勝ちます。この1281年の戦争を 弘安の役(こうあんのえき) といいます。この弘安の役でも暴風雨により元軍は被害を受けました。
ここは、神風にまで力を割いています。
さて、このときの暴風雨は、のちに「神風」(かみかぜ)と言われるようになった。1276年の公文書である『官宣旨』(かんせんじ)の中に「神風」という字が出てくる。のちに、江戸時代の国学でも「神風」(かみかぜ)と言われ始めた。 「神風」という言葉は、後に昭和の戦争での「神風特攻隊」(かみかぜ とっこうたい)などの語源にもなった。
古くは日本書紀にも「神風」という語句は出てくるが、江戸以降で「神風」といったら、元寇のときの暴風雨のことである。
この様子ですと、暴風雨=神風でモンゴル軍が撤退という理解をしている人はまだまだ多いのだと思われます。なので、「新たな見方」という言い方は良くはなかったものの、新聞で紹介する意義は十分にあった、と言えそうです。
●新型コロナウイルスの感染拡大でも宗教が宣伝に悪用していた
2020/05/24:新型コロナウイルスの感染拡大でネットでは、病気の神様や妖怪が話題になりました。これ自体はフィクションや遊びの範囲であり、目くじらを立てる必要はないと思うのですけど、マスコミでも病気の神様について好意的に紹介しているところがあるのはちょっと気になります。
これについても「細かいこと言うな」と思う人が多く、私も微妙なところだとは思いました。ただ、新型コロナウイルス感染拡大により、病気に強い神様を祀った神社で「お守りを求める人が多い」といったことまで報じられているようで、こうなると科学的根拠のない行動を推奨するような形になって良くない影響が出る可能性があります。神社に行くとより自粛優先ってのもありますね。
また、ここに追記したことでわかるように、恐怖感情を宗教の商売に使われる危険性もあるんですよ。新型コロナウイルスのための祈祷を行ったと、わざわざ広告記事を出している宗教施設を見かけて気になっていました。それから、安倍昭恵・首相夫人との自粛要請下の集団旅行で話題になったドクタードルフィンさんも、「愛を送ればウイルスは消える」と主張していたカルト系の人なんですよ。
先程の病気に強い神様を祀った神社で「お守りを求める人が多い」といったマスメディアの報道も、神社の宣伝になってしまっていますよね。口うるさいと思うかもしれませんが、ここらへんは安易にもてはやさず、もっと厳しく見ていった方が世の中のためになるでしょう。新型コロナウイルスの恐怖を宗教が利用するのは、世の中を悪くしています。
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