鎖国関連の話をまとめ。<教科書から「鎖国」が消えた理由 外交・貿易国があり国を閉ざしてなかったから>などをまとめています。
●教科書から「鎖国」が消えた理由 外交・貿易国があり国を閉ざしてなかったから
2017/2/14:中学歴史でも「聖徳太子」を「厩戸王」に変更、聖徳太子が消えるというニュースがありました。ただ、
ついに教科書の本文からも消える聖徳太子 「聖徳太子はいなかった」が意味するものをやっているように、前々から言われていた話ですので、特に驚きはありません。
一方、鎖国が消えるという話は事前に聞いていなかったので、今回知ってびっくりしたもの。とはいえ、こちらも非常に納得できる話。
鎖国の良かった点、悪かった点をやったときに、私も国を閉ざしていなかったにも関わらず、「鎖国」という呼び方をしているのは変だと感じていました。
学習指導要領:「鎖国」が消えた 小中学校の社会科から - 毎日新聞2017年2月14日 19時07分(最終更新 2月14日 19時07分)【伊澤拓也】によると、文部科学省が14日発表した次期学習指導要領の改定案では、江戸幕府の対外政策を指す言葉「鎖国」が小中学校の社会科から消えました。
「鎖国」は、江戸時代の閉鎖性を象徴する言葉として使われており、現行の指導要領にも記載されています。しかし、近年の歴史研究では、江戸後期に幕府は長崎・対馬・薩摩・松前--の四つの窓口を通して、オランダ・中国・朝鮮・琉球・アイヌと外交をしていたとの学説が定着しています。
そのため、当時の国際情勢を表現する言葉として鎖国が適切ではないとの指摘がありました。これが、今回の改訂で消えてしまった理由のようです。同様に読売新聞では、外交と貿易が行われ、完全に国を閉ざしていなかったことから、実態に即した表記にする、と説明していました。
(
小中社会科、「鎖国」消える…次期学習指導要領 読売新聞 / 2017年2月14日 17時0分より)
●「鎖国」という言葉は当時使われていなかった言葉でもあるが…
鎖国の良かった点、悪かった点でやったように、「鎖国」は、日本研究に取り組んだドイツの博物学者・医師ケンペルの遺稿を集めて刊行された「日本誌」の中の巻末付録『鎖国論』から生まれた言葉です。
ただ、ケンペルは日本語で書いていたわけではないので、実際には後にこれを翻訳するときに名付けた単語でした。
志筑忠雄(中野柳圃) 多くの重要な訳語を作った人をやっているように、日本語では、このように翻訳の際に生まれた単語が多数あります。
これを踏まえてだと思われますが、読売新聞では、文科省の担当者が「当時、鎖国という言葉は使われていなかったので、正しい言い方にした」と説明したことも載せていました。でも、これはちょっと微妙な説明だと思いますよ。当時使われていたかどうかを問題視すると、鎖国以外も問題になってくるためです。
例えば、
鎌倉幕府成立の年号 1192年、1185年など6説併記の教科書が登場でやっているように、「鎌倉幕府」も当時使われていなかった言葉のはずです。しかし、こちらの用語はまだ生きているはずです。「当時使わなかったから」を言い出すと、泥沼にはまるでしょう。少しズレている気がします。
●「鎖国」のポイントは閉鎖ではなく、「独占」と「管理」では?
私は「鎖国」ではなく、「管理貿易」などと呼んだ方が実態にあっていると感じていました。「鎖国政策」と呼ばれてきた政策は国を閉ざすものではなく、実際には政府が貿易を管理して、政府などが独占することで、利益をも独占しようというのが狙いでしょう。許可していない人による自由な貿易を防ぐことが目的とも言えます。
私が以前何と書いていたか?と見直すと、追記で「鎖国というのは勘違いしがちですが、貿易の禁止ではなく限定です。対象者の限定や管理貿易といった感じでしょう」としていました。ただ、このときも外交もなかった前提で書いていたので今訂正しました。これも間違いでしたね。
実際、
鎖国 - Wikipediaでは、「江戸幕府が外交に関する権利を独占し、日本人の出入国及び貿易を管理・統制・制限した対外政策」と説明しています。「外交の独占」や「貿易を管理・統制・制限」がポイントなのです。こういう用語の見直しがあると、陰謀だ!みたいに騒ぎ出す人もいるのですが、このように「鎖国」という言葉は、全く実態に合っていない変な言葉でした。
「鎖国」の出どころを考えると、ドイツ人のケンペルさんの見方に偏見があったとも言えるかもしれませんね。
【本文中でリンクした投稿】
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鎖国の良かった点、悪かった点 ■
ついに教科書の本文からも消える聖徳太子 「聖徳太子はいなかった」が意味するもの ■
鎌倉幕府成立の年号 1192年、1185年など6説併記の教科書が登場 ■
志筑忠雄(中野柳圃) 多くの重要な訳語を作った人【その他関連投稿】
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